旧体育の日
10月10日は、体育の日。
数年前までは・・・・。
統計的に晴れる確率が高くて、運動会開催のイメージが多いこの日。
私の実家では、特別な日でもあります。
10月10日は私の弟の命日です。
僅か9ヵ月の短い一生でした。
当時2歳の私には、弟の記憶は殆どありません。
ただよく覚えているのは、部屋の中がいつもとは違った雰囲気で、白と黒の幕が貼られて、たくさんの人が集まり、両親が泣いていたこと。
そう、お葬式です。
私の小さい頃のアルバムを見ても、弟が一緒に写っているのは、たった一枚。
他の写真があるのかないのか、未だにわかりません。
遺影にも使われたこの写真は、亡くなる2ヵ月前の夏で、フルチンの弟がにこやかに笑っています。
弟の死後、理解出来ない私は、「○~ちゃんどこ?、○~ちゃんは?」と探し、遺影に向かって話しかけていたそうです。
それを見た母が辛くなり、また自分が前向きになるためにも、遺影をしまってしまいました。
遺影が復活したのは、約20年後・・・。
弟は、事故や事件に巻き込まれたわけでもなく、大病を患ったわけでもなく、
エッ、そんなことで?と言うようなことでした。
父も母も、救ってあげられなかったと自分たちを責めて、だいぶ苦しんだと思います。
弟が亡くなってから妹が産まれましたが、産まれ変わりでもなく、大切な我が子を亡くした悲しみは消えることなく、
また昔ながらの古い考え方で、跡継ぎを失ったことを周りからも言われたことが追討ちをかけていたんでしょうね。
その後、私が結婚し、長男が誕生。
長男が小学校入学を控えた3月、身体の異変に気付きました。
受診してみると、やっぱり・・・・・
そけいヘルニア。
いわゆる脱腸ってやつです。
周囲にも、結構いる病気だけど、もっと小さいうちにかかる病気だと思っていた私。
小児科から、小児専門の総合病院を紹介され、再度受診。
そけいヘルニアは、自然治癒は難しいとのことで、手術することが決まりました。
ただ、手術は予約制で、急を要する状態でもないとのことから、順番待ち・・・・。
約5ヵ月後の9月に予約しました。
手術直前までは、定期検診もなく、ただただ待つだけでした。
事の成行きを私の両親に報告しました。
すると、慌てふためき、「すぐに手術してくれる病院を探せ!」と・・・・。
この辺りの小児科に行けば紹介されるのは、同じ総合病院。
もし、他病院に出向いても、予約待ちになるとの事。
でも、両親の心配な気持ちは分かるのです。
何故なら、私の弟が亡くなった原因の病気だったから。
弟は経過観察中に亡くなりました。
脱腸したところに便がたまり、それが腐ってしまい、手遅れになってしまったのです。
脱腸防止ベルトをつけたり、母が、脱腸が膨らんでくると、手の腹で押し戻したりしたそうなんですがね・・・・。
そんなこともあり、即手術を望んでいました。
結局は、他病院でも待たされる事が分かり、渋々納得しました。
そんな長男も無事手術を終えて、2年が過ぎました。
父母は、よく言います。
子供は、元気が一番だと。
手の掛かる子ほど有り難いと思えと。
私の弟は、手の掛からない、すごくイイ子だったそうです。
月齢よりも遥かに賢く、赤ちゃんなのに悟っていたと言います。
短い一生だったけれど、とても輝いていたと・・・・。
一生分の輝きを短時間で出し切ったんだと・・・・。
だから、あんぽんたんなウチの三兄弟、
どんなに手が掛かろうと、
聞き分けが悪かろうと、
母の悩みが増えようと、
全て幸せなことなんだと・・・・。
元気にスクスク育ってくれる事が一番なんだと・・・・。
そんな風に思う事ができます。(時々忘れちゃうんですけどね。)
本日も長々とお付き合い下さりありがとうございました。m(_ _)m
