~ここまでのあらすじ~


200X年、退職・失恋を期にますます人付き合いがなくなった青年・ダミアンは家が山の方ということもあり滅多なことでは下山しない「仙人」と化す。「今度こそ落ち着ける職を」と子供好きを理由に教育業界に殴りこみ。

初年度:大先輩や仲間の助けもあり実績としては昨年対比で上回り、受験生たちも無事全員合格し巣立っていった。

2年目:昨年度の経験を生かし様々な反省・改善に取り組む。数は少ないものの、質の向上に努め奮闘。

3年目:上層部で教室閉鎖が決定され2年かけて形成して来た仙人塾は終焉が決定。約半数は退塾となったが、それでも3分の1近くは近隣他教室に移籍してくれた・・・。

そして、仙人の再出発は念願の京都。生徒・講師共に真面目なこの地で仙人も活を入れ直し激闘。1年を通じ・生徒数やその他実績においても過去最高の出来を残し、教室長としても大きく花開いた。

4年目:残念ながら同校2年目は叶わず、近隣の荒廃した教室の建て直しへ。昨年の様な華やかさは無かったものの、優秀講師らの協力もあり「リフォーム」→「講師質向上」、そして「紹介量産」で過去最高生徒数を更新。歴代最高の規模に教室を押し上げた。

5年目:主力講師の大量離脱で新人育成に奔走しつつも、更に生徒数を伸ばし、着実にその地位を築きつつあった。しかしながら仙人には心境の変化が現れ、この仕事を続けていくのかどうか葛藤が始まる。

6年目:ついに仙人は別離を決意。最後のはなむけとして、生徒数・中3継続・春期講習売り上げのいずれも目標をクリアして後任に譲った。


続編登場!【新】仙人、下山への道 

http://ameblo.jp/sennin666/


●下山~教室長・京都編→これまでの仙人の軌跡


●オフ・WWE→オフの仙人を。



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2011年04月05日(火) 20時12分39秒

【最終回】さらば、仙人塾

テーマ:教室長・京都3年目編

ワシが仙人塾塾長・ダミアンである!!!!!


と、こう叫ぶのもいよいよ最後となった。

先月の3月30日を持って、ワシは塾長を引退した。

教育業界からも身を引くつもりである。

まだ次の職は未定だが、これまで溜まりに溜まった有給休暇をフルに使ってから社を去る予定である。

約1ヵ月半ほどは休暇状態と言うわけじゃ。ま、その間を就活に充てるつもりだがな。


さて、今回はこれまで約5年半の軌跡を振り返るとしよう。


2005年11月、子供に関われる職を探していたワシは塾業界にも手を伸ばし、この世界に入った。

授業などをする講師ではなく、「運営スタッフ」の様に聞いていたのだが、実際入ってみると教室に社員は一人だけ。更に授業も時折しなければならないと言う。完全に「聞いてない」である・・・。

とは言え、しばらくはエリアをまとめるマネージャーの下での研修期間であった。

大阪の梅田でまず経理系の手続きなどを終えた後、そのマネージャーの居る奈良の五位堂まで移動。

京都からほとんど出たことの無いワシにとって、大阪ですら大冒険だったが、そこから更に電車を乗り継ぎ奈良の奥地まで行くことになろうとは。完全にパニックであった。

教室ではマネージャーと共に、ほぼ同期入社の社員が居た。後に親友となる彼は、その新規教室を任される予定で、同じく研修を受けていた。


それからというもの、この五位堂と、マネージャーの本拠地・大阪の都島を行き来して研修・座学の日々が続いた。他府県というアウェイ感、長時間の電車通勤、覚えること満載という中で、始めは帰ってきたら飯も食えぬほどクタクタになっていたものだ。

