裁判で何が争われているのか


ヤカラたちは手取り5700円の募集に応じたのではないのか!
労働者の権利(日雇健康保険制度)を投げ捨て、ひとりだけ余分に貰おうとするのが稲垣流平等なのか!



「特掃」をめぐる裁判の報告


釜合労-稲垣個人商店が「NPO釜ヶ崎の賃金不払いを裁判所に訴えています」とさんざん宣伝してきた特掃の裁判が20日に行われた。釜ヶ崎からも多くの仲間が「どんな裁判なんだろう」「何が問題なんだろう」と関心を示し、傍聴に詰めかけた。
ヤカラのセンターでの言い分はこうだ。
NPO釜ヶ崎は賃金をごまかし、ピンハネをしている。白手帳(日雇雇用保険)を持っていない者からも天引きしてネコババしている。日雇健保から脱退して役所が払っている健康保険料を賃金として支払わせよう、というものだ。

しかし実際の裁判で争われているのは「賃金不払い」でも「ネコババ」でもなかったのだ。裁判で争われているのは、名目賃金(=保険料などの控除をする前の賃金、特掃では年齢によって変わってくるが雇用保険や健康保険の労働者負担分を引く前の金額)がみんな同じなのが平等か、実質賃金(=実際に受け取る金額)が同じなのが平等かというのが裁判の焦点であった。

誰もが5700円の手取り金額を受け取るのが平等なのか、年齢によって介護保険料を引かれる者、ひかれない者、保険料を一切引かれない者など同じ仕事をしながらバラバラなお金を受け取るのが平等なのか、という争いだ。

NPO釜ヶ崎の理事長が証言台に立ち、まず、かつて特掃を行政に創らせた運動の代表としての立場から、労働者の闘いの過程で特掃の賃金制度がどういうように設計されてきたかを説明した。

一、特掃賃金は、公金=税金を使った事業であるため、府民・市民に理解を得られる金額でなければならないこと。

二、釜ヶ崎の日雇い労働者への雇用対策であるから日雇い労働者の権利の下で行う。具体的には日雇雇用保険・日雇健康保険・労災保険の適用を受けること。

三、釜ヶ崎の昔からの雇用慣習にならい、年齢や体力の差に関係なく同一の金額を手にすることができるようにすること。具体的には老いも若きも、体や精神的な障害を持っていても一日働けば同じ金額をもらうことができるようにすること。
四、そのためには発生する保険料の労働者負担分を行政が肩代わりすること。

そして次に、こうして九四年に創られた特掃の制度-賃金体系は、㈱大阪環境と大阪自彊館によって二〇〇四年まで運用されてきたこと、最終的には二〇〇四年から大阪自彊館分をNPO釜ヶ崎が引き継いだこと、ゆえにNPO釜ヶ崎が創った賃金システムというわけではなく、当時の労働者が求めた賃金体系であったことを明らかにしました。

だから特掃は輪番登録の募集をするときに「手取り5700円」と募集をしています。輪番労働者の個人個人の条件によって異なる名目賃金での募集はしていないことを証言しました。

結局、裁判の争点は、労基署が認定した通り「賃金不払い」や「ピンハネ」などではなく、『賃金論』『平等論』として展開されているようです。センターやインターネット上で「賃金不払い」や「ピンハネ」と強調して言っているのは、ヤカラたちの「元祖貧困ビジネス」にとって目の上のたんこぶであるNPO釜ヶ崎のイメージダウンを狙って言っているだけのようです。

ヤカラたちの弁護士は、反対尋問で「東京では名目賃金がみんな同じでそこから保険料が引かれている。なぜ大阪もそうしないのか」と山谷の『例』を引き合いに出し、鬼の首をとったような顔をしていました。弁護士でも鼻高々に無知をさらけ出すやつはかわいそうなくらいです。

東京(山谷)の制度と大阪のそれには雲泥の差があります。あっちは金持ちの行政が恵んでくれた純粋な福祉制度であり、大阪は府庁・市庁前の野営闘争を何度も繰り返し、生活保護に頼るのではなく「社会(公共)に奉仕する労働をして生活の糧を得る」という労働者の粘り強い闘いで貧乏行政からやっと引きずり出した「闘いの成果」だ。

だから闘いとった賃金にかかる保険料の労働者負担分を行政に負担させ、手取り金額がすべて同じ=平等になるようにしているのだ。

日雇健保の「減免措置」によって保険料がかからなくなれば行政もその分負担しなくなるのは当然です。
わが組合を除名され、一九八〇年の釜合労結成以来一度たりとも違法な暴力飯場、ケタ落ち人夫出しと闘わず、争議を打ったこともない、ただ表面上は法律に縛られて安全な行政や警察署の前でだけ「闘っているパフォーマンス」に明け暮れてきた釜合労‐稲垣に、釜ヶ崎労働者が「特掃」を闘いとってきた意義などわからなくても仕方がないのかもしれない。

ましてや、本に書いてある賃金論しか知らず、「初任給○○万円、手当てが○万円で、これが賃金。そこから税金、社会保険料を引かれるのは当たり前」等と思っている坊ちゃん弁護士に何がわかる。

「賃金というのは決まった金額から、税金を引いて、社会保険を引いて、残った、実質手にできる金額」こそが下層労働者の賃金であり、給料なのだ。

下層労働者は経営者と交渉するときに「いくらぐらい欲しい」と聞かれ「○○万円欲しい」と手取り額で交渉する。経営者はそれを逆算して額面の給料を決めるのだ。法律的「賃金論」からしたら逆だがワシら下層労働者の実態はそんなもんだ。だから実際に手にする金額がだれでも同じ金額であることが釜ヶ崎日雇の「平等感」なのだ。四〇年間も働きもせずに生活してきたヤカラには理解できないだろう。
特掃はヤカラが言うような『棚からボタ餅』ではない。まわり数を増やすのも、予算を増やすのも運動-闘いがない限りなしえない。

ヤカラたちは特掃が始まって以来、自らの体を使って特掃の維持・増加のために貢献したことがあるのか。輪番労働者の多くは自ら運動に参加してきたのだ。来年度は緊急雇用も打ち切られ、厳しい状況が予想されます。

勝ち取った制度を全力で守り抜き、発展させましょう。