集中講義
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1-1 国際教育協力の潮流:世界

90年代以前
 家庭・地域社会によるNFEが伝統的にあった。植民地時代になり列強の影響を受けた「途上国」。独立後、初等教育の完全普及が目標に。70年代には、BHNが基礎的な教育の主要要素であると認識が広がった。2-3
1990「EFA」
 すべての人々(特に女子)に基礎的な教育機会を保障することは、国際社会や国家にとって重要な責務である。BHN・基本的人権というアプローチと、最大の社会的収益率・開発・投資効果が期待できる副セクターとしての基礎教育という開発アプローチが合致。先進諸国の財政分担意思決定は、EFAの優先順位を基本とした。教育の質と量はトレードオフではなく、補完的関係にあると国際認識。3-6
 UNDPがHDIを開発。
2000年~
 2000年ダカール行動枠組みの6項目(就学前、2015まで無償教育すべての子ども、成人の学習ニーズ、2015まで識字率を50%、2005まで男女差解消、3Rの質改善)はこれまでを総括している。このうち、2015までの基礎教育完全普及と05までの男女格差解消は、MDGsにも含まれ、貧困削減と成果重視、選択と集中の流れとなった。その流れに従い世銀はFTIを主導。
 2001年は9/11の影響を受け、テロと貧困の撲滅に。平和構築の長期的課題として国際理解の重要性が認識され、社会的統合(social cohesion)のための教育開発という考え方が認識されるようになった。
 現在はUNDESDの取り組み。8-9

以下、次の書籍のポイントを抜粋しつつ、最新情報を加えていく。


黒田 一雄, 横関 祐見子
国際教育開発論―理論と実践

1-2 国際教育協力の潮流:日本

日本のODAは1954年のコロンボプラン加盟に始まり、80年代までに量的拡大。教育分野では、90年EFAまで高等教育・TVETが中心だった理由は、

1)経済インフラ中心だったため。
2)基礎教育は国の発展の根幹であり内政干渉にもなるため。
3)WW2中に日本式教育システムを強制した歴史を繰り返さないため。

ただし、JOCVは例外的に現地へ派遣され、文部省によるUNESCOを通じた初等教育・識字教育への協力があった。

EFA以降、研究会を発足し、その後、学校建設から始まり、行政官のキャパビル、カリキュラム開発など行うようになった。10-11

文部省・文部科学省は、
95年に「時代に即応した国際教育協力の在り方に関する懇談会」、00年に「国際教育協力懇談会」、02に「同(第2次)」を組織、04に「拠点システム(アーカイブス)」を設置、06に高等教育を通じた貢献についてまとめている。
http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/kyouiku/main5_a9.htm

外務省は、
92年に「政府開発援助大綱」策定(03改定)、93に「ODA第5次中期目標」、99「政府開発援助に関する中期政策」、02年にカナナスキス・サミットで「成長のための基礎教育イニシアティブ(Basic Education for Growth Initiative: BEGIN)」を発表。教育協力への明確な決意表明を行った。11-13

環境省
持続可能な開発のための教育(ESD)の関連事業の促進を行っている。

2 教育学から

EFAの理念
 UNESCOの21世紀教育国際委員会(ドロール委員会)が1996に「学習-秘められた宝(Learning: The Treasure Within)」を報告。その中で教育の4本柱の理念:知ることを学ぶ(learning to know)、為すことを学ぶ(learning to do)、他者とともに生きることを学ぶ(learning to live together)、人間として生きることを学ぶ(learning to be)。17
 2000にダカールで世界教育フォーラムが開催。基本的人権としての教育を改めて取り上げ、教育の質、ライフスキル(life-skills)の向上について議論され、量的・質的に基礎教育の推進を図ることを目指した。

伝統文化と教育
 1920年代にインドではガンジーは、人種差別反対、非暴力(アヒンサー)と民主主義、宗教間の融和を訴え、独立運動を指導した。国民教育制度の樹立とは、教育は自国文化にもとづくべき、教育は「頭の開発」のみでなく「心と手の開発」を重視すべき(全人教育)、真の教育は母語を通して与えられるべきとした。西洋の近代主義を批判し、植民地教育の克服を試みた。インド文化の基礎をなす運動という意味で、Basic Education(基礎教育)と称された教育計画が起案された。20