そのうち授業も持つようになった。まだまだ教室長としての仕事(事務作業)などはさせてもらえないので、完全に日々「講師」と雑用をこなしていた。


そんな中、後輩もどんどん入ってきて、ワシよりも先に教室を与えられ、教室長デビューしていく。

しかしながらワシはマネージャーに毎日怒られながら副長から卒業できない。

色々な教室のフォロー(代行要員)で駆り出されたりなど、様々経験もつんだが、なかなか伸びない。

苦悩の日々は続いたが、ついに教室を与えられることになった。しかしそこは大阪でも屈指のお受験地域。

入試課の前任ですら結果の出なかったという重い地故に、まだまだ経験の無いワシで本当に勤まるのかと非常に不安であった。ただ、いつまでも副長に留まっている訳にもいかない。故に思い切ってオファーを受けることにした。


確かに教育熱の強い地域だけに、要望の強い家庭や難関校受験を予定している生徒など、なかなか厄介な所であった。ただ、同期の2人や、近隣教室の大先輩・あるいは新卒の後輩に日々支えられながら、何とか日々の課題をこなしていくことが出来た。教室着任の少し前から大阪での一人暮らしも始めていた故に、よく同期と仕事後に飲みに行ったりもした。

一応業績的には様々な面で前任を上回ったのだが、生徒数増加には至らず一年が経過した。この時期ゆえに異動の話が回りでも様々持ち上がってきたが、マネージャーに直訴し、何とか2年目もさせて貰える様に頼んだ。そして2年目は1年目の反省を活かし、質の向上を目指した。


同教室2年目はマネージャーもエリアも変わった。故にエリアの面子も、総入れ替え。派閥、というほどでもないが、今回は別の派閥に分類されることになり、いわゆるエリア内での付き合いはやりにくかった。そうして自然と付き合いはエリア内ではなく、別エリアの同僚、そして隣の教室なのに別エリアにされた後輩とが中心となった。

結果的にこの1年も数字的な成果は出なかったが、3バカトリオという非常に面白い中3のガキ共が毎日を賑やかにしてくれ、非常に楽しかった。残念ながらそいつらは高校に上がる前に辞めてしまったが、手厚くした分信頼は厚かった様で、数年後、その親から弟も入塾させたいから相談に乗って欲しい、と頼まれるほどであった。


この年、「今年度一杯で辞める」という同僚が多かった。親しい同期二人にもそういう話が出ていた。ならば、もう大阪に居る必要はない。もともとワシは京都の募集で入った訳で、「こいつらがいるから頑張ろう」という同期二人もやめるのであればますます一人暮らしをしてまで大阪に留まるつもりはない。その為、次年度の配置希望には「京都でやりたい」と書いて出した。だが実際には二人はやめることはなかった。なんじゃそら、という感じだが、一人暮らしを続けるのも金は要るし、ちょうどマンション契約更新期限も直前だったので大阪を去ることにした。

と、こんなことを考えている頃、教室閉鎖の話が突如上からもたらされた。

途端に急に名残惜しくなり、3年目もやらせてくれと直訴もしたが、叶うことは無かった。

非常に辛い宣告、何より生徒保護者にそれを伝達するのが辛かった・・・・。

「何で?どういうことですか!?どうしてくれるんですかこれから!」といってくれた方が楽じゃったな。電話をしていく度にその逆で「そうなんですか、塾も大変ですね」や「今までありがとうございました。先生あ今後どうなるんですか?」など気遣いや感謝ばかり・・・。逆に辛かった、申し訳なくて・・・・。

実に生徒数の3分の1は事情を理解してくれ、近隣教室に移籍をしてくれた。

数年後、当時は継続しなかったが「あの頃仙人先生にはお世話になって好印象だったので」とうちのグループの別塾に来てくれた子も数名居たと言う。結果的には申し訳ないことをしたが、それはそれでうれしかった。


こうしてワシは大阪を去り、「二度と閉鎖などさせない」という強い決意の下、京都での再出発をすることになった。その地はまだ開校1年程度の新しいところで、今後の成長が期待される場所であったが、前任が非常に真面目でキッチリしている為講師の士気・質も高く、大阪では勢いに任せてやっていたワシは新たに気を引き締めなおしてやらねば、という思いになった。

京都は大阪ともまた違う派閥の集まりゆえに、やり方も大いに違う。はじめは新マネージャーのあまりの細かさに面食らったが、逆にそれでワシの仕事も細かい面まで配慮できるようになり成長できたと思う。

