介護まめ家の冒険

岐阜県羽島市の宅老所デイサービス介護まめ家の架空の日常を綴ります。


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新年一発目のお迎えは、市町村のボーダーラインを越えた。

 

 

 

我がデイサービス介護まめ家は、昨年4月より、地域密着型デイサービスのカテゴリーに入った。

 

地域密着型への移行は、利用者の利便性の向上というよりは、お役所の事務業務の効率化のためにも思えるが、それをどうこう言っても仕方がない。

 

地域密着という発想は既に十年以上前から始まっているのだし、介護保険が利用者の利便性よりはむしろ事務や運営の効率化を、今後も目指すことははっきりしているからだ。

 

 

 

 

地域密着になったからと言って、いきなり事業所の所在地である市町村に活動を限るというわけではない。

 

少なくとも、それ以前に利用実績のあった利用者は、それ以後も同様にその事業所の利用は継続できる。

 

新規の利用者を受けることはできないから、近い将来、その事業所の全ての利用者は、その市町村の人になるだろう。

 

 

 

 

去年の4月、小規模デイサービスに地域密着という制度が導入されて、おそらくどの市町村も、どうやって対応したらいいか分からないことがいっぱいあったんじゃないかと思う。

 

近隣の市町村のやり方を横目に見ながら、自分のところの基準をその場で決めていったということも、たくさんあったんじゃないかと思う。

 

お役所的には、去年4月をもって、市町村の境を利用者も事業所も越えることはできない、とハッキリしてくれたら、とても対応がシンプルだっただろうが、現実的には利用者に対してそんな酷いことは出来ないわけで、それ以前に利用実績があった利用者に限り、境を越えることができるということになり、その手続きの解釈は、市町村によって、結構バラツキがあったんじゃないかと思う。

 

 

 

 

市町村の境について、弊害があるという意見や実際の困ったケースの報告は、SNSなどでもいくつか目にした。

 

まめ家においても、去年の4月以降、市町村の境を越えて利用の相談を受けながら、実はケアマネさんも僕らもその制度について無頓着であったが故、相談の途中で、その境界線に気づいたということが、2件あった。

 

でも、実は、境界線を越える手立てが全くないかというと、そうではない。

 

手立てはある。

 

問145

平成 28 年4月から小規模な通所介護事業所が地域密着型サービスに移行 するが、利用者は原則として、事業所がある市町村に限定されるのか。また、 他市町村の利用者については現行のような事務手続きをすることで利用可能 とするのか。

 

回答

① 平成 28 年4月1日以降の新規利用者については、その事業所がある市町村の 被保険者のみがサービス利用の対象となるが、当該市町村の同意を得た上で他 の市町村が当該事業所を指定すれば、他の市町村の被保険者が利用することも 可能である。

② また、平成 28 年4月1日前からの既存の利用者については、それぞれの住所 地である市町村の指定があったものとみなされるため、事業所の所在市町村の 被保険者だけでなく、当該市町村以外の他の市町村の被保険者も引き続き利用 することが可能である。

 

②については、去年の4月の時点で、対応の必要が多くあったため、よく知られた回答であるが、①については、あまり検討されていないように思う。

 

僕も、境界線を越えた相談について、①のことを、ケアマネさんや利用者さんに言ってはみたし、まめ家として手続きが必要なことは、積極的にやりたいとも伝えた。

 

というのは、それが本当のところ、可能なのか知りたかったからだ。

 

絵に描いた餅ではないのかと、相当疑っていたからだ。

 

何故なら、認めるも認めないも、お役所次第だ、ということは、煩わしい事務仕事を引き受けてまで、例外事例に付き合う必要がないと、その次元で判断するなら、実質的にそれは、絵に描いた餅になるだろうからだ。

 

まめ家に頂いた二件の境界線を越えた相談は、実は、市町村の境どころか、県境を越えた話だった。

 

利用者さんがかなり遠くにお住まいだということで、地域密着という制度以前に、かなり無理をした話だったことと、ケアマネさんもそれまでにお付き合いのない遠くの事業所の所属だったこともあって、その二件とも、その後、どのような手続きをしたのか、その経過はどうなったのかは、知ることがなかった。

 

初めの相談の後、その二件とも連絡がなかったので、おそらく、境界線を越える話の進展はなかったのだろう。

 

興味があるのは、その話が少しでも前に進んだとして、どこの時点で頓挫したのか。

 

よく調べてみたら、あまり現実的な話ではないと思ったと、ケアマネさんが判断した。

 

とか、

 

市に打診してみたら、色いい返事がなかったので、ケアマネさんが無理をしなかった、

 

