ママが急に入院して、マコトは一人ぼっちで暮らさなければならなくなった。ママはなんとかして自宅療養すると言ったのだが、お医者さんは絶対安静と言ってママを集中治療室に入れてしまった。マコトのことをどうするか困ったお医者さんがほうぼうに尋ねたが、ママには親戚も友達もいなかった。ママは仕事もしていなかった。小さなアパートで毎日じいっと座っていた。アパートの大家も、町内の民生委員もマコトを預かる気はなく、マコトは養護施設に一時預かりされることになった。
施設にはたくさんの子供がいた。今までアパートでママと二人っきりでいたマコトは、大勢の子供たちに一斉に見つめられ、恐くて泣き出した。施設の職員がマコトを抱きかかえてあやしてくれたが、どうやってもマコトは泣き止まなかった。仕方なく職員は保健室に泣きつかれたマコトを寝かせた。
マコトが目を覚ますと、ベッドの脇に背の高い男の子が座っていた。
「お、目が覚めたか」
男の子はくしゃっと顔にしわを作って笑った。その顔が面白くてマコトは少し笑った。
「マコト、お前何歳だ?」
マコトは指を三本立ててみせた。
「三歳か。俺は十二歳だ。小学校六年生」
マコトはよく分からなかったけれど、なんとなくうなずいてみた。
「ごはんの時間なんだけどさ、お前、ごはん自分で食べられるの?」
これもよく分からなかったけれど、うなずいた。
「そっか。じゃあ、食堂に行くぞ。みんな集まって食べるんだよ」
マコトは手を引かれて廊下を歩いた。だだっ広い施設の廊下は広く天井も高く、狭いアパートしか知らないマコトは恐くなってまた泣いた。引っ張られている手を振りほどいて座り込んでわめいた。女性の職員がやってきてマコトを抱き上げる。マコトの声がほんの少しだけ小さくなった。
「隼人君、ありがとう。この子はまだ食堂に行くのは無理みたいだから、保健室で食べさせるわ」
男の子はマコトの顔を覗き込んでニッと笑って見せた。マコトは泣きながらも男の子の顔をじっと見つめた。女性職員に保健室のベッドに下ろされたマコトはひっくひっくとしゃくりあげながらも、なんとか涙は止まった。
職員はお盆に乗せてマコトの食事を運んでくれた。焼き魚と野菜の煮物とごはんとみそ汁、それとゆで卵だった。職員がマコトにスプーンを握らせようとしたがマコトは嫌がって両手を背中に隠した。箸で食べ物を口に運んでも、うつむいて固く口を結んだ。ただゆで卵だけは、手渡すと自分でむしゃむしゃと食べだした。一個食べ終わるともっとくれと言うように手を突き出した。結局、マコトは三つのゆで卵を食べて、そのまま眠ってしまった。
翌日も、翌々日も、マコトはゆで卵しか食べなかった。他の食べ物は頑として口に入れない。牛乳を飲むのがせめても栄養の足しになるかと職員たちは諦めることにした。
「お前、何も食べないんだってな」
保健室で寝起きしているマコトのところに隼人がやってきた。
「ほら、チョコなら食うか?」
ポケットから隠していたチョコを出してマコトに食べさせようとしたが、マコトはいやいやと首を振るだけだ。
「なんでゆで卵だけなんだよ。好物なのか?」
マコトは何を聞かれているか分かっていない様子で指を吸っていた。その後も隼人はいろいろな食べ物をマコトに持ってきた。お菓子や果物、ジュースやアイス、どんなものでもマコトは首を振って嫌がった。
そうやって一週間がたった。マコトの栄養状態はどんどん悪くなり、栄養点滴を必要とするほどまでになった。ママが入院している病院に、マコトも入院することになった。
一週間ぶりにマコトに会ったママは泣きじゃくって痩せてしまったマコトを抱きしめた。襟元をくつろげて乳を含ませた。けれど一週間、母乳を通さなかった乳管はすっかり閉じてしまっていた。マコトは一生懸命に乳を吸う。けれど一滴も母乳は出ない。お腹を空かせたマコトは弱弱しい泣き声で泣き続けた。
隼人がマコトの見舞いに病院にやってきたとき、マコトは自分でスプーンを持っておかゆを食べていた。
「お前、卵じゃないものも食べられるようになったのか」
お見舞いに持ってきたゆで卵を差し出すと、マコトは急いで受け取って頬張った。隼人は目を細めてマコトを見ていた。
「ママのおっぱい、まだ吸ってたんだってな。いいな、お前。でもさ、おっぱいより美味しいもの、いっぱいあるんだ。ゆで卵だけじゃないんだぞ」
マコトはもぐもぐと口を動かしながら不思議そうに隼人を見上げていた。
「おっぱいも卵も卒業して、大人にならなきゃいけないんだぞ」
隼人は半ば自分に言い聞かせるように寂しそうにつぶやいた。マコトは食べかけていたゆで卵を隼人に差し出した。
「くれるのか?」
受け取ったゆで卵をぱくりと食べて、隼人はマコトの頭を撫でて帰っていった。マコトはゆで卵を食べ終えると、おかゆの残りをすっかり食べてしまって、満腹のお腹を抱えて眠ってしまった。