前任が「真面目、塾は塾」という感じであったため、ワシの大阪的「人情スタイル」により、また違ったカラーを出せて生徒数を順調に伸ばしていった。教務面に確かに不安があったが、その面は見事に講師がカバーしてくれていた。さすが、前任の下できっちり育った講師達。彼らの力が無ければ、生徒数は増やすものの、内部満足は得られず退塾のオンパレードだったであろう。そうして、生徒数やその他売り上げにおいて様々エリア内トップから社内上位にも食い込めるようになり、まさに日の出の勢いであった。

しかしながら非常にも1年で異動決定。終盤細かいミスなどの連発で印象を悪くしていた部分もあるかもしれないが、ある事件もきっかけかもしれない。これはこれまで誰にも語ることが無く封印していたが、もう暴露してしまおう。

教室拡大のため、ワシはかなりお笑いキャラを前面に押し出していた。しかしながらそれが受けない子達もいる。ワシのキャラをご存知の読者諸兄ならお分かりだろう、くどい・しつこいと思う子も当然出てくる訳である。

ある時、女生徒達が連名で本部に苦情文を送りつけたのである。ショックだった。裏でそんな風に思われていたとは。そしてそれを伝えられたあと、翌週ぐらいに異動の話が出た。「今年の爆発力を活かして、隣の教室を立て直してほしい」まさに表向きであろう。これほど成長できたこの教室をまたやりたい気持ちも大いにあったが、その事件がきっかけでワシはもう離れた方がいいであろうと思うことにして、異動を受け入れた。


受け継いだ教室は正に荒廃していた。毎年教室長が変わり、生徒数も長年低調、講師の質も昨年度教室講師の爪の垢を煎じて飲ませたいほど。「そりゃ伸びんわ」とこのワシですら感じるほど。

ワシは環境のリフォーム、そして講師の質アップを何より目標に掲げて建て直しを計った。

ここからの道のりが正に「スクールウォーズ」に重なる部分があったので、このブログのサブタイトルもそれになぞらえた形にしたのである。旧世代を再教育するのは時間が掛かるため、これから入ってくる新人と前教室卒業生を講師にしてこちらに引っ張ってくることで、新世代による底上げを行った。

まだまだ前教室への未練・それとのギャップにも苦しむこともあったが、退塾を押さえて地道に入塾を取って、何とか中規模まで持っていくことが出来た。そして過去最高生徒数も更新することが出来た。

異動のシーズンも迫ってきたが、毎年毎年移されるのもゴメンである。もちろん2年目を希望して、そのまま留まることができた。教室史上初の2年連続同教室長である。

昨年度を支えたリーダーや主力の離脱により、教室の雰囲気もガラッと変わってしまったが、新世代が成長してくれ、穴を埋めて行ってくれた。ベテランの大量離脱により、半数以上が大学1年生・あるいは新人講師という扱いにくい中での運営だったが、有望な新人も数名おり、乗り切れることが出来た。

生徒数は順調に伸び、昨年の教室に告ぐエリア2位にまで成長したこともあり、京都最古参の教室はついに移転・新規開校することになった。その後も生徒は増えて、来年度にはいよいよ「大規模」に仲間入り出来るところまで来ようかという大きさになった。


しかしながら、ワシ自身がその代償に対して疑問を覚え始めていた。

連日に渡る残業・早出、そこまでしないと仕事が回らない。一人で全てをこなすという総合職故の辛さ。

また、年々加速していく社員への業務の負担、上司との反り、教育ではなくもはや営業と化している日々の業務、不規則な生活。全く次年度も続けるという意欲は起こらなくなった。

年齢的なこともあり、これ以上続けてからの転職はますますきついであろう、という判断でいよいよ飛び出すことにした。


この5年半はワシの社会人力を大きく成長させてくれた、いや、作ってくれたと言っていいだろう。有意義な時間だったと思う。この経験を活かし、「先生」から普通のサラリーマンになろうと思うのである。

という訳で、長らくお送りしてきたこの仙人塾ブログもこれにて終了である。

数少ない読者諸兄には感謝に尽きませぬ。ありがとうございました。

機会あれば、このブログの始まりのころの様に新生活までの道のりを追った模様をお届けしようとは思っておりますじゃ。その時はよろしく!!


