鎌倉街道(名古屋市関係の部分のみ)の道筋について調べました。
鎌倉街道は、
鎌倉時代に幕府の御家人らが鎌倉に向かう道として、
源頼朝が全国の主要な場所に整備した古い街道。
愛知県内には京都と鎌倉の往来に使われる往還が通っていた。
名古屋市文化財調査保存委員会編(名古屋史蹟名勝紀要より引用)
名古屋市文化財調査保存委員会編(名古屋史蹟名勝紀要より引用)
3.瑞穂区史跡散策路「ふるさと歴史のみち」より鎌倉街道の部分をスキャン
名古屋市文化財調査保存委員会編(名古屋史蹟名勝紀要より引用)
4.天白区史跡散策路「相生山緑地と自然観察コース」より鎌倉街道の部分をスキャン
・野並八劔社の裏の細い曲線を描く小道が、昔の鎌倉街道(上野道)の名残である。
・この街道は整理された道路であったのではなく多くの旅人が歩いて、そこが道になったものである
・当時の紀行文などによれば、かなりの通行、宿泊の人で賑わったようである。
・目印は山の頂上の大きな松の木であった。(聖松)
名古屋市文化財調査保存委員会編(名古屋史蹟名勝紀要より引用)
5.結論
鎌倉街道の道筋は諸説ありはっきりしないが
おおむね萱津宿、東宿村、上中村、米野村、北一色村、露橋村、古渡村から
瑞穂区に入り、大喜村、高田村、井戸田村を経て
桜村、古鳴海とむすんでいたと推定される。
鎌倉街道は、別称上野街道・上野道・上野小道・小栗街道ともいった。
名古屋南部、笠寺台地付近を通る鎌倉街道
・上の道…井戸田・野並・古鳴海へと抜ける道。
・中の道…井戸田から笠寺台地を横切り、野並・古鳴海へ行く道
・下の道…笠寺台地をさらに南下してゆく道。
★北の「上の道」は遠回りになり、
南の「下の道」は潮の関係で通行が困難になることもある。