どうも、kame3です。
最近霞み目、耳鳴り、頭痛、膝関節、腰痛の予兆、過度な眠気が立て続けに起こった結果、ブログ更新しなくて良いや。と言った投げやりな感情になり、ブログを放置してました。全ては気持ちの問題です。
さて、ブログへのやる気は無かったのですが裏でウマ娘ダイユウサクの小説を書いていたんですよ。没になる事は分かっているけど、挑戦したくてやって見たんだけど…やっぱりキツイです。
タイトルにもある通り、自分が書いた文章に対する拒絶反応が度々起こるせいで何時間も書き直してようやく妥協出来た文章が次の日には全没になるの繰り返しで何も進展がありません。
ネタやアイデアは凄く好きなんだけど、文章は一文字目から嫌い。だいたい五画目くらいには嫌になっています。
じゃあなんでブログを書いているのかと言えば、気持ちが篭っていないから。書いたら書きっぱなし、見返す事なく進むだけでいいから。もしアクセス数気にしてたら無理してでも毎日更新しているだろうけど、マジで一桁でも気にならないくらいどうでも良いから。
それに対して小説は…小説という枠組みだけで大嫌いですね。読むことに関しては好きだけど、書くことがとにかく苦痛。
特に書き出しのせいで大体一ヶ月くらい構想を練った話を没にしたことが何回もあるよ。一応途中の山場からオチまで面白いものを考えたつもりだったけど、三行あたりで根を上げて即終了させたことが何回もあったね。
ただこれって俺が小説の書き方に対して無知だから、無駄に拘っているのではないか。読者は全体通して面白いかどうかで評価するのに、俺は最初の一文で読むか読まないか決まる。一文目の後の二文目、ここがつまんないとせっかく掴んだ読者の心があっさりと離れていく。そして三文目、ここが面白いかどうかで全ての良し悪しが決まる。4文目はねぇ…ここを上手くやれない人間に小説書く資格は無いよ。みたいなのを永遠と繰り返し、そこから1〜4文目の文章は前後の繋がりが無い、それぞれ単独の文章が並んでいるようにしか見えない、没。
要は駄目だと言う口実を常に探しているのではないか。だったら、俺が面白いと思った小説を参考にしてみよう!
例えば、行間って詰めるか開けるのか。句読点を打った後も同じ行で文章を続けるのか続けないのか。
俺が書くと文章の書き出しに違和感を感じてしまうけど、違和感を感じない書き出しとはどんな感じなのか。
そんな感じで面白いと思った小説を自分でも打ち込んでみたんだけど…数行で気持ち悪くなった。
例えば…夏目漱石の吾輩は猫である。
これの書き出しって『吾輩は猫である。名前はまだない』だけど、この書き出しって好きなんだよ。
まずタイトルに猫ってあるけど、それって猫が主人公の話なのか。それとも自分の事を猫と思い込んでいる人間なのか、人間が猫視点を想像してアテレコしているのか、実は猫は全く関係ない作品なのか。
で一行目にタイトル回収してきて、二言目には名前はまだない。ここからリアルな猫が主人公なのだろう、けど名前がないのは野良猫だからか?それとも飼い猫だけど生まれた直後で名前をつけられていないからなのか?両方か?まだ無いだから、将来的に名前が貰えることが分かっている?つまりある程度人間社会を見てきた年齢なのか?など、この二行で色んな情報が詰まっているんだよ。
で、三行目以降からは具体的な情報がどんどん開示されていって…完璧な導入だと思う。
ではもし、夏目漱石が実在していなくてこの世に吾輩は猫である。と言う作品は存在せず、また類似した作品が存在しなかったとして俺が『猫視点から見た人間社会の話を書こう。タイトルは吾輩は猫である、にしよう!』ってなって、偶然同じ書き出しをしていた場合、どう思うのか。
吾輩は猫である…その情報って必要?読者はタイトルの地点で主人公が猫と分かっているのでは?そもそも猫が自分のことを猫と思わないだろ。俺は人間である、なんて文章はリアリティがない。自分が猫であることを再認識したきっかけがあるなら分かるけど、導入にそれを入れて来るのはインパクトだけを重視したど素人のやり口だな。没。
続いて名前はまだない。2番目に出す情報って自分の名前のことか?どんな環境、周りに何が見えるか、自分の身体に関わる情報、感情などを差し置いて名前がないことを思うのか。