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2010年08月14日(土) 21時11分45秒

前半総括

テーマ:教室長・京都3年目編

ワシが塾長・ダミアンである!!!


さて、もはや更新する気すら出てこないこの数ヶ月であったが、それはまあ一度サボりだしたらそのまま続いてしまうアレであって・・・、また年々仕事がしんどくなってくという色々うっぷんも溜め込んでいるからでもあるのである。


ずばりここまで放置の原因は、会社である!!

年々事務作業は増えてきてるし、数字に対してうるさくなってきている。(俺個人に対してとかではなく)

春は「講座増期間(科目追加)」という営業期間があり、地域事情やその他を考えない全くの机上の空論とも言うべき無茶なノルマを課し、それに対して毎日電話「口撃」。ガチの営業職に比べりゃマシだが、もはや教育を離れ営業社員かと言うぐらい毎日数字数字。その期間が終わったと思ったらすぐに夏期講習の準備。何かしらイベントごとや数字に追われる毎日。年々我らの負担は大きくなっている、何でも社員にやらせりゃいいとでも思ってるのか本部よ。


ということで、近年教育の職に在りながら営業の如く数字ばかり気にする毎日。実感できるのは本業ではない「授業を担当している時」だけか。頑張ればどんどん伸びていったあの絶頂期・ロングヒル時代の様な意欲はもはや起こらない・・・。


こういうのじゃなく、もっとのんびりのどかに「生徒の事だけ考えてりゃいい」様な環境にでも変われたらのう・・・。


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2010年03月23日(火) 00時09分52秒

2年目のスタートもやはり「リフォーム」?

テーマ:教室長・京都3年目編

先日の日曜、教室会議を行った。と言っても来たのは3人だけ。やはりこの3人か、という中核を担う3人。

会議自体はすぐに終わった。むしろ今回特に意義のあったことは、その後の「模様替え」である。

開校以来?ずっと続いたレイアウトを変え、広い教室をより広く感じさせる形に配置換えした。

こう言葉にすると非常に簡単なことだが、色々考えた。電気の配線問題もあるし、何より「この形は講師たちの動きに合うか」「うるさい生徒達が固まらないか」「自習席との兼ね合いはどうか」と。

動かせば動かすほど、どんどんアイディアは浮かんでくる。まさにそれらが出来ていく様は「劇的ビフォーアフター」であった。完成した時には本当に感動した。


1年前、このピクシータウンはスラムであった。よくこんな劣悪な環境でやっていられるなという状態であった。それを仕事後や日曜に闇出勤して「ゴミ屋敷清掃」の如くリフォームした。1人なので、満足行く形に仕上がるまで2週間ほどかかった。しかし今回は皆でアイディアを出し合って移動も一緒にやってわずか数時間。

やはりこれこそ協力である。この3人は確かに中核を担う3人だと思った。

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2010年03月21日(日) 23時27分15秒

09年度終了、そして10年度始動へ

テーマ:教室長・京都2年目編

ワシが塾長・ダミアンである!!!!



さて、全然更新しておらんこの武狼愚、もっと更新せねばのう・・・。

2月はとにかく私立高入試対策、そして公立直前勉強会じゃったな。

例年のごとく私立入試、公立推薦入試と朝から応援に行った。

そこまでに色々授業を前倒ししたり、あるいは授業で過去問をやったり、また大学受験の方も発表日がバラバラなのでほぼ毎日合否を気にするような状況じゃったのう。


私立高入試後はそやつらの「高校継続面談」の為の提案書作りや面談・・・。結果的には私立組は全滅、2月末・あるいは3月末での退塾が決定した・・・・。

中にはワシが1年前の入塾以来(体験授業からずっと)英語を見てきた子もおった。非常に寂しいのう。


公立直前勉強会は今年も社会を担当させられたが、今年は去年以上にテキスト配給や準備・説明態勢が遅く(本部のせいで)結局受験生対応やらの多忙な中、「徹夜で一夜漬け状態」で準備して当日に臨んだ。

