科捜研の女16 第14話 感想ではなくて余談と潮汐の解説 ネタバレ結構あり | == 肖蟲軒雑記 ==

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ツボに籠もっているタコが、「知っていても知らなくてもどっちでも良いけど、どちからというと知っていてもしょうもないこと」を書き散らすブログです

 諸般の事情で感想記事(余談記事)が後手後手にまわっている。全て必ず書くつもりだが、どこかで時間進行を合わせた方が良いと考え、1113話は後回しにして216日放送の14話の記事を先にアップすることにした。

 

 今回(といってももう1週間前)は京都ならではの寺院、天剛山泉国寺での事件であった。ロケ現場が、放火で燃えかけたり、記憶喪失の男が一時掃除の仕事をしていた善遍寺と同じであることを指摘するのはヤボというものかもしれない。かなりの頻度でロケに使われるこの寺院がどこにあるのかは、テロップでも流れないのでよくわからないのだが、ドラマ中泉国寺の本山、龍道院として登場した寺院のロケは、京都山科の随心院というところだ。公式サイトによれば、快慶作の金剛薩捶菩薩坐像(重要文化財)など平安期〜江戸期の仏像だけでなく、狩野派による襖絵など数多くの文化財があるらしい。

 仏像というと、今回登場した泉国寺の「涙を流すご本尊」だが、印相からみて阿弥陀如来坐像であろう。榊マリコ(沢口靖子)が近づいて見た時にアップで写る螺髪を見ると、一つ一つを丁寧に渦巻きに形作っているわけではなく、ただの丸い塊を貼り付けているだけのような造作であることや衣の文様、特に膝下のところが簡略な造りであるところなどから、(撮影のために作った模造品というと身も蓋もないが)古いものではないことがわかる。寺院自体は厄除弘法大師の寺として古い創建という設定だが、当初のご本尊は歴史の中でなくなってしまったということであろう。

 寺院建築本来の造りを考えると、金銅仏の金属表面に結露するほど湿気が溜まるものだろうか。仏さまの不思議ということでも構わないのかもしれないが、実際問題としては、近年の改築により建築の密閉性を上げた結果結露するようになった、という結構新しい伝説の類いと考えた方が良さそうである。

 

 さて、今回の住職、西念義助(田山涼成)は、穏やかな雰囲気の善遍寺住職泉川祥英(佐川満男)とは異なり、一見型破りな人物として描かれていた。父親も同じ寺院の住職であったにもかかわらず、言葉遣いが東京弁になっているのはともかく、いくつかの台詞に少々仏教者とは思えない言葉が散見されるのが気になる。

 弘法大師といえば真言宗だが、「願掛けしたのさ。欲深い連中に天罰を降して下さいってな」は、「加持祈祷したのさ。仏罰を降して下さい」ではないだろうか。また、真言宗にも念仏という行はあるようだが、「仏が出たんだ。まずは念仏」というのも、浄土真宗や浄土宗の僧侶を連想させてしまう。まあ、仏僧に対する一般的な理解の範疇といえばそれまでなのだが。

 

 そして、今エピソードのテーマなのかもしれないが、「衆生を救えるのは御仏のみ。人間の分際で人間を救いたいというのはただの煩悩」というのは理解できるとしても、「科学の力で真実を解き明かす。真実だけが人を救う」という榊マリコに対して西念義助が語る「わからないことをわからないままにしておく。それが本物の賢さ」という言説は、彼女に対するアンチテーゼにはなっておらず、底の浅い人物設定の台詞としか思えない。特に、「事故の原因が謎のままなら怨みも生まれずに済んだ」とか「真実ってエいうものは誰も救われないものだな」などというのは、「臭いものに蓋」ということを、いささか高級に聞こえるよう言い換えているようにしか聞こえないからだ。

 

 さて、ドラマでは堀川学院大学理学部教授小柳良晴(冨家規政)が勘違いから保科桃子(平田舞)を庇おうとして死体遺棄・証拠隠滅・建造物侵入などの犯罪に手を染めた。自分の子を死なせた事故の原因を、彼は自らの専門を駆使して探ることで、被害者が経営する帝進建設に怨みをもつようになったと描かれている。怨みかどうかはともかく、行き場のない気持ちを彼は取調室でこう語る。

