<プロレスラー>三沢光晴さん死亡 試合中倒れる 広島
6月13日22時1分配信 毎日新聞
 13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレスリング・ノア広島大会で、試合中にノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送された。広島県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認された。同署は主催団体や対戦相手などから事情を聴いている。

 大会関係者や観客によると、三沢さんはこの日タッグマッチに出場。相手のバックドロップを受けて頭を強く打ち、動けなくなった。レフェリーが三沢さんに「動けるか」と聞いたが、三沢さんは「動けない」と答えた。試合はそのまま中断。「医師はいませんか」との呼びかけに応じて出てきた観客の男性がAED(自動体外式除細動器)で蘇生を試みたという。当時、約2300人の観客がいた。

 三沢選手は栃木・足利工大付高でレスリング部に所属し、81年に全日本プロレスへ入門。84年にマスクマンのタイガーマスク(2代目)となり、人気を博した。90年からはマスクを脱ぎ、本名でファイト。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田両選手(ともに故人)に次ぐエースとして活躍した。06年に全日本を退団してプロレスリング・ノアを設立し、社長を兼務。受け身のうまさには定評のあるレスラーだった。

 試合会場では、観客の看護師、竹本麻紀さん(31)=東広島市=は「子どものころからプロレスが好きでよく見に来ていた。まさかこんなことになるなんて。早く元気になって帰ってきてほしい」と涙を流しながら語った。広島市安佐南区の男子大学生(20)は「バックドロップで頭を打って意識不明になった。救急隊が長い間、心臓マッサージをしていた。三沢さんは試合中、頭を振る仕草を見せ、調子が悪そうだった。死なないで」と祈るように話した。【加藤小夜、星大樹】

 ◇男子プロレスで死亡、00年に初の事例

 日本にプロレス興行が根付いた1953年以降、国内での試合中の事故が原因で死亡したのは、97年にJWP女子プロレスのプラム麻里子さん(当時29歳)が最初。相手の技を受け、頭部を強打したものだった。男子では00年に、栃木・足利工大付高レスリング部で三沢さんの後輩となる新日本プロレスの福田雅一さん(当時27歳)が同様に頭部を強く打って死亡したのが、初の事例となった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090613-00000097-mai-soci

三沢光晴が死亡、試合中に倒れる=ノア
6月14日0時0分配信 スポーツナビ
 プロレスリング・ノアの「Southern Navig.’09」が13日、広島グリーンアリーナで開催され、メーンイベントに出場した三沢光晴(46)が試合中に倒れ、搬送先の病院で死亡が確認された。

 各報道によると、三沢は対戦相手の齋藤彰俊のバックドロップを浴びた際、頭から落ちて動けなくなった。その後、リング上でAED(自動体外式除細動器)で蘇生措置を施され、広島大学病院に救急搬送されたが、同10時10分に死亡が確認された。

■プロレスリング・ノア「Southern Navig.’09」
6月13日(土) 広島グリーンアリーナ

<第8試合 GHCタッグ選手権>
[王者組]バイソン・スミス、○齋藤彰俊
(27分03秒 レフェリーストップ)
[挑戦者組]●三沢光晴、潮崎 豪
※バイソン&齋藤組が3度目の防衛に成功

<第7試合 6人タッグマッチ>
秋山 準、小橋建太、○谷口周平
(17分47秒 原爆固め)  
佐々木健介、森嶋 猛、●宮原健斗

<第6試合 シングルマッチ>
○高山善廣
(10分28秒 エベレストジャーマンスープレックスホールド)
●クリス・ヒーロー 

<第5試合 タッグマッチ>
力皇 猛、モハメド ヨネ
(13分23秒 キン肉バスター→片エビ固め)
田上 明、相島勇人 

<第4試合 タッグマッチ>
KENTA、●伊藤旭彦
(13秒09秒 ブルーディスティニー→片エビ固め)
○鈴木鼓太郎、平柳玄藩 

<第3試合 6人タッグマッチ>
○杉浦 貴、小川良成、石森太ニ
(16分36秒 足首固め)
佐野巧真、リッキー・マルビン、●井上雅央

<第2試合 シングルマッチ> 
○中嶋勝彦
(11分36秒 高角度原爆固め)    
●ボビー・フィッシュ 

<第1試合 シングルマッチ>
○金丸義信
(6分26秒 後方回転エビ固め)
●青柳政司(誠心会館)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090613-00000019-spnavi-fight


三沢光晴 - Wikipedia
プロレスリング ノア - Yahoo!ニュース
三沢光晴 - Google 検索
三沢光晴 - Google ニュース
2ch検索 [三沢光晴]

PRO-WRESTLING NOAH OFFICAL SITE


ニュースを見ていて、訃報を知った・・・

うそだ・・・・絶対うそだ・・・・・信じたくない・・・・・・・・。
大好きなのだよ、三沢さん
タイガーマスクで活躍してた頃からさ
マスクを脱いだ試合も テレビで見てた

なんてこった・・・・・・・。



今はまだ、冥福を祈ろうなんて気持ちになれない
・・・・突然過ぎるよ みさわぁーーーーっ

神様のいぢわる・・・・合掌。



でもやっぱり、ワケワカンナイ
信じられないし、信じたくないもん。


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局の独り言。-訃報ノアが訃報を配信、三沢さん死亡で
6月14日4時3分配信 スポーツナビ
 プロレスリング・ノアは14日深夜、13日夜に広島で行われた試合中に倒れ、死亡が確認された三沢光晴代表の訃報をファックスにて配信した。
 記載された死亡時刻は先般の報道で伝えられているとおり13日の10時10分。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090614-00000000-spnavi-fight

