福島かみしばいツアー2015 3日目 福島市 浪江町仮設住宅 | カミシバラーミキナカムラのブログ

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オリジナル創作紙芝居をやっています。
三重県を中心に東は東京 西は長崎まで
各地で上演させていただいております。

ツアー3日目。
福島で紙芝居するなら
ぜひ仮設住宅でやらせて欲しかったのです。
せっかく福島にゆくならば
少しでもたくさん、この目で福島の現実を知りたかったし、
そこに生きる方と実際にお話をしてみたかったのです。

本当は原発で働く方にも会ってみたかったし
もっと浜通り地方も訪れてみたかったのですが、
いかせん、時間も限られていましたので今回は見送りました。

こちらの勝手なイメージでは
福島市の各地に仮設住宅が点在している。
というイメージがあって
車で走ればすぐにそれとわかる
仮設住宅の団地のようなものがある、
と思っていました。
そこにはたくさんの家族が住んでいて
子供たちがわいわいと走り回っている。
なんて言うのを想像していました。
かみしばいをやらせてください。とお願いしたら
どこでも、ああやっていいよ。
なんていう感じ。
だと勝手に思っていたのですが。
ところが意外にこれがハードルが高かったのでした。

↑の写真、の不審人物のイラストと カミシバラーがそっくり!(笑)


前々から
福島のみなさんに
どこか紙芝居させていただける
仮設住宅を教えてください。
といろいろお願いしていたのですが
しらない。分からない。
つながりが全くない。
というお返事が返ってきました。

福島市に住んでいるけれど
仮設住宅との交流が全くない。という方が
ほぼ全員でした。

なにかとても分断されているような感じがしました。
これは一体どういうことなんだろう?
メールでお願いするにせよ
どこにメールしていいかもわからず、
福島県のHPや災害復興ボランティアの
ページも探してみましたが
なかなかどうもうまくゆかず難航しておりました。

ツアーマネージャーの間宮君と
福島市在住のお母さんのご尽力で
浪江町の仮設住宅の自治会長さんと
やっとつなげていただき
紙芝居させていただく許可をいただきました。

行く前の想像では
山の中か森の中の
どこか隔離された場所に仮設住宅が並ぶ光景を
想像していましたが。

大きな道路からすこし入った
きれいな新興住宅が立ち並ぶ
瀟洒な住宅街の中の
一角に浮かぶ島のように仮設住宅はありました。


周りに立ち並ぶモダンな住宅街に囲まれて
灰色の四角いプレハブ製の仮設住宅が並んでいました。
モダンな住宅と仮設とのコントラストが強すぎて
その光景に少なからずショックを受けました。

新興住宅に住んでいる人の目からは
仮設住宅はどういう風にうつるんだろう。
また、仮設住宅の人たちにどううつるんだろう。
道路一本隔てて
見えない壁のようなものがあるんだろうか?

そこは浪江町から避難してきた方のための
約180件の住宅があって
今は130世帯が暮らしています。
そのうちの40世帯が一人暮らしで
子供は13人いるそうです。


午後の光をあびて
集会所はひっそりと静まり返っていました。
人の気配もあまり感じられません。

そこに2カ所の仮設の集会所があって、
そこの西集会所というところで
紙芝居をさせていただきました。

事前に自治会の方に
回覧板をまわしていただいたので
20人くらいの方が集まってきました。
ほとんどが60代以上の高齢者の方、
安達ケ原のお話を熱心に聴いていただき

おやじギャグをみんなで唱和してもりあがりました。

みなさま、どうもありがとうございました。



終わったあと、
自治会長さんからいろいろとお話を聞きました。

今年になって毎週2-3世帯の方が
仮設を出て行ってしまうこと、



浪江町は街中で7マイクロシーベルト
家の中で4マイクロシーベルトあって
とても住むことができないこと、

震災の起こった時
東電の社員、家族は直ちに
東京に避難したけれど
浪江町の人たちには何の情報も知らされなかった。
しばらくして逃げた先は
一番線量の高いホットスポットだった。

一時帰宅も出来るが許可証がいる。
帰る見通しもまだ全くたっていない。

新聞やネットではそういう話は何度も聞いたり読んだりは
していましたが、
実際に当事者の方にその話を聞くと言うことは
重みが全然ちがいました。

震災前はみなさん
美しいふるさとの自然の中で
豊かな生活を育んでいたものだと
想像できます。

それがなにもかも
めちゃくちゃに引き裂かれ
見知らぬ街の狭い仮設住宅での
生活を強いられています。

集会所に集まってくる人も
いつも同じメンバーで、
会長さんがドアをノックしても
出てこないく
ずっとテレビばかり見て
引きこもっている人もいるそうです。

壁には
わ、と書いた大きな寄せ書きや千羽鶴
訪れた芸能人の方の写真
有名な女優さんがいました。
あとはローカルなタレントさんとか。
いろんな人のサイン色紙もいっぱいありました。
ここでも色紙描かせていただきました。

色紙に描いて、って言われたのは
人生2回目でした。
一回目は昨日、安達ケ原の観世寺でした。


浪江町の町長選挙も
もうすぐあるそうです。
まだその時は
選挙戦が始まっていなかったのですが
3名が立候補予定なのだそうです。
土地がないのに自治体としては機能しているのが
不思議な感じがしました。


ダライラマのチベット亡命政府が
インドの北部のヒマーチャルプラディッシュ州の
ダラムサラ、という標高1800m、
ヒマラヤ山脈の尾根にへばりついやように街がありますが、
そこにはチベットから亡命、避難してきた人たちが一万人ほど
暮らしています。

仮設住宅は2018年には閉鎖されるそうです。
代替地は用意されているみたいなのですが、
不便な山の中だとおっしゃっていました。

ご主人が原発で働いていらっしゃるという方にも会いました。
ご主人はいわき市で単身赴任で原発に通っていらっしゃるそうで
そこで放射線を測定しているのだそうです。

いわきからJビレッジに行って、
そこから原発に出勤するのだそうですが、
道路が渋滞して
毎日2時間かけて出勤するのだそうです。
帰りもまた2時間かけて帰ってくるのだそうです。
月に一回福島市まで
高速道を2時間飛ばして、家族に会いにくるのです。
あっけらかんと話をしてくださいましたが
その笑顔の後ろ側に
どれだけのどんな想いや不安があるんだろうか。
それを聞くことはできませんでした。


私には何もできませんですが
みなさまのこれからのご幸運とご無事を願ってやみません。

集会所を出たのは日没でした。
除染土を積み上げた黒いフレコンバッグがあるところを見たい、と
案内の福島市の方にお願いして
ここだろう、というところに
捜しに行きましたが
見つけることはできませんでした。

ぼくらが通った道路沿いをには
フレコンバッグはどこにもありませんでした。
表面上は放射能の問題なんて
何もないように見えました。

そのかわりに
福島市のあちこちに
小さなリンゴの木ががあって
たわわに真っ赤な実をつけていました。
なりすぎて地面に何個か落ちていました。
街中のちょっとしたところに
リンゴの木があるのは素敵でしたが、
どこに流通しているのかな。って
いろいろ考えてしまいました。

郊外で野焼きをしていました。
震災前なら
美しい田舎の野焼き風景、ですが
なんだかうーーーん、って思ってしまいました。

夜はみなさんに絵はがきを描いて
寝てしまいました。
翌日は 峠を越えて
山形県米沢市の保育園と
山形市の間宮君の滞在先での2公演です。