パウロ・フレイレ(1921-97)Brazil
 抑圧と貧困からの解放にこそ教育の本質がある。対話(dialogue)を通じて教師と生徒が対等な立場で互いに学びあう「課題提起教育(problem-posing eduation)」を提唱。「生徒であると同時に教師であり、教師であると同時に生徒である(teacher-student with student teacher)」という教育者と学習者の関係を想定。識字教育における対話と学習を通じて、「文字を読むことで自分の周辺世界の状況を読む力」を身につけ、身近な言葉や話題から自ら置かれている状況を認識し、抑圧された不平等な現実へ意識的に介入していく主体性(意識化concsientizacao)の構築を目指している。詰め込み教育を「銀行型教育(banking concept of education)」と批判。22

批判的教育学
 フレイレの影響を受け、1)既存の学問領域に囚われない新しい知を探求、2)教育という文化的実践の場における権力やアイデンティティに関する諸問題を検証、3)日常生活における多様な知を尊重し、高級文化と大衆文化(high/popular culture)を同列に扱う批判的教育学が80年代より潮流を形成した。仏の哲学者ミシェル・フーコーの権力に関する研究:教育制度とは持つ者が制限・維持するための政治的手段である(Foucault, 1972:227)。近代化とは、規律訓練の装置による社会→内面の管理と統治による社会への移行。25

その他
 公教育の理念と近代国家成立:国民(市民)の啓蒙による国民国家の維持。
 子どもの権利:ルソー「消極教育」、ペスタロッチ「人間としての権利」、ヘルバルト4段階教授法、ケイ「児童の世紀」、フレーベル「幼稚園」
 児童中心主義:デューイ「なすことで学ぶ」、ピアジェ児童心理、モンテッソーリ学校
 多文化主義教育:国民統合と国民国家モデルの崩壊
 インクルーシブ教育:Special Eduction
 生涯学習:UNESCO「未来の学習(Learning to be)」1972、OECD-CERI「リカレント教育」、オルタナティブLLLジェルピ「自己決定学習(self-directed learning)
 現代の教育実践:フリースクール、バウチャー制度、チャータースクール、コロンビアEscuela Nueva
 地方分権→例:インドネシアでは混乱。

3-1 教育社会学から

教育で社会が変わるのか?
 教育社会学の根底には「教育は既存の社会システムや支配的文化を維持するのに貢献しているかどうか」という命題がある。

教育制度と社会システムの関係:
教育を通じて人々の価値観や職能等が
 - 人々をシステムに組み込ませる方向→「関係は緊密」という立場
 - 教育で社会改革が可能とするなら→「関係は緩やか」という立場

教育の再生産理論
 社会学では、教育の場において価値中立的な知識のみを伝達することはなく、教室の相互作用、学校と外部社会との関係性の中、生徒は特定の価値観を取り入れたり(内部化)、社会における特定の改装や地位に振り分けられていくと考える。学校は、個人を精神的、技能的、文化的に社会の背員としてふさわしいように養成する機能を持つ。これを「教育の再生産理論」と呼ぶ。44
 中でも、教育制度が構造的に社会維持メカニズムの一部になっているという見解(構造主義マルキシズム・機能主義)。学歴による社会構造の再生産などの、学校内部より社会との関係性に着目。
 教育は既存の社会関係を再生産しているが、それは制度による直接的強制より教育の過程で学習者が支配的な価値観(ヘゲモニー)を内部化するからだという見解(文化マルキシズム)表2-1。学校内での体験を通じた支配的な文化や価値観の内部化に焦点。例:教師が叱ることで特定グループ生徒に差別的な対応する価値観が再生産される。45-46
 再生産を絶ち、教育を通じて社会改革を目指すのがフレイレなどの批判的教育学。イリイチ(1970)は学校の再生産機能としての限界を克服するために、学校枠にとらわれず、個人の自覚による学習を可能とする開かれた教育環境を提案(脱学校論)。
 機能主義は、教育は構成員が必要な理解力や知識、発展の基礎的な政治思想(民主主義)を理解させることにより、社会発展のプラスの貢献をするという前提。図2-1は社会か教室内かを軸に加えている。教育は社会の有機的な機能の一つとして積極的に評価される。教育政策においてもっとも一般的な立場。47

