前回の更新からかなり間が開いてしまいました。
実は実生活で問題が起こり、とてもブログ記事更新どころではない状態です。
しかし、この記事は前後編で前編のみ公開状態のままというのも気持ち悪いので、ひとまず後編のみ更新します。
本殿裏の山沿いを登って行くと、このような古い祠(今若社?)もあったりする。
そしてお待ちかねの古墳。案内板には「東御陵古墳」とある。
未確認だが、こちらが「中御陵古墳」だろうか。
さらに奥には池もあった。
この神社の特殊神事に「御符祭」というものがあり、「古井様」から硯の水を汲み、御符を書く。
『日本の神々』によると、「古井様」と呼ばれる池は、古墳の塚穴の一つで、普段は水がないらしい。
東御陵の奥に池があるのだが、水は、奥の岩の中から湧き出しているようだ。(「玄松子の記憶」より)
「吉池」とあるが、柵で囲まれたこれが「古井様」だろうか。確かに岩はあるが水は無い。
「一月十五日の真夜中に神官が白布で顔を隠して水汲みをするのだが、途中、出会った者は罰を受けて死ぬと言われているらしく、田口では、その夜は早く寝てしまうという。」ということらしい。何やら怪しげな秘儀のようで、この神社の元の信仰が何であったかを考えると興味深い。
付近にはこのような巨石もあるし、その信仰は古いのだろう。元々、山岳信仰や巨石信仰といったものがこの地にあり、そこに地元豪族の古墳が造られ、やがて神社の社殿が建てられたという流れだろうか。
ともかく、神社本殿裏側マニアの著者としては、この奥深く懐の深い神社裏側の探索は非常に楽しいものであった。
さらに、境内西側の駐車場脇に「福田稲荷社」がある。
このように社殿の豊富さを見るだけでも面白い。
稲荷神社脇にある石碑。「北辰星」とあるので、北極星信仰である。仏教の妙見信仰と同じもの。
また、この付近に「西御陵古墳」があるらしいのだが、見た感じそれらしいものはなかった。
そして帰路についた訳だが、途中の車道で気になる鳥居が視界に入った。
何かピンとくるものがあったので、少し先に車を停め、歩いて引き返して見てみた。
場所は国道254号線を佐久市から群馬へ向かう途中にあるものだが、カーナビの地図に「石宮」といういわくありげな名前があるが、それとは場所が少し違う。つまり、名もなき神社である。
見上げると、巨石がゴロゴロ。石碑も多い。
林立する石碑の中に「国狭槌神(くにのさづちのかみ)」の名があった。『日本書紀』の天地開闢の段に登場する神であり、神代七代のうちの一柱である。
割れた「馬頭尊」の碑もあった。馬頭観音信仰もあった様子。割れているのは、明治政府の廃仏毀釈運動の名残りだろうか。
見ると、石碑群の背後に石段が見える。狭くて登り辛い石段であるが、せっかくなので登ってみる。
振り返るとこんな感じ。
登り切った先に祠発見。何の説明書きも案内板も無いので、何を祀っているのかわからない。
祠周辺は岩壁状態。これ以上登ることは出来なさそうだ。
脇に小さな石の祠もある。同じく由緒不明。
おそらく、この岩で出来た山そのものが信仰対象なのだろう。過去に多く登ってきたピラミッド山と同じものを感じる。
思いがけず出会った名もなき神社。こういった想定外のものに出会えるのもフィールドワークの醍醐味である。
先述の「石宮」も含め、こちらもまた再訪してみたいものである。
以上で、長野県佐久市周辺の調査報告を終えます。
とにかく実生活の問題が解決しないことにはブログどころではないので、次回更新はしばらく未定となります。
気が向いた時にでも、当ブログをチェックして頂けるとありがたいです。