ウッキーのブログ

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→         『対話』が大事なんだよね!

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ブタバラを口いっぱいでほうばってたら、奥歯に違和感。


だんだん痛くなってきて、


こんな時って、良くないと思ってても、爪楊枝で触っちゃうんだよね。


そしたら、詰め物がぽろっととれて、よけい痛なった。


こりゃ、もうダメや思って、すぐ歯医者さんに電話。


「我慢できんほど痛いです」ってちょっと大袈裟に言ったら、


夕方の予約が取れて、二年ぶりに行きました。


先生が見たら、即「抜きますね」。


麻酔打たれて、5分ぐらいしてから、えらく簡単に抜歯。


虫歯でぼろぼろでした。


先週金曜日のことです。

をここんとこしてたんだけど、


電動ろくろを一定の回転速度で回したまま、


同じ湯飲みを量産しようと、


けど、いまいちだった。




やっぱ、蹴りろくろの方が相性いいかも、


MAX回転から徐々に回転数が落ちていく、


最後、止まりそうになるころ、


ぎりぎりでできましたみたいな、


湯のみ一個の中に、始まりから終わりまでの流れがある、


そんなとこがいいんだよね。



とりもどせるのか。


失うことの逆回しをすればいいと思う。


つまり、中身のある会話をして、自分自身の中身を増やせばいい。


会話の相手に中身があれば、相乗効果で互いの中身が増していく。


ってことは、自分よりも中身がある相手を探さなければならないが、


てっとり早いのは、自分がまず「良き対話者」宣言をする。


『あなたの話を聞かせてください、わたしは真剣に聞きますよ。』


という姿勢をしめせば、きっと中身のある人が寄ってくる。


これが、本来のコミュニティだと思う。


中間集団を市民社会の中に取りもですことの重要性は、


こんなとこにもあるんだと思うよ。







失われてしまうのか。


なぜ、中身のない言葉やフレーズだけが流通するのかってことだけど。


例えば、「絆って大切だよね」と言われれば、「そうですね」としか返事できない。

「あなたの言う絆の中身って何?」って聞くのは僕だけ。(だから面倒くさがられる)


手っ取り早い共感が優先される会話において、

無難なフレーズは重宝されるので仕方ないけど、


"本物の共感”を目指す『良き対話者』は会話の中身をいつも気にするので、

ワンフレーズごとに考えてしまう。(これも面倒くさがられる)


TVでマスコミや政治家の発言を聞いてると、

中身がないフレーズが氾濫してるから、

これがあたりまえになっちゃったんだね。


でも、そんなところに共感を"強制”されてるような違和感を感じてしまう。


絆って大切だろ、絆を結ぼうとしないやつは非国民だ。

だから、募金やボランティアに協力しろ、みたいな。


つまり、手っ取り早い共感には支配的な構造が隠されてるわけよね。

これに共感しない人は仲間に入れてあげない、みたいな。


権力者の巧みな戦略なのかね。

ほんとは力量がないくせに権力を持った連中は、

嫌われるのが怖いから、姑息な手段を使う。

最悪なのは、そのことの自覚もないことだけど。


仲良しごっこを目指す社民主義者やリバタリアンの中身は空っぽなのか。


これもすべてアラフィフの「しらけ世代」である私たちの責任です。


内実のない者の言説や振舞いには、やはり内実は伴わないのですね。








終了しました。


今回は、小窯で酸化。


中身が多かったので、少し時間がかかりましたね。


10時ごろ1230℃をトップに、


ガス圧を落として酸化冷却を1時間。


昨日、火を入れるのが朝7時だったから、


27時間焼いてたことになる。


最近の窯の倍ぐらい時間かかってんちゃうかなー。


中身にとっては、きっとこのほうが良いんだろうけど・・・