数年前までは・・・・。
統計的に晴れる確率が高くて、運動会開催のイメージが多いこの日。
私の実家では、特別な日でもあります。
10月10日は私の弟の命日です。
僅か9ヵ月の短い一生でした。
当時2歳の私には、弟の記憶は殆どありません。
ただよく覚えているのは、部屋の中がいつもとは違った雰囲気で、白と黒の幕が貼られて、たくさんの人が集まり、両親が泣いていたこと。
そう、お葬式です。
私の小さい頃のアルバムを見ても、弟が一緒に写っているのは、たった一枚。
他の写真があるのかないのか、未だにわかりません。
遺影にも使われたこの写真は、亡くなる2ヵ月前の夏で、フルチンの弟がにこやかに笑っています。
弟の死後、理解出来ない私は、「○~ちゃんどこ?、○~ちゃんは?」と探し、遺影に向かって話しかけていたそうです。
それを見た母が辛くなり、また自分が前向きになるためにも、遺影をしまってしまいました。
遺影が復活したのは、約20年後・・・。
弟は、事故や事件に巻き込まれたわけでもなく、大病を患ったわけでもなく、
エッ、そんなことで?と言うようなことでした。
父も母も、救ってあげられなかったと自分たちを責めて、だいぶ苦しんだと思います。
弟が亡くなってから妹が産まれましたが、産まれ変わりでもなく、大切な我が子を亡くした悲しみは消えることなく、
また昔ながらの古い考え方で、跡継ぎを失ったことを周りからも言われたことが追討ちをかけていたんでしょうね。
その後、私が結婚し、長男が誕生。
長男が小学校入学を控えた3月、身体の異変に気付きました。
受診してみると、やっぱり・・・・・
そけいヘルニア。
いわゆる脱腸ってやつです。
周囲にも、結構いる病気だけど、もっと小さいうちにかかる病気だと思っていた私。
小児科から、小児専門の総合病院を紹介され、再度受診。
そけいヘルニアは、自然治癒は難しいとのことで、手術することが決まりました。
ただ、手術は予約制で、急を要する状態でもないとのことから、順番待ち・・・・。
約5ヵ月後の9月に予約しました。
手術直前までは、定期検診もなく、ただただ待つだけでした。
事の成行きを私の両親に報告しました。
すると、慌てふためき、「すぐに手術してくれる病院を探せ!」と・・・・。
この辺りの小児科に行けば紹介されるのは、同じ総合病院。
もし、他病院に出向いても、予約待ちになるとの事。
でも、両親の心配な気持ちは分かるのです。
何故なら、私の弟が亡くなった原因の病気だったから。
弟は経過観察中に亡くなりました。
脱腸したところに便がたまり、それが腐ってしまい、手遅れになってしまったのです。
脱腸防止ベルトをつけたり、母が、脱腸が膨らんでくると、手の腹で押し戻したりしたそうなんですがね・・・・。
そんなこともあり、即手術を望んでいました。
結局は、他病院でも待たされる事が分かり、渋々納得しました。
そんな長男も無事手術を終えて、2年が過ぎました。
父母は、よく言います。
子供は、元気が一番だと。
手の掛かる子ほど有り難いと思えと。
私の弟は、手の掛からない、すごくイイ子だったそうです。
月齢よりも遥かに賢く、赤ちゃんなのに悟っていたと言います。
短い一生だったけれど、とても輝いていたと・・・・。
一生分の輝きを短時間で出し切ったんだと・・・・。
だから、あんぽんたんなウチの三兄弟、
どんなに手が掛かろうと、
聞き分けが悪かろうと、
母の悩みが増えようと、
全て幸せなことなんだと・・・・。
元気にスクスク育ってくれる事が一番なんだと・・・・。
そんな風に思う事ができます。(時々忘れちゃうんですけどね。)
本日も長々とお付き合い下さりありがとうございました。m(_ _)m