このブログでいえば、吾輩は人間である。名前はkame3だ。
…猫だからって許される文面じゃないだろ。知能レベル低すぎ、これは自分が理数系だからとかではない。シンプルに馬鹿の文章だ。ここから挽回する文章、無理。辞めよう。
走れメロス、『メロスは激怒した』
メロス=タイトルにもあった事からこれが主人公の名前だろうな、激怒した。だから、他人に何かをされたんだろう。それが不快とかイラつきでは済まされない、声を荒げる様な事があったのだろう。それは何なのか気になる。
これを俺が書いた場合、ダサい。没。
どんな名作も俺と言うフィルターを通すとクソにしか見えなくなる。と言うわけで、逆に意図的にクソな文章を書けるのでは?と思って、今書いている小説にくそ文章が活きる設定のキャラを作ったんだよ。
本当は色々言いたいことがあるし、荒々しい性格なんだけど、自分が本音をぶち撒けるとトレーナーに迷惑が掛かるから本音を言うのを我慢しているウマ娘プレクラスニー。
天皇賞秋で2着だったけどマックイーンが降着した結果、繰り上がり1位になった事で世間から誹謗中傷や自分の名前を出して擁護してきたり、マックイーン陣営は降着に関して抗議、一方で他トレーナー(先輩方)が降着判定を正当なものと擁護などが起こったせいでプレクラスニーは大激怒。
盾なんて返上してやるから私の名前を出して好き勝手に議論するのを辞めろ!とマスコミ怒鳴り散らそうと思っていたら、トレーナーに『俺が新人だったから、プレクラスニーをマックイーンに勝たせることが出来なかった』っさと言われ謝られてしまい、プレクラスニーはトレーナーの評判を落とすわけにはいかないと本音を言わないように塞ぎ込んでしまう。
だから有馬記念への敗北の感想が余りに簡素と言うか、薄っぺらい事しか言えないってシーン。『負けた』『悔しい』『次は負けない』しか言わなかったウマ娘が、面識がなかったミルワカバにメチャクチャ挑発されて天皇賞・秋の後に言われた不快発言とか抑圧していた怒りが沸々と込み上げてきて遂に本音をぶち撒けるシーンに繋がる重要だけど語彙力が無ければ無いほど良いシーンなんだけど、原稿用紙1枚分で収まる程度の文量なのに一週間たっても書けないんだよ。
本来ならここからが難所で、反応が薄いプレクラスニーをミルワカバがどう煽っていくか。どんな段階を踏んで化けの皮が剥がれていくか。本音をぶちまけるシーンって迫力が必要なんだけどそれを出し切れるか、最後までまとまるか。さらにいえばこれって第一話に過ぎず、2話のナイスネイチャが3着の呪い。
有馬記念の3着を周りは賞賛するけど、本人からしたら下手に周りに『3着だった、嫌だ』って言えない。自分よりも上の実力者には言いづらいし、下の順位や出走資格すらないウマ娘には嫌味にしか聞こえないから相談出来ないって思っていた時に、体調不良でレースに出走して最下位だったオースミシャダイが体調不良で倒れそうになった。
それにいち早く気づいて、オースミシャダイのトレーナーと共に医務室へ運んだ。その医務室でオースミシャダイから二人で話そうと言われ、オースミシャダイから最下位でも出れてよかった。有馬記念は何よりも特別なレースだから、と言われてその理由を聞く話。
一週間前のスプリンターズステークスでケイエスミラクルが転倒し、その怪我で再起不能。ダイイチルビーも落ち込んでいる。…有馬記念で自分が勝つ事で、何か出来るんじゃないかと考えていたダイタクヘリオス。
例えばマイルチャンピオンシップ、有馬記念二連勝した自分にスワンステークスで勝利したケイエスミラクルって滅茶苦茶強いウマ娘だったんだ。みたいな形で後世に語り継がれるとか、ケイエスミラクルがまたダイタクヘリオスと勝負したいと思わせるキッカケになるのでは?など、色んな思いがあったのに敗北して珍しく暗いダイタクヘリオスにいつものノリのツインターボが話しかけてきた。
メジロマックイーンは特殊系で、クラシック三冠、春シニア秋シニア全勝、今まで無敗で今回の有馬記念を制した事になっている世界線の話。祝賀会で周りから史上最強、シンボリルドルフ超えなど言われる中でメジロライアンに呼び出される。
