中部ジャワの山間の静かな町である。ジョクジャカルタから67キロ、マランから15キロほど。インドネシア軍2代目の参謀総長、戦後2代目の駐日大使を勤めたバンバン・スゲン氏の出身地で、小高い丘の上には銅像があり、独立戦争時の激戦地方向をゥ美指して建っている、この丘の下には敗戦直後、この町の警備に当たり,ガラン島経由で復員した第48師団第一大隊の「萬邦大結」と書いた記念碑も建っている。記念碑が風雨で磨耗したため、平成になって関係者が再建した。その時を記念して寄付した人の名前を書いた別の記念碑も建ち、二つとも今は屋根で覆われている。バンバン・スゲン氏の末弟でバンバン・プリノモ氏(元義勇軍)が、インドネシアと日本との友好を願って、自宅で「友好寺小屋」という日本語を教える私塾を開いている。町中にはJICAの援助で建てた知的障害者の立派な施設がある。