教育社会学の対象とする領域
 大まかに、社会構造の中で教育が果たす役割と、学校内の体験が社会成員個人に与える影響である。具体的には、
(1)学歴と労働市場:
 機能主義では教育資格と技能習得、実力がバロメーターと認知するので、学歴と社会発展への貢献度を関連づける(人的資源論)。これに対して、教育資格と実力は同一でない、学歴は不公平である、教育へのアクセス平等化は所得再分配しないと批判が、ボウルズとギンティスの論文(Bowles & Gintis, 1975:81)
 教育の文化的再生産機能に着目したのは、ピエール・ブルデュー。教育制度とは、社会の支配的文化に精通していることを前提とし、家庭で支配的な文化的資本(cultual capital)に触れる機械の多い上流の子どもの方が、下層階級よりも優位にあるので、成功し上流の位置を維持する可能性が高い(Bourdieu, 1974:32)。

(2)社会機構としての学校:
 教育が行政機構の中に取り込まれすぎ、機構が自己目的化して維持・再生産されることへの批判をするのは、構造主義マルキシズム(フランクフルト学派)。国家発展の手段にばかり教育の目的が向けられがちだが、資本集積や政治的妥当性だけでは個人の人間の基本的ニーズは満たされず、教育目的が一元化されることは、個人の否定になるという。マイケル・アップル(1992)は、資本主義経済と官僚制度下の学校では、教師の労働は商品化、管理され、教材や学校備品の調達も市場競争にまかされるので、生徒は消費者として学校外の経済・行政機構に組み込まれる。そして社会の支配的文化はより学校に持ち込まれ、少数派や女性、多様性への許容は小さくなる。

(3)教育での社会化(隠れたカリキュラム・イデオロギー):
 学校で教える内容は政策決定者の価値観に左右されるため、支配的な価値観(ヘゲモニー)の押しつけになりやすい。カリキュラムに明示されていなくても、暗黙のうちに伝えられるメッセージがあり、隠されカリキュラム(hidden curriculum)という。例:農村部に来た都会出身の教師が農業の重要性を教えても、自分が農村生活を嫌っていたら、生徒は言葉にされないが価値観を内部化する。ブルデューの文化資本の考えなら、教師と生徒の相互作用はヘゲモニーを前提にしており、それを共有していない生徒は最初から不利になり、劣等感も持ちやすい。51-3

3-2 国際社会の中の途上国

独立:拒絶と回帰→再構築
 途上国と国際社会の関係について議論がはじまったのは、独立する前後1950-60sで、欧米文化の拒絶と土着文化への理想の思想だった。
 しかし独立後、欧米と土着文化の単純対比に疑問が生まれた。「植民者と被植民者」を記したメンミは、この二極化は支配による仮想の対比で、実際には両者が日常的に接し、文化を共有する点で境界線は曖昧だったとした(Memmi, 1965)。53-4
 外来の枠組みではなく、被支配者側から社会認識や歴史を再構築しようというサイバルタン研究がインドで生まれた。

近代化論・従属論・世界システム論
 開発学の中では、1950sに途上国の未開発の原因を国内に帰した近代化論。資本主義にもとづく社会をゴールとする単線的な発展。対して50年代後半に、国際的手名経済活動における搾取構造に着目した従属理論。そして経済的な従属理論を、政治、経済、文化の有機的システムとしての国際的な中央・周辺関係として広げたのが、世界システム論(ウォーラーステイン, 1981)。文化マルキシズムのヘゲモニー論の延長とみることができる。56

国際機関のアプローチと二項対立
 比較教育学者は世界システム論を教育政策の国際的移転の実状分析の枠組みとしていることが多い。非常に強力な国際機関や先進国援助機関によって、ある教育モデルが中央から周辺(途上国)に移転される結果、まったく違う状況の国々の教育政策が基準化の方向に集約されるという考え方(e.g. Samoff, 1999)。例:EFAは時に選択の余地を与えず。
 従属論と世界システム論で留意すべきは、国際関係を中央と周辺というグループ化している点で、二項対立の図式になりがち。実際の国際関係は、個人や集団が多様・多層的に相互作用を持ち、力関係も複雑。従属論・世シ論への批判はポストモダン視点で、社会を構造と秩序という側面から一般化するのではなく、成員の主観や相互作用の過程での社会の意味形成に焦点を当てようという考えを持つ。