 「真実を知ったせいで人は道を踏みはずす。本当の罪は真実を告げた私にある」しかし、そう語る彼の気持ちを救ったのは宇佐見裕也(風間トオル)の言葉だ。宇佐見は「地下水脈に関するレポートを世に出し」、それが科学や技術に携わる人に警鐘をならす形で貢献することを思い起こさせるのだ。研究結果を公表するという科学者として当然の振る舞い(人ではなく人の営みと言い換えることもできる)に思い到らせ、それが小柳の心に届いたという描き方に非常に好感を覚える。また細かい話だが、宇佐見が「科学や技術」ときちんと区別していることも良い。

 

 このことを指しているのかどうかは不明だが、西念住職も最後には榊マリコに「オレも教授もあんたが科学で突き止めた真実に救われた。人を救えるのは仏さまだけじゃあねえんだな」と和解にとれる台詞を口にしていた。

だが私なら

「オレも教授もあんたが科学で突き止めた真実に救われた」に続けて

「謎のままにしておくのではなく、真実がいかに辛くてもそれに向き合う道を探すのが御仏の救いなのかもしれんなあ。まあ、オレもまだまだ凡夫ということだな」と言わせたいところである。それこそが、科学と仏教の共に並ぶ姿ではないだろうか。

 

 

 ところで、今回「密室」を作りだした潮汐による地下水の変動。調べてみると結構古くから知られている現象のようである。入手できた報告書にあった岐阜県の木曽三川沿いの場合、海に近い四日市では1メートルレベルの水位変動があるのだが、内陸の海津市五町などになると数センチメートル程度にある。周期の分析から、原則として海の潮汐に連動してはいるものの、岩盤などの伸び縮みも影響があるようにも思える。これ以外の多くの論文については、タイトルをざっと見ただけに過ぎないが、海沿いの井戸の水位が問題になっていて、京都などの内陸部についてはよく分かっていないようだ。だからこそトリックに使うことができるということかもしれない。

 

 また、下のサイトにしか行き当たることができなかったが、これによれば琵琶湖の潮汐は、せいぜい1cm程度なので観測できるかどうかはわからないとのことだ。

 

戸田孝の私設琵琶湖博物館

 

 さて、そもそも潮汐はどのように起こるのだろうか。ドラマでは月と太陽の位置関係、月の引力が原因と説明されていた。月と太陽が地球を挟んで対称の位置にある満月の時にはこの説明でよいだろう(下図の上)。だが、もし引力だけが要因だとすると、新月の場合は太陽と月の引力は同じ方向から作用することになり(下図の下)、二つの天体がある側にのみ海水は大きく引かれ、倍以上の干満の差がでてくることになる。そして一日に2回満潮(と干潮)が新月の日に訪れることの説明ができない。


 

 

 実際のメカニズムはこうなる。

 

 

 

 月と地球は、上図でGと示した共通重心の回りを公転している。図では分かりやすくするため地球の外側にGが描かれているが、実際は両者の質量が著しく異なっているため、Gは地球の内部に位置している。従って、月が地球の回りを廻っていると言っても差し支えない。

 

 

 

 この公転の結果、地球には月からの引力以外に遠心力(慣性力だが分かりやすくするため遠心力と呼ぶ)が作用する。上図に示すように、遠心力は地球上のどこをとっても同じ大きさで作用しているのに対して、月の引力は月の中心(重心)を向き、月から遠ざかる程小さい。つまり月から見て裏側が最小。引力と遠心力は全体としては釣り合っているが、部分的にはどちらかが優ることになる。この差が下の図のように潮汐力になる。

 

 

 

 この図(右にある月は省略されている)を見るとわかるように、月に面している側では遠心力よりも月の引力が強いため、海水が地球の表面から引き上げられるように力が働き、海面が持ち上がる。月から見て裏側では月の引力は最小になり、遠心力が勝る。その結果、月に面した側同様、海面が持ち上がり、どちらでも満潮になる。そして、図では上と下の縁では遠心力に対して月の引力はほぼ釣り合うが、引力は月の重心に向かう結果、やや斜めに傾き、合力は海面を引き下げる方向に働く。ここで干潮が起きるのである。

 

