失われてしまうのか。
なぜ、中身のない言葉やフレーズだけが流通するのかってことだけど。
例えば、「絆って大切だよね」と言われれば、「そうですね」としか返事できない。
「あなたの言う絆の中身って何?」って聞くのは僕だけ。(だから面倒くさがられる)
手っ取り早い共感が優先される会話において、
無難なフレーズは重宝されるので仕方ないけど、
"本物の共感”を目指す『良き対話者』は会話の中身をいつも気にするので、
ワンフレーズごとに考えてしまう。(これも面倒くさがられる)
TVでマスコミや政治家の発言を聞いてると、
中身がないフレーズが氾濫してるから、
これがあたりまえになっちゃったんだね。
でも、そんなところに共感を"強制”されてるような違和感を感じてしまう。
絆って大切だろ、絆を結ぼうとしないやつは非国民だ。
だから、募金やボランティアに協力しろ、みたいな。
つまり、手っ取り早い共感には支配的な構造が隠されてるわけよね。
これに共感しない人は仲間に入れてあげない、みたいな。
権力者の巧みな戦略なのかね。
ほんとは力量がないくせに権力を持った連中は、
嫌われるのが怖いから、姑息な手段を使う。
最悪なのは、そのことの自覚もないことだけど。
仲良しごっこを目指す社民主義者やリバタリアンの中身は空っぽなのか。
これもすべてアラフィフの「しらけ世代」である私たちの責任です。
内実のない者の言説や振舞いには、やはり内実は伴わないのですね。