中村区日比津町(旧、日比津村)の近隣に建つ「宝塔」 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、中村区日比津町(旧、日比津村)の近隣に建つ

 「宝塔」

を見学をしてきました。


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宝塔について(手持ちの資料より)
①珍しい宝物で飾った塔

②寺の塔の名称・中村区日比津(旧 日比津村)には10基あったが1基消滅し9基が現存

  との由。

③多宝塔の腰部に裳層(もこし)のないものとされている。

 ※裳層(もこし)…本来の屋根の下にもう一重屋根をかけるかたちで付けたもの。

 

・江戸末期に疫病を防ぎ農作物の収穫を祈って法華経を納めた名残りで、

 字ごとで建立されたとされる。

 

大小はあるが、

 波題目(南無妙法蓮華経)が書かれ一目見て、日蓮宗のものと分かる。

(注)波題目とは、

日蓮が佐渡流罪のとき、

 海面に南無妙法蓮華経の題目を書いて高波を静め、難破するのを救ったという故事。

 

・日蓮宗の信者がそれぞれの辻々定められた日々の夕方から、

  宝塔の前に花・線香・菓子・提灯等を唱え、はやり病を防ぐため、

   また農作物の豊かな実りを願った。

 (定められた日:毎月7日・11日・12日・13日・15日の一日)


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明治24年の日比津村の地図          現在の地図

 

日比津町(旧、日比津村)には、


宝塔です。
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(付記)

日比津町(日比津村)について

①日比津はもと土津(ひじつ)または泥津とも書いたが、

 後に「ひじ」を「ひび」と訛ったといわれる

 土津・泥津から、昔は湿地帯だったと思われ農耕地に適し、一帯は田園であった。

 

日比津の「津」について

「津」とは広辞苑より

①港。船着場。

②渡し場。船着場。

③人の集まる所。都。

日比津には大正5年まで渡し船があり、渡しを16軒で担当していた。

「日比津」と言えば渡船はタダだったと伝わる。

 

(参考)

「萱津の渡し」名勝標札をデジカメ

設置場所 中村区日比津町(枇杷島橋緑地)

 

↓名古屋市教育委員会設置の名勝標札…№5