科捜研の女15 第2話 感想というより余談、むしろ蘊蓄か ややネタバレ有り(改訂版) | == 肖蟲軒雑記 ==

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ツボに籠もっているタコが、「知っていても知らなくてもどっちでも良いけど、どちからというと知っていてもしょうもないこと」を書き散らすブログです

前記事 の最後にも書いたように、光に関わる盛りだくさんの内容である上に、犯人も犯人の動機も一ひねりしてある、とても面白いエピソードだった。

 

 いささか旧聞に属するが、2008 年のノーベル化学賞 を覚えているだろうか。授賞対象は、「緑色蛍光タンパク質の発見と開発」。日本の下村脩、アメリカ合衆国のマーティン・チャルフィロジャー・ツェンが受賞者であった。この研究は、生命科学、特に細胞生物学の分野の研究を飛躍的に発展させるものだった。細胞の中での振る舞いを知りたい特定の分子に遺伝子工学の手法を用いて蛍光タンパク質をドッキングさせて、リアルタイムでの変化や動きを直接見ることが容易になったからである。

 

 光は我々の日常にごく当たり前にある存在だが、その本質を理解しようとするのはかなりやっかいだ。まず、波の性質と粒子の性質をあわせもつというところがややこしさの出発点かもしれない。微小な粒々が波のように動いている、などと考えてしまい頭が痛くなる向きもあるだろう。まあ、そのあたりは「そんなもんだ」と割り切って、まずは粒の方から。

 

 粒は光子(フォトン:photon)という名がついている。光子はエネルギーをもち、ぶつかった物質(分子、原子)はそれをもらって興奮状態になる(専門的には励起される、という)。この興奮状態は不安定な状態であり、もとの状態(基底状態)に戻ろうとするのだが、特定の物質では、戻る際に光(つまり光子)としてエネルギーを放出する。最初にもらったエネルギーは熱などの形でも放出されるため、このとき出る光はもらったものよりも少しだけエネルギーが低い。この光のことを蛍光と呼ぶ。

 

 そして波の性質。光のエネルギーの大小は波長(規則的な波の山と山の間隔、谷と谷でも同じ)にあらわれ、エネルギーの大きな光ほど波長が短い(波がギュッと詰まっている)。ドラマの中の図にもあったように、我々の目が検知できる可視光の場合、最も短い波長の色は(波長380nmあたり)であり、ついで、と長くなり最長は750nmあたり)である。

 冒頭、壁に描かれた蝶の絵はブラックライトで照明して見つかった。科捜研の研究員たちが保護メガネをかけて検証にあたっていることを考えると、使っているブラックライトの波長は人体に有害な短波長側の紫外線を含むものだろう。画材となった洗剤(の蛍光増白剤の分子 )は、この領域の紫外線を吸収し、これより波長の長い紫~青の蛍光を発しているのがドラマでは見えているのである。

 なお、蛍光物質ごとに波長特性は大きく異なる。緑の光を吸収して赤い蛍光を出すものもあれば、青い光を吸収して黄色く輝くものもあるのである。

 

 


 ところで、被害者であり絵の描き手でもある久保美也子柊瑠美)にとって、この絵はどのように見えていたのだろうか。蛍光を発している画像の印象が強いため、彼女にもそのように見えていた、と思ってしまう。しかし、あの色合いは、通常の光環境にはないブラックライトの強い光を当てた暗がりで初めて見えているものである。昼間なら太陽光に含まれる紫外線で蛍光発色するかもしれないが、回りの強い光に打ち消されて肉眼での検知は難しいだろう。夜は夜で、照明器具が出す紫外線の量は少ないので、蛍光が出たとしても微弱なものに違いない。

 

 さて、目の光受容細胞には2種類ある。一つは今回説明された3種類の錐体細胞という、色つまり波長を見分ける細胞である。この細胞は波長に特化しており、明暗は区別できない。明暗(つまり光の強弱)を見分けるのは桿体細胞という別の細胞である。久保美也子の場合、紫外領域が見えるだけ(「だけ」といっても驚きの能力に違いはないのだが)であり、桿体細胞の感度が高いわけではない。仮に高かったらまぶし過ぎて日常生活に困難をきたすに違いないが、そのような描写はない。つまり、紫色に輝く蛍光を見ているわけではないのである。