 太陽と地球との関係も、地球と月との関係と同様である。地球と太陽の公転も厳密には月と地球の関係のように互いに回り合っているのだが、質量の圧倒的な違いにより、地球が太陽の回りを回っていると言ってよい状態なのである。それはともかく、力としては太陽の方が月よりも遙かに遠くにあるため、影響としては約半分にとどまる。この太陽の影響は、月が太陽に対して90度の位置(つまり半月の時)に互いの潮汐力を相殺するように働くことになる。結果、新月と満月の時には大潮(潮の満ち引きが大きい)、上弦と下弦の半月のときには小潮(潮の満ち引きの差が小さい)が生じる。

 

 

 さて、この潮の満ち引きが12時間ごとに起きるのは、下の図のように地球が自転しているからだ。自転に伴い、地球上のある地点Xは西から東に動く。その結果、月(この図の場合満月)は東から西に動くように見え、だんだんと高くなるに従い、潮汐力が強い所に移動してくる。月が最も高くなる(つまり真南にくる)真夜中に潮汐力は最大になり海水は最も上に引かれる。おなじことが反対側でも起き、ほぼ正午に海水は上に引かれる。


 

と、ここまで(ガマンして)読んであれれ?と思った方、観察眼と記憶力の良い方です。「たしか、大潮の時の潮干狩りって、お昼頃に干潮になるのじゃあなかったっけ?」

 

その通りです。

 図の下に書いた簡単な計算は、赤道部分での地球の周囲長(39,600 km)とそこから求められる最大潮汐力になる地点の移動速度である。地上の各地点は秒速460m(音よりも早い)で移動しているのだ。海水がこの移動する潮汐力に瞬時に反応すれば問題はないのだが、水に粘りけがあるため、引きずられるようにしか動くことができない。そのため、海の真ん中で起こった海面の高さ変動は遅れて岸に伝わることになる。この遅れのことを高潮間隔と呼ぶ。この値は、海底の地形、陸地の形など様々な原因によって決まる複雑なものであるが、港など主要な観測点ごとに平均的な値が求められている。

 

 

 たとえばこのページを見ると、太平洋側の静岡県の場合、約56時間遅れている。従って、満月(新月でも良い)の大潮の満潮は明け方と夕方になり、潮干狩りをする干潮は昼頃(と夜中)になるわけである。

 

 遺体発見現場となった土蔵でのトリック種明かしの場面(事件発生が満月の夜なので、解決までに2週間かかっている)。榊マリコは言う。

「満潮時刻は午後311分。今まさに私たちの頭上で太陽と月が一列に並び、この地面の下ではビル建設のせいで集中した多量の地下水が、太陽と月の引力によって満潮のタイミングを迎えています」

 

「太陽と月が一列に並ぶ」というのはいかにも文学的で榊マリコの台詞にはそぐわない。そもそも一列に並んだら日食だろう(というツッコミはヤボというものだが)。それはともかく、彼女の示した311分というのは、高潮間隔によって得られている(恐らく)舞鶴港の潮位である。

 

気象庁のHPに入り

ホーム>各種データ・資料>海洋の健康診断表>潮汐・海面水位データ>潮位表

 

とたどると舞鶴港の今年の潮位表が得られ、このことが確認できる。これによれば確かに226日の満潮時刻は(116分と)1511分である。(他の満潮時刻や干潮時刻が微妙に異なるのだが)ここまでは良い。

 

だが、京都盆地の地下水が日本海の潮汐の影響を受けているとすると、もっと遅れておこらなければならない。また仮に日本海とは無関係に起きていたとしたら、それこそ太陽と月が頭の真上にある正午ごろに土蔵の異常現象がおきていなくてはならないのだ。

 ドラマとしての筋立ては結構面白いものがあった。だが、時刻の設定はともかくとして、私としては上記場面では榊マリコ

「今まさに私たちの頭上で太陽と月が同じ方向から作用を及ぼし、集中した大量の地下水が、海で言えば満潮になるタイミングを迎えています」

と言ってもらいたいところであったと感じるのである。

 

【参考文献】

道田豊ほか3名著「海のなんでも小事典 潮の満ち引きから海底地形まで」講談社Blue Backs B-1593 (2008)

今枝宏之ほか2名「西濃地域における地下水位と潮汐変動にもとづく地盤構造の推定」 土木学会中部支部研究発表会 Ⅲ-16 (2008)

池田幸夫ほか2名「高校地学教科書に見られる潮汐現象の説明とその問題点」科教研報 23 p17-18 (2008)