4 経済学から見た教育

人的資本(Human Capital)
 シュルツ(1981)は経済成長の決定要因のうち、物的な資本ストックや労働の投入量の増加によって説明できない「残余」が、教育水準で測られる、労働力の質的改善によって説明されうることに着目。その残余を説明する、物的資本や労働力とは異なる生産要素としての「人的資本」概念を提唱。個人の人的資本に対する投資行動を数量的に把握するための、教育収益率を推計する枠組みとして登場したのが、ミンサー方程式。62

教育成果の生産と教育サービスの供給・政策介入
 教育需要が決定され、家計レベルで教育投資が行われると、次に教育の供給要因が教育需要と組み合わされ、教育のアウトプットが生産される。このメカニズムを集約して分析する枠組みに「教育生産関数(education production function)」がある(Glewwe, 2002)。67

量から質へ
 量的拡大が政策目標だったが、ジョムティエン以後、質の問題が重視されている。近年、質の向上のための仕組みとして、教育システムの分権化、コミュニティ(or受益者)の役割が、実務・研究レベルで世界的に注目されている。例:USのチャーター学校、エルサルバドルのEDUCO。68

教育成果の収益:
 教育の効果が実現するのか、教育の労働市場における評価値「教育収益率」を測定するには、ミンサー方程式(Mincerian equation)が一般的。教育年数の係数rが教育収益率を示す。
賃金の対数値=定数項+r*教育年数+その他の変数群の効果(職務経験年数、性別変数など)+確率的誤差項


反対意見も
 教育が経済成長につながるという論理を疑問視する場合もある。サブサハラでは初等教育水準の改善が所得水準向上につながらなかった。75

5 初等教育

初等教育とは
 学校教育における最初の段階の教育、5-7才に始まり11-12才を対象、基礎的な知識・技能・態度を養う。基礎教育は、初等教育と成人識字教育をさす。

アクセス:
 普及を示すのは、就学率。総就学率(gross enrollment ratio)と純就学率(net)のうち、前者で100%を越えるのは留年の問題があるから。途上国のデータでは、就学率は学齢人口の動向により大きく変動、留年・中退の存在、社会集団間の格差、二部制の存在、残り10%が困難、就学の定義が曖昧、という点を注意すること。89

教育の質:
 量が就学率、学校数、生徒数、教員数などであり、質とは教育目標、教育課程、指導方法、学業成績、学校経営など質の向上になる領域である。質は、インプット・アウトプットの質に分けられる。インプット=教師、校舎、教科書など条件整備。アウトプット=成績、識字能力、進級・卒業など結果。質の点で、教師・教師教育、カリキュラム・教科書、教授言語、進級制度、学校管理運営が大きな課題。93

教育財政:
 2000年ダカール会議の目標で注目すべきは、無償の原則が明記されたこと。ただし無償とは、授業料を徴収しないだけか、PTA会費、学校修繕費などといって負担がある場合も。教育費の家計負担は、分権化政策とも関係し、学校レベルで資金集めをしないといけない。また子どもが労働力な家庭では、機会コストも大きい。95
 カラチプラン:1960に教育普及を目指したが、失敗。
 ジョムティエン:EFA。2000年までにすべての人に教育を。成果は限定的。
 ダカール:2000世界教育フォーラム。2015までに無償&良質の初等教育をすべての子どもが修了。

初等教育援助の課題:
 多くの国・機関がかつて敬遠したのは、成果が見えにくい、援助国の産品が使われにくい、管理コストがかかるなどの理由。財政のほとんどは教員給与で、リカレントコストへの援助をすべきか?100

6 中等教育

中等教育とは
 2-8年間の幅があるが、もっとも多いのは6年間。前期と後期に分かれる。ドーア(1978)は、開発が遅いほど就学者の増加が急速であることを示し、修学証明書が求職者選別に使われ、学歴インフレが進行し、学校教育が受験中心になると指摘した。