川田、永田らレスラー仲間ショック…三沢光晴さん急死
6月14日8時0分配信 スポーツ報知
 「まさか…」「信じたくない」-。13日の試合で頭部を強打し死亡したプロレスラー・三沢光晴さん(46)。突然の悲報に、同僚レスラーや親交のあったマット界関係者は一様に言葉を失った。

 初代タイガーマスクとして活躍した格闘家の佐山サトルさんは「プロレスの結晶が、また消えてしまった」と語る。昨年の12月に2代目である三沢さんと初めての「タイガー対決」が実現。「今から思えば、それがせめてものこと。2人とも年をとって体も重くなってしまっていたが、でもまだまだやれると確認し合ったばかりなのに…」

 足利工大付高レスリング部の後輩で、三沢さんがノアを旗揚げした際には、全日本に残留して団体を支えた川田利明(フリー)は「信じたくないし、信じられない。それしか言えないです」と言葉少な。

 マット界では三沢さんの下の世代にあたり、ノアとの交流戦という扉を開いた、新日本の永田裕志は「突然のことで、言葉も出ません」と言うのがやっと。「今年の東京ドーム大会の前日、1月3日に、東京ドームホテルでごあいさつさせて頂いたのが最後でした。ただただ悲しみがあふれるばかり…。きょうはこのくらいで勘弁して下さい」
小島「言葉出ない」 全日本の小島聡は「急なことでビックリしてしまって言葉が出てきません。ご冥福をお祈り致します」。新日本の中邑真輔は「1月4日に戦ったのが最後。ノアの試合に参戦するときは、ノア=三沢さんだという気持ちでやってきました。ノアの最後のとりででした。目標にやってきただけにとても残念です」と、無念そうに語った。

 K-1プロデューサーの谷川貞治氏は「言葉が浮かんでこない」と、ぼう然。「経営者として同じ立場の人間としてみていた。地上波の打ち切りなど、いろんな問題があったと思う。心労も重なって、気持ちは痛いほど分かる。本当に残念」とした。

 今回の悲劇で大きな危機を迎えることになるプロレス界。佐山氏は「それだけハードで過酷な世界だということ」としながらも、「ここでプロレスを終わらせたらいけない。その責務を痛感しています」と強調した。

 ◆きょう新日本・後楽園大会で10カウント 蝶野は無言… 三沢さんと同世代でプロレス界をけん引してきた新日本プロレスの蝶野正洋(45)はコメントを差し控えた。関係者によれば三沢さんの悲報にショックを隠せないようだったという。14日には新日本の東京・後楽園ホール大会があり、10カウントゴングの黙とうが行われる予定で、6月シリーズ不参加の蝶野も来場して三沢さんの冥福を祈るという。

 ◆三沢さんの得意技 打撃系はエルボーパット。回転式、マシンガン式、ダイビング式などバリエーション豊富で、三沢さんの攻撃力を支えた。投げ技の代表格はエメラルドフロウジョン。相手をボディースラムの体勢で右肩に抱え上げ、脳天から突き落とす。これを改良したのが、ブレーンバスターの体勢から抱え上げ、同じ形で突き落とす変形エメ・フロ。落差が増し、より破壊力が増す危険な決め技となった。このほかタイガーマスク時代に編み出したタイガードライバー(相手を空中で一回転させてから背中からマットにたたき付ける必殺技)も有名。高い身体能力を生かしたフライング・ラリアット、エルボー・スイシーダの飛び技も破壊力十分だった。

 ◆三沢さんのプロレス人生
▽1962年6月18日 北海道・夕張市生まれ。
▽81年3月 全日本プロレスに入門。
▽8月21日 同期の越中詩郎との戦いでプロレスデビュー。
▽10月 シングル戦初勝利を果たす。
▽84年7月 遠征先のメキシコから極秘帰国後、2代目タイガーマスクに。
▽8月 ラ・フィエラとの一戦で“タイガーマスクデビュー戦”で見事勝利。入場曲は「スパルタンX」。
▽85年8月 NWAインターナショナルジュニアヘビー級王座を獲得。初のシングル王座に。
▽86年11月 世界最強タッグ決定リーグ戦にジャイアント馬場とのタッグで初出場。
▽88年5月10日 結婚。同時にタイガーマスクの正体を公表する。
▽89年3月 NWA世界ヘビー級王座戦で敗戦。左ひざのけがが深刻化し、手術を受けるために長期欠場。
▽90年1月 リングへ復帰する。
▽5月14日 冬木弘道(故人)らとの試合で、執拗(しつよう)にマスクをはぎ取られそうになり、自らマスクを取って突進。素顔に戻る。
▽92年8月 ハンセンとの3冠統一ヘビー級王座を奪取。第10代王座に就く。
▽99年5月 全日本プロレス社長に就任。
▽2000年6月 全日本プロレスに退団届を提出。
▽7月7日 三沢さんがつくった新団体を「株式会社プロレスリング・ノア」として登記。
▽8月5日 ディファ有明で旗揚げ戦開催。
▽01年4月 初代GHCヘビー級王者に。
▽07年12月10日 初のプロレス大賞・最優秀選手賞を受賞。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090614-00000117-sph-fight

三沢光晴が死去、対戦相手の齋藤彰俊への非難続出/ニュースウォッチ










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朝起きたら 事実がひっくり返るなんて事があり得るわけも無く・・・
少しずつ事実と見られるようになってきたものの

とにかく対戦相手であった齋藤彰俊は止めよう
本人だって ものすごく傷ついてるはずだから。


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