このところ、最高裁の判旨に「いかがかと思われる」ケースが目立っている。
ビジネスやってると、政治・行政による屁理屈パフォーマンスやネジレ国会によって、まともな立法府・行政府が運営できていないということは如実に感じるものだ。
現に経済政策は、法令・規制の造りや運用のお粗末さによってビジネス運営をもろに直撃している。
例えば金融政策。
これは日銀を中心とする国内金利政策や、外交関係上の組織体や国家との諸取引にかかる金利設定が発端となって、為替相場、国債利率、もちろん消費税等々税政策・・数えあげればきりがない。
立法府・行政府のお粗末政策は、定番になりすぎているのだ。
これらとの相対比較からは、まだまだ良識も残っているようなのだが、やはり最高裁のレベル低下も目立っているのだ。
「法の番人」であらねばいけない司法。
いざというときの民主国家の最後の砦「憲法の番人=最高裁」!!
うふっ、書いてて苦笑いなのだ。
悩み多きkamerinoの最後の砦である”追手乃若”先生が新年恒例の外遊なんてしちゃってるので、ストレスがたまるのだ。
”追手乃若”先生のいない間に、「法の番人」を正すのも一興だろう。
”君が代”
これ、日本国民にとっては、もはや政治信条なぞは超えちゃって、今更のはなしなのだが、国民として当たり前のごとく受け入れてきている国歌なのだ。
先生様か日教組様かしらないが、あえて右思想を否定のみするような政治信条を持ち込んで”君が代”や”日の丸”を無視するような振る舞いは”行儀が悪い”ということは、普通の一般ピープルの心情と考える。
どのような「郷」にはいっても、そこで生活する以上、その「郷」に従うものだ。
いやなら「郷」を出ていくまでということだ。
3権分立の近代国家である以上、法令に基づいて「行政」をおこなうならば、教育行政として義務付けた「国歌斉唱」「日の丸敬礼」を規定した以上は、これに従わない教員は当然クビだろう。
ビジネスやってて、「就業規則に従わない従業員をクビにできない経営」などはあり得ない。
よくもまあ、当たり前のことを最高裁まで持ち込んで、無駄な「こまかい判断基準的な判旨」判例を創らせてしまったものだ。
なにせ、卒業式などの式典で日の丸に向かって起立せず、君が代を斉唱しなかった公立学校の教職員らに対する東京都の懲戒処分について、16日最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)は、
「戒告は裁量権の範囲内だが、減給・停職は慎重に考慮する必要がある」とする優柔不断な判断基準を初めて示し、「減給と停職の処分」を一部取り消しちゃった。
こりゃあ、石原都知事閣下でなくても、誰でも怒る。
ふっ、東京都教育委員会様は、『卒業式や入学式での日の丸の掲揚や君が代の斉唱について、適正に実施することは、児童・生徒の模範となるべき教員の責務である』とする当たり前の通知を、都内62市区町村教委と252都立学校にあてて出したらしい。
まっ、都知事閣下からの『判決について「非常に不満」。裁判の結果は何だろうと、もう1回教育委員会クンはその(起立斉唱についての)問題を確認してくれ』との要請への・・・まっ、嫌味通知ということだろう。
この辺が、最高裁の非常に優柔不断な”甚だしく不当とは言えない”判決の曖昧さゆえの波紋だ。
”癒しの女神”は不審な面持ちだ
ビジネスやってると、政治・行政による屁理屈パフォーマンスやネジレ国会によって、まともな立法府・行政府が運営できていないということは如実に感じるものだ。
現に経済政策は、法令・規制の造りや運用のお粗末さによってビジネス運営をもろに直撃している。
例えば金融政策。
これは日銀を中心とする国内金利政策や、外交関係上の組織体や国家との諸取引にかかる金利設定が発端となって、為替相場、国債利率、もちろん消費税等々税政策・・数えあげればきりがない。
立法府・行政府のお粗末政策は、定番になりすぎているのだ。
これらとの相対比較からは、まだまだ良識も残っているようなのだが、やはり最高裁のレベル低下も目立っているのだ。
「法の番人」であらねばいけない司法。
いざというときの民主国家の最後の砦「憲法の番人=最高裁」!!
うふっ、書いてて苦笑いなのだ。
悩み多きkamerinoの最後の砦である”追手乃若”先生が新年恒例の外遊なんてしちゃってるので、ストレスがたまるのだ。
”追手乃若”先生のいない間に、「法の番人」を正すのも一興だろう。
”君が代”
これ、日本国民にとっては、もはや政治信条なぞは超えちゃって、今更のはなしなのだが、国民として当たり前のごとく受け入れてきている国歌なのだ。
先生様か日教組様かしらないが、あえて右思想を否定のみするような政治信条を持ち込んで”君が代”や”日の丸”を無視するような振る舞いは”行儀が悪い”ということは、普通の一般ピープルの心情と考える。
どのような「郷」にはいっても、そこで生活する以上、その「郷」に従うものだ。
いやなら「郷」を出ていくまでということだ。
3権分立の近代国家である以上、法令に基づいて「行政」をおこなうならば、教育行政として義務付けた「国歌斉唱」「日の丸敬礼」を規定した以上は、これに従わない教員は当然クビだろう。
ビジネスやってて、「就業規則に従わない従業員をクビにできない経営」などはあり得ない。
よくもまあ、当たり前のことを最高裁まで持ち込んで、無駄な「こまかい判断基準的な判旨」判例を創らせてしまったものだ。
なにせ、卒業式などの式典で日の丸に向かって起立せず、君が代を斉唱しなかった公立学校の教職員らに対する東京都の懲戒処分について、16日最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)は、
「戒告は裁量権の範囲内だが、減給・停職は慎重に考慮する必要がある」とする優柔不断な判断基準を初めて示し、「減給と停職の処分」を一部取り消しちゃった。
こりゃあ、石原都知事閣下でなくても、誰でも怒る。
ふっ、東京都教育委員会様は、『卒業式や入学式での日の丸の掲揚や君が代の斉唱について、適正に実施することは、児童・生徒の模範となるべき教員の責務である』とする当たり前の通知を、都内62市区町村教委と252都立学校にあてて出したらしい。
まっ、都知事閣下からの『判決について「非常に不満」。裁判の結果は何だろうと、もう1回教育委員会クンはその(起立斉唱についての)問題を確認してくれ』との要請への・・・まっ、嫌味通知ということだろう。
この辺が、最高裁の非常に優柔不断な”甚だしく不当とは言えない”判決の曖昧さゆえの波紋だ。
”癒しの女神”は不審な面持ちだ