今日(31日)千種区末盛にあります
‘末森城跡(別名 末盛城跡)”を訪ねました。
(古城巡りの一環として訪ねました)
‘末森城跡(別名、末盛城跡)”は城山八幡宮になっており、私「洋ちゃん」は何度も赴いている場所です。
末森城(別名 末盛城)について、
このお城は、織田信秀(信長の父)の居城で、1548年(天文17)の築城。
津島から成長した信秀は、今川氏から那古野城(現在の名古屋城二の丸)を奪い、さらに南下して古渡に築城し、熱田を勢力圏に納めました。
その後も、駿河・三河方面の今川勢の備え(抑え)として、挙母街道を見下ろす場所である末盛に末森城を築き移り住み。
標高43メートルの平山城で、東を本丸、西を二の丸としたお城で
二重の空堀(外堀)をつくり、北の猫ヶ洞池から水を引いた。
(空堀(外堀)堀は、現在は残存し樹木が茂っている状態です)
信秀が翌年の1549年(天文18年)病死すると織田一族の間での争いが激化、
末森城の後を継いだ三男信行(信長の弟)は信長と仲が悪く暗殺され1558年(元禄元年)に廃城となる。
(付記)
今年11月7日にブログしましたタイトル「名塚城(砦)と庚申塚(稲生ヶ原合戦の古戦場)」で三男信行(信長の弟)と信長との争いについて書きました。
織田氏系図です。 末森城は千種台地の上に建っていました。
城山八幡宮方面です。 末森城跡の石碑です
末森城跡の空堀(外堀)堀は、現在は残存し樹木が茂っている状態です)
城山八幡宮
の本殿です。
末森城本丸跡は
城山八幡宮の境内になっています。
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(追記)
2016年5月21日に「末森城跡(別名 末盛城跡)」を訪ねました。