開発と教育の関係:
 中等教育は経済発展と関連が深いといわれるのは、1960年代から始まった関係を示す研究による。ハービンソンとマイヤーズは、一人当たりのGNPと各教育段階における就学率とが高い相関があることを示した(Harbison and Myers, 1964)。近代化する社会では伝統社会にはなかった技術や知識が求められるようになり、その教育を与えるのが中等教育である。
 しかし、他方では試験によって使えるようになる人材を若いうちに選んでいるにすぎないという選抜機能・試験制度という見方もできる。さらに多言語・多民族国家においては、国家安全保障のため相互理解が必要であり、寄宿制の中等教育機関には全国から生徒が集まり、多感な時期に勉学を共にすることで理解する機能を持つともいえる。
 
中等教育の課題:
 中等教育では初等教育より教育格差が顕著。男女差、都市・農村格差。家計のコスト。試験制度と学歴偏重。108-114

中等教育への国際協力:
 中等段階が機会ととらえられるとEFA目標の初等段階修了への動機付けとなる。ICT利用により学校外でも教授など教授法の新しい動き。NFE。

7 高等教育

高等教育とは
 UNESCO国際標準教育分類(ISCED)でレベル5,6を指す。大学の起源は中世ヨーロッパのボローニャ大学、パリ大学だが、今日的な意味での大学の役割に関する考えが確立したのは近代。近代型大学の原型はベルリン(現フンボルト)大学。1810年に研究と教育の統一を理念とするフンボルトにより、大学は研究を通じての教育による新たな知識の発見と創造の場と考えられた(潮木2000:64)
 大学は高等教育機関として役割は、教育、研究、社会貢献。
 米国では、良き市民を育成するため一般教育に注力(潮木1998:64)し、後に大学院における専門教育を開始。123

途上国の高等教育:
 トロウ(Trow,1974)によれば、高等教育は発展論的に、エリート型(15%)、マス型(50%)、ユニバーサル・アクセス型(50%-)になる。質として、量との反比例。大学は初等・中等学校教員の養成する役割を持つ。127

行財政:
 一般に高等教育は他と比べてコスト高。私立大学の役割が強くなる傾向。行政に大学運営予算の多くを依存している場合、強い行政管理と大学の自治の問題。質保証と国際化。

高等教育の国際的・国内の枠組み:
 1998年UNESCO世界高等教育会議。136
 世銀が高等教育に関して戦略レポートを出し、知識と技術力を強化することが途上国には不可欠と(World Bank, 2002, 2003)。
 文部科学省は拠点システムとして、2006年に高等教育機関の国際協力への知的協力を重視している。

8 NFE

識字の定義
 読み書き算(Reading, Writing Arithmetic: 3Rs)ができることで、統計上は非識字(illiteracy)、識字(literacy)、機能的識字(functional literacy)3段階で測定している。
 UNESCOでは、それぞれ次の通り定義
- 非識字:3Rsできず、未就学・識字能力を喪失した状態
- 識字:日常生活における単文を理解、簡単な計算可能。第4学年を未就学
- 機能的識字:個人が所属する集団が効果的に機能するため、自己の成長と地域発展の達成のため3Rsの継続的な使用が求められる全ての活動を行える水準。

NFEとは
 NFEの特徴は表7-1(143)になり、概念化は1970年代になされた。途上国では公教育が保証されてない場合、NFEが重要。その意義は、基本的人権の保障、生存の確保、貧困削減、平和構築。内容は、文字・計算の学習から、技術訓練まで含む。ジェンダーの観点も強調されすぎることはない。

NFEの現状

 NFEの主な対象者となる成人非識字者は、世界に8.6億人。アクセスが困難な場合も147
 教育の質のプロセスは図7-1(149)。質保証は重要。
 費用も無償であるべきNFE。

NFEの課題
 政策的イニシアティブの強化、現地リソースの活用、学校教育との連携、学習放棄者の減少などがある。
 国際的な取り組み:1990年に国際識字年(International Literacy Year)と定め、NFEが強化された。NGOの活躍。