久々に「前日寝ずに翌日も終日勤務」でさすがに堪えた。


そして公立入試本番。もちろん朝は応援に。

そこからは発表まで10日程もあるので気が気でならないが、次にやる仕事は春期講習準備。(もはやこの段階でも遅れているが、こんな入試真っ只中で集中で入るかぇ!!なので数字も上がらん。。)


入試後に待ち受けていたのは担当シフト組み換えの毎日・・・・・。

入試終了とともに2名の講師が戦線離脱。今年教室を支えた「ボス」もついに引退。さらに他の講師の欠勤も相次いでしかもそれが同じ週に重なり毎日担当表を組むことばかり(代講をさがすことばかり)考える毎日。本来のメイン作業・春期講習が追いつかない・・・・。他教室の講師が代講で半数を占め、ボスらの離脱・欠勤後教室の雰囲気もガラっと変わる。次年度を危惧する日々が続く。


3月16日、入試本番の生徒の感触としてはあまり良くない反応も多かったが、見事全員第1志望に合格!心配だった問題児2名も無事普通科に進むことが出来た。その日は朝から「ボス」も教室に来てくれて、合格発表を言いに来てくれた生徒達一人ひとりと喜びを分かち合ってくれた。


ちなみに大学入試も正直心配だった2名が両方京産に合格。1人はそれ以外の一般入試も含め全て合格と驚かせてくれた。もう一人は後期入試まであきらめず受け続けた結果やっと合格してくれた。

実力的には一番と見られていたもう一人の受験生は残念ながら国公立含め全て通らず浪人となったが・・・・。


公立入試発表後、春期講習追い込みを掛けながら高校継続面談を決行。私立組は全滅だったもの、公立一般組は見込み無しの1名を除き無事死守ライン4名を継続確定させた。この継続面談で09年度としての仕事は幕を閉じた。そして3月初頭に発表された次年度配置で、初のピクシータウン2年目教室長も確定したのである。

ほっとした。開校以来「教室長が毎年変わる教室」として7年余りも続いていたこの京都最古参だが、ついに歴史をブチ破りワシ体制を次年度も存続できることになった。今年始めた建て直し計画、少なくとももう1年は続けられるのである。


リフォームに始まり、堕落した講師を新加入講師と共に再教育すること、そして何より生徒数を伸ばし低迷を脱出すること。始めに宣言した中規模教室にランクインすること(50名突破)はクリアし、また結果的には過去最高生徒数も更新した。ま、一応はピクシーを様々な面では上回り「昨年度対比」では勝ったのである。


さて来年度はどうなるのやら。ま、京都3年目はこうして始まりを告げるのである。


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2010年02月02日(火) 01時11分05秒

受験直前である!!

テーマ:教室長・京都2年目編

なんと!放置してしまっているうちに年も明けてもう2月か!?


むぅ・・・では



来訪各位!謹賀新年!!愛読大儀である!!



さて、そもそもどこから放り出してしまったのか・・・・。記憶を蘇らせよう。

ふむ、誕生日のサプライズからか。


年末は講習会準備に本当に奮闘しておった。

毎日早出&残業の連続で、まさに肉体を酷使しておったのう。

教室の規模を考えれば本来楽になるはずの今回(こないだ)の講習会であったはずだが、数字が達成できていない分上からのプレッシャーがかなり掛かり、意地でも達成しろ的な風潮で追い込みを掛けねばならんかった。


講習が始まってからは自分は授業を持たないよう講師に振ったので去年度のように授業まみれにはならずに済んだ。そしてそんな形で新年を迎えた。


年明けからは入試シーズンに入ったが、その対応よりもむしろ会議・研修の連続が疲れたのう。やはりほぼ毎朝に近いぐらい早起き・・・。睡眠不足はやはり数日目に来る。


近況としては、地味に伸びてきた生徒数がいよいよあと2名で過去最高に達する見込みが出た。

自分的にはあまりぱっとした成果が出せんかった今年度だが、なにやら最後の最後で記録を出せそうじゃわい。

昨年のロングヒルの再来か?などとカマキリには言われておる。

しかしながら完全な再来は嫌じゃぞ。手塩に掛けて育てたのに1年で「飛ばされる」からのう。


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