岩清水八幡宮(山城国ー京都)とお亀の方(尾張初代藩主義直の生母)について | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」

来月に鯱城学園のクラブOB会の皆さんと京都府八幡市にあります

岩清水八幡宮

を訪ねます。

 

日本三大八幡宮の一つとされており

山城国(京都)では〝やわたのはちまんさん”と親しまれているお宮さんです。

 

山麓にあるお宮さんで、京の景色を眺望できるケーブルカーで登ります。

訪ねる時期の紅葉を今から楽しみにしています。

 

岩清水八幡宮と尾張とは深い繋がりがあります。

 

岩清水八幡宮と尾張初代藩主義直の生母「お亀の方」について。

お亀の方(天正元年(1573年)~寛永19年(1642年)は石清水八幡宮の神官志水氏の娘です。

家康の死後、相応院と名乗り、義直のいる名古屋城で暮らす。

寛永20年(1643年)義直が、生母お亀の方のために相応院を東区山口町に創建。

(相応院は昭和7年に千種区に移築される)

 

この歴史を知り、岩清水八幡宮を訪ねるのがますます楽しみです。

 

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徳川美術館所有の「遊楽図屏風(相応院屏風)

国の重要文化財に指定

(私、所有の徳川美術館ガイドブックよりスキャン)

縦126.1 横407.8

八曲一江戸/17世紀
 
両隻にわたって、人々がありとあらゆる遊楽に打ち興じ、太平の世を満喫するさまが繰り広げられる。
流麗な人物描写もさることながら、様々な遊楽を破綻なくまとめた構成力、見る者を引き込む細密描写とにより、本図は近世初期に描かれた妓楼遊楽図の中でも最も初発的な作品と位置づけられる。
本図は、初代義直が母お亀の方(相応院・家康側室)の追福のために建立した相応寺に伝えられたことから、相応院の遺愛品であると唱えられてきたが、記録としては三代綱誠の十九男松平通温(一六九六-一七三〇)の遺愛品として寺に納められたことが判明している。

  (解説はネットよりコピーしました)