瑞穂区左右田橋付近の歴史(昔、鼎池・新雨池があり)…瑞穂区の史跡巡り(その6) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」は東区に住んでいますが、

瑞穂区内の某グループの歴史の会に所属させて頂きながら、

瑞穂区内の史跡巡りを楽しんでいます。

 

今日(8日)は瑞穂陸上競技場の北、北陸上競技場あたり

 左右田橋を中心とした近辺付近の

の歴史について学んできました。


昔、

この辺りの山崎川の周囲には、池や湿地帯が広がっていた状態であった。

 

現在は、

絶滅危惧種となっているサギソウ・シラタマホシグサ・モウセンゴケが生えていたとの由。

 

江戸時代、「秋萩」の名所として知られていた場所で、

 尾張名所図会には、その風景画が描かれています。

池のほとりに、可憐な秋萩がいっぱい咲き、多くの人々が見物に訪れています。

 

ここには、二つの灌漑用の池がありました。

北には鼎池、南に新(雨)池です。

明治24年の地図               大正13年の地図

 

昭和10年代に、二つの池は埋め立てられゴルフ場に造成された。

当時、山崎川には多くのゴルフボールが落ちていたとの由。

 

戦争が始まると(昭和18年頃)食糧自給のためにゴルフ場はになってしまう。

(瑞穂運動場も畑となる)

 

戦後すぐのこの周辺は、

のどかで、水田が多くありカエルやホタルがたくさんいたとの事。

 

その後、宅地造成等がされ現状に。



 

左右田橋(下の矢印の橋)命名は

山崎川の左右に田があったので付けられた。

以前はもう少し南、瑞穂橋の少し上辺りに左右田橋はあり。

 

鼎池の埋め立て場所に北陸上競技場ができる。

   北陸上競技場をバックに


 

 

(追記)

左右田橋から瑞穂陸上競技場方面をデジカメ

大木の樹、「楠」の下あたりが塩付街道筋と思われる??

造成工事により塩付街道筋が不明に~~

 

左右田橋の西側あたりにある「萩山町」の由来は、

尾張名所図会で描かれている「秋萩」より命名。このあたりは萩山公園だった

 


「左右田橋」の読みについて

新瑞橋バスターミナルに設置の案内板をデジカメ

Souda Bridgeとあり

  Soda-Bashi Bridgeとあり

   どちらが正か???

 

(付記)

★瑞穂運動場について

 1941年(昭和16年)に完成し、

  第5回国民体育大会1950年(昭和25年)

   全国高等学校総合体育大会1983年(昭和58年)

の開催に合わせて小規模な改修が行われた。

        今日デジカメ
      
  
  

 

★山崎川堤の桜について

昭和3年(1928年)石川耕地整理組合が石川橋から左右田橋までの

山崎川両岸に桜を植えたのがはじまりで戦後、花見でにぎわうようになる。
   
       

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