最初は自分なんて…みたいな態度のライアンだったけど、『マックイーンは私に宝塚記念で負けた時に悔しいって言ってくれなかったよね』と、存在しないレース結果を言い出す。しかし何故かマックイーンにはそのことを覚えており、寧ろ自分が勝ったはずの宝塚記念の事を思い出せない。
さらにライアンの様子がおかしくなり、いつの間にか知らないけど知っているウマ娘に変わっている。裏設定にはなるけど、これの正体はメジロデュレン、史実のマックイーンの兄。
マックイーンの憧れになりたかったけど、アプリシナリオの中でマックイーンが憧れの人物として実装される前のラモーヌの名前を出していたんだよ。
そんなメジロデュレンにとって、有馬記念は自分が勝ったけどマックイーンは勝てなかったレースで史実的にはメジロ家で勝ったのがデュレンとパーマーの二人だけで本当に誇らしかった。でもそれすらもマックイーンに越されてしまったんだ、プライドは木っ端微塵。
だけどそれよりも伝えたいことがあって、どっかのG1レース(天皇賞・春ライスシャワー)で負けた時に、それまで生涯無敗のプライドがあったのに負けたことを素直に受け止められずお前は壊れるだろうなって忠告される。そのタイミングで身震い、振り返るとそこには本気のライスシャワーが立っていて…正面を向き直すと天皇賞・春の舞台に変わっていた。と言ったところで目覚まし時計がなり、史実通りの世界線に戻る。
そしてレースに敗北後、ライアンに『宝塚記念で負けた時におめでとうと言ったけど、本当は悔しかった』と半年越しに話す。自分が勝つのは当たり前ではない、勝ちたいと言う事の再認識した話。
後はメジロパーマーがアルダンとテレビで有馬記念を見ていたけど結末に驚いていたら、アルダンからパーマーが次の有馬記念を取れば良い。今回は逃げの馬に全体が引っ張られていたけど、最後は中段待機のウマ娘が差し切った。
つまり来年は逃げウマ娘への意識が薄れ、前逃げが出来るかもしれない。圧倒的な逃げをしてしまえばいい。正確には全力で逃げている振りをして2番手につけて体力温存。今回でいえばツインターボの後ろを陣取っていたプレクラスニーやダイタクヘリオスの位置で走れば良い。
アニメ二期ではダイタクヘリオスとまだ面識が無い状況なんだけど、何故かヘリオスに惹かれるパーマー。しかし自分は出走資格などないと言えばダイユウサクの生涯を教えられてダイユウサクの作った道を辿れば良いと教えられる。そして翌年の有馬記念でその通りになる話。
サクラチヨノオーとディクタストライカ。チヨノオーはダイユウサクを羨ましがるけど、ディクタストライカは『なら、日本ダービーに挑戦しなければ怪我せず有馬記念に挑戦できて勝利できると言われたら日本ダービーを諦められたか?』と問われて、チヨノオーはそれでも日本ダービーを取ると回答。
ヤエノムテキとバンブーメモリーの、ダイユウサクは自分にとってライバルだった話。
奈瀬トレーナーが自分は関係ないはずなのにレースを見てて背筋が凍りついたとスーパークリークに話す。
シンボリルドルフが全てのウマ娘に幸福になれる時代を目指すと言っていたが、成果が出ず引退するウマ娘達から不幸だった。アンタの言っていることは強い側の理想論と言われてしまう。それを受け止めた上でこれからのウマ娘の未来について思案し続けるのだが、答えは出なかった。
ある日、有馬記念の出走ウマ娘の推薦を行う会議に出席することになり、厳しい剪定の中でダイユウサクの資料が目に止まる。彼女には出走資格があるのでは?と提案したが、他の大人たちはこれを一蹴。
あり得ない、格が下がる、メジロマックイーンの為の有馬記念など言われルドルフはブチギレ。もしレース前から勝者が決まっているのであれば、ギャロップダイナやカツラギエースなど自分に勝ったウマ娘を侮辱する事になる。
レースは2着を決める為に行うものでは無い、どんなウマ娘にも勝利の可能性はある。本音を言えば推薦として候補に上がっているウマ娘全てに挑戦権を与えたいくらいだ。しかし出走枠の数は決まっており、選ばなければならない。この中でダイユウサクの成績ですら通さないなら他に誰を通すのか。
など理詰めをするけど本心はまだオグリ世代は過去の物ではなく今も続いている事を証明してほしかったルドルフとか、藤井貴社の考察とか、色々とあるのに文才のない文章が書けないし文才のある文章が書けないから全没になる…以上