 絵が描かれた壁の色は白だ。彼女の見える紫外線領域がどの程度かはわからないが、短波長は水晶体や虹彩でカットされるに違いない。「カット」というと聞こえは良いが、現実には例えば水晶体の大部分を占めるクリスタリンという透明なタンパク質が紫外線のエネルギーを吸収するのである。エネルギーを吸収したタンパク質は、かつて漆の話 でも述べたのと同様に徐々に劣化していく(タンパク質の場合には変性という)。そして、この変性が蓄積されれば、白内障の引き金にもなる。人体に有害とは、たとえばこういうことである。


 それはともかく、彼女にどのような色彩が見えているのかは全く想像できないが、同じ素材の壁紙(あるいは布)が一面に貼られていることを考えると、モノトーンだったと考えて良いだろう。そこに、洗剤で蝶の絵を描く。上で述べたように、洗剤に含まれる蛍光増白剤は紫外線を吸収する性質がある。つまり、洗剤が塗られた部分だけは壁が反射する紫外線の量が下がり、彼女の目には壁本来の色よりも(ほんのり)暗くなっていると考えることができる。色彩はともかく、薄い墨で絵を描いたように見えていたのではないだろうか。

 紫の蛍光色で輝く蝶の絵は美しかったが、薄墨の絵もまた味わいがあるに違いない。





 さて、ドラマではこの絵を描いた物質を特定する場面が描かれる。ここで榊マリコを始め科捜研のメンバーが口にする

「蛍光する」、あるいは「蛍光した」というセリフ。

 これは、研究者の世界で使われる独特の略語(あるいはスラング)だ。日本語の文法から見たら、「蛍光が出る」とか「蛍光の発光が見られた」といういい方が正しい。また、最初に紹介した緑色蛍光タンパク質を標的分子につなげる場合には、「蛍光分子で標識する」というのが正しい用語であるが、長いので研究者たちは日常的に「蛍光する」と言う。ドラマの中でこのような研究者世界独特の言い回し(スラング)が使われているのを聞くと、ニヤニヤするとともに、脚本家が現場をきちんと取材していることが伺われるのである。

 

 

 犯行の契機は、久保美也子が磁気嵐による低緯度オーロラを見た(と思われる)ことだ。芸術オンチだけでなく文学オンチであるはずの榊マリコがそらんじたのは驚きだが、確かに『日本書紀』の推古天皇二十八年(620)十二月の条に、

天有赤氣、長一丈餘、形似雉尾。

天に赤色の気(しるし)が現れた。長さは一丈あまりで、形は雉(きぎす)の尾のようであった。(現代語訳日本書紀(下) 宇治谷孟 講談社学術文庫)

と書かれている。


これ以外に似た描写としては、天武天皇十一年八月の条にある、

壬申、有物、形如灌頂幡而火色、浮空流北。毎國皆見、或曰入越海。是日、白氣起於東山、其大四圍。

十一日、灌頂幡(かんじょうのはた)のような形で、火の色をしたものが、空に浮かんで北に流れた。これはどの国でも見られた。「越の海(日本海)に入った」というものもあった。この日、白気(はっき)が東の山に現れ、その大きさは四囲(一丈二尺)であった。( 同上 )

  寺院を飾る荘厳(しょうごん)のひとつ。装飾を施した布や透彫りのある金属でできた垂飾。並べればカーテンのようになる。このサイト 参照。

 

(書き下し文はこちらのサイト)

 

推古二十八年十二月条の次には、翌年二月のこととして厩戸皇子(聖徳太子)の死が書かれている。赤気は災いの予兆として位置づけられて書かれたのかもしれない。

 

 ところで、仙川京一郎教授北見敏之)によれば、榊マリコの目は「人の腹の中を見通す」ものであり、「菩薩の目」でもあるそうだ。菩薩といっても、慈悲の観音菩薩というよりは、叡智の仏である虚空蔵菩薩なのだろう。彼女にふさわしい目の仏像はないか、少し探してみた。残念ながら菩薩像の中に見つけることはできなかったが、「猟犬の目」の土門刑事とのペアに比することができそうな像に行き当たった。


 高野山金剛峯寺霊宝館 に収蔵の伝運慶作「制多伽童子像(せいたかどうじぞう」「矜羯羅童子像(こんがらどうじぞう」」(不動明王の眷属である八大童子像のうち)である。願成就院のものとは雰囲気が異なるが、いずれも生き生きとした出来映えの像ではないだろうか。




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