世界史未履修問題~僕の母校はクロ!?~ | 岐阜で働くサボリーマンのブログ

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学習指導要領(高校、社会科の部分を抜粋)

高等学校の地理歴史科は、世界史AまたはBの1科目、日本史AまたはB、地理AまたはBから1科目を必ず履修。
高等学校の公民科は、現代社会の1科目または倫理、政治・経済の2科目を必ず履修。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%8C%87%E5%B0%8E%E8%A6%81%E9%A0%98#1992.E5.B9.B4.EF.BD.9E




富山県の高校が必修である世界史の授業を生徒に受けさせていなかったことを皮切りに、全国で世界史の未履修が問題となっていますね。



僕ですか!?


















世界史なんて受けてませんよ!!



高校の頃は、1回生時に政治経済、2回生時に地理、日本史、世界史の中から1科目選択し受講、3回生時は2回生時のときに選択した授業を引き続き受講。
僕は日本史を選択したので、1年生のときは政治経済、2,3年生のときは日本史。
世界史は1時間も受けたことがありません。
というか、今回の“事件”で初めて世界史が必須なのを知りました。
てっきり日本史か世界史のどちらかを選択すれば良いものだと思っていたから。
そういえば、世界史の資料だけは貰った記憶があります。
でも、世界史は何もわかりません。
中学校で習った程度、それも今となっては記憶がアヤシイ。






これって、アウトですかねぇ??
なんかアウトっぽいですよね……。




今でも高校の社会の先生とはしょっちゅう会うんで聞いてみようかなぁ……でも、恐い気が。





現在の高校3年生は未履修の世界史70時間分の補習をやるということらしいんですが、卒業した人たちってのはどうなるんでしょうか?
まさか、高卒取り消し?
だとしたら、もしも僕の高校がクロだった場合は、僕は大卒どころが中卒になっちゃう可能性だってあるんじゃないの?
既卒生はOKで、今年卒業の子達だけあかんってのは不公平でオカシイな話しだし、かといって既卒者全員の高校卒業を取り消すのはなんか現実的でないような(全国で何万人、何十万人と居ると思う)。
その辺、気になります。



ちなみに、指導要領には「高等学校の公民科は、現代社会の1科目または倫理、政治・経済の2科目を必ず履修。」とあるんですが、これは「政治経済を授業としてやる場合、倫理も絶対やりなさいよ」ってことなんですよねぇ?




僕、倫理の授業も受けてないんですが。
高校、少なくとも僕がいた学科には「倫理」という名の授業が無かった。
例によって、倫理の教科書を配布。





となると、僕らは「世界史」と「倫理」の2つの科目を取りこぼしているということになるのですか。
ちょっとビックリしちゃいますよ。



僕の母校もニュースで流れちゃうことになるんでしょうか。


全国でこういったことがドンドン明るみになっているってことは、慣行化されてたってことですかねぇ。
確かに僕の場合、国語、英語、理科(生物、化学)、数学(数学IA、IIB)、社会(政治経済、日本史)の科目を勉強してきたわけで、これでセンターも対応できたわけで、世界史は必要なかった。
ということは、世界史というのは“大学受験対策”という観点からは全く無用の長物であるわけです(あくまで“大学受験対策”としては。そりゃ、世界史の知識ってあった方がいいし、学んだ方が良いと思いますよ)。

教育の骨組みと計画を作る文科省=御上と、生徒や保護者のニーズ(大学に合格したい)に答え、生徒を大学に入れ、学校の実績もあげる為に大学受験という現状に対応しなければならない学校=現場との考え方、認識、理想の違いを感じさせる出来事だと感じました。



今後、どうなっていくのか気になるところです。
僕らって、やっぱり卒業取り消しになっちゃうのかなぁ?

指導要領が持つ法的拘束力を何処まで有効にするのか。
今年度卒業する子達には補習を受けさせるのか免除させるのか。
難しいところで、補習を受けさすなら、去年あるいはもっとそれ以前に卒業した僕ら既卒者はどうするのか。
既卒者全員に補習を受けさせるということでもするのか(現実的に無理)
補習を受けさせない、何も措置はとらないということなら、指導要領が持つ法的拘束力は何なのか?という話になってしまいますよね。
指導要領を破っても良いなんて文科省は口が裂けても言えないハズ。

落とし所が難しい問題ですなぁ。




<余談>
受験対策を高校でやらざるを得ないってのもなんだかなぁという気がします。
勿論、受験があるから高校でも受験対策はすべきだと思います。
しかし、センター対策だといってマーク式の演習問題をただひたすら生徒にやらせる。
受験に必要なだけの知識を詰め込ませる。
これが果たして本当に生徒にとって学問となり得るんでしょうかねぇ。
要は、大学受験の方式とかあり方ってのもなんか考えて欲しい気がするんです。

ただ、受験で役に立ったものといえば小論文は今でも大学でレポートを書く際には活きていますね。
多分。受験対策として小論文をやっていなかったら、大学の某木曽ゼミの成績はとっても悪かったと思う。

あと、特徴のあった学習指導としては、日本史で口頭試問があったんですよ。
キーワードが与えられ((例)645年 大化の改新 飛鳥 蘇我入鹿 藤原鎌足 中大兄皇子 蘇我蝦夷 これで大化の改新について説明しろってことですな )、それを全て用いて文章を作り、口頭で発表するというもの。
僕の部活の顧問で、副担任で、詳論指導で、今でも縁があるS先生が独自にやってたんですけれども。
現役のときはこれがイヤでしかたなかった。
でも、叩かれ続けて、繰り返すうちに知識がインプットされる。
レジュメでまとめるから整理もできるし、口頭試問ですから日本語も上達する(あのときに叩かれなかったら、今でも日本語の文法に対して無頓着だったかもしれません。大学でレポートを書けない人間になっていたかもしれません。)。
今考えると、かなり有効な勉強法だなぁと思います。ただ、生徒からは不評だったので途中から廃止されましたが(苦笑)