とか、

 

実際に手続きに入ったら、あっさり市に門前払いされた、

 

とか、

 

利用者の市町村からはOKが出たが、まめ家のある市からOKが出なかった、

 

とか。

 

いずれにしろ、積極的にその手続きが行われた例を、僕は、聞いたことがなかったので、もしかしたら、多くの利用者、ケアマネ、介護事業者が、それは無理なことだ、と思い込んでいて、行われないのかもしれない。

 

あるいは、市町村の方で、それは特別例外的な事であり、基本的には取り合うべきことではない、ということになっているのかもしれない。

 

 

 

 

でも実は、市町村の側においては、その対応の温度差は、結構あるのではないかと思う。

 

例えば、「やらなくてもいいことだから、やらない」という判断の市町村と、「申し出があったら、しっかり対応する義務があるらしい」という判断の市町村が、あるんじゃないか。

 

全国で、それが統一されていない、あるいは、今はまだ統一されていない、可能性はあるのではないか。

 

 

 

 

 

近隣のある市町村の社会福祉協議会のケアマネさんと、まめ家はとてもいい関係でお付き合いさせてもらってきた。

 

去年の四月以前からの利用者さんがいて、今も親しくさせてもらっている。

 

そのケアマネさんから、ご自分の受け持ちの方に、是非まめ家を利用してもらいたいと、打診があったのは、去年の秋だ。

 

ケアマネさんは、市町村の境を越えるための手続きに入った。

 

その市町村は、既にまめ家を利用している方がいるので、とあっさり問題なくOKを出してくれた。

 

その方が、まめ家をお試し利用した時、役所の担当者も一緒に見学に来てくれた。

 

それに比べたら、まめ家のある市のOKをもらうのは、ハードルは低いように思えた。

 

実際、市のOKはすぐ出て、この方は、市町村の境を越えて、新規利用者として、今日初めてまめ家に来られた。

 

 

 

 

お役所の言うことは、担当者で変わることがある、とか、担当者は配置換えでころころ変わる、とか、来年には判断が変わっていることがある、とか、不安なことはある。

 

なので、今後はこんなにすんなり事は運ばないかもしれない。

 

また、別の市町村なら、話を聞いてくれる間もなく、門前払いの所だってあるかもしれない。

 

それでも、これでひとつ、例外の成功例が、できた。

 

 

 

制度としての区切りは仕方がないとして、例外を認める道筋はあるべきだし、絵に描いた餅ではない実際的な道筋が、あって欲しい。

 

なにより、僕らが勝手に悪い方に解釈して、その悪い解釈を実際の習慣にしないように気をつけないと。

 

勝手にあきらめるということが、一番弊害があるから。

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12月30日にデイサービスの今年最後の営業を終え、今朝31日の朝、お泊まりのカッちゃんを自宅に送り届けて、僕の2016年の仕事は、終わった。

 

まだまだ法人理事長としての事務仕事は山積みだし、訪問まめ家のスタッフは、年末も年始もなく出動しているので、まめ家は年末年始完全にはお休みというわけにはいかない。

 

それでも、僕としては、2016年の一区切り。

 

束の間ホッとするひと時を過ごしている。

 

と思ったら、カッちゃんの旦那さんが、明日元旦の昼間、正月行事にカッちゃんを連れて行きたいから、送ってくれ、と。

 

分かりました。あと何回ふたりのお正月があるか、ないか、分からないもんな。

 

訪問介護と訪問看護の段取りを調整し直して、とりあえず、オーケーと。

 

 

 

 

 

 

2016年、始まりは暗雲立ち込めた不透明な景色だった。

 

その直前に、年末をもって、四年以上まめ家にいてくれた男性スタッフが、急に辞めることになった。

 

そして、新年になってすぐ、ヒロさんが自宅で倒れ、亡くなった。

 

どちらもショックの大きい出来事だった。

 

男性スタッフは、生き方としての介護を模索していたと思う。

 

生き方としての介護、仕事としての介護、その曖昧な境界線で、いつももがいていたのかもしれない。

 

そして、その折り合いのつかない日々の果てに、彼は自分にとって介護とは何かが分からなくなったんじゃないか。

 

そういうのをきっと、バーンアウト、というのだろうと思う。

 

彼が辞めたこともショックだったけれど、まめ家という場で、その折り合いがつかなかったということ、彼がひどく心を弱らせてしまったということが、僕をとてもモヤモヤさせた。

 

僕は、自分のやっていることに、自信がなくなったのだろう。

 

 

 

 

 

ヒロさんは、去年まめ家が最も熱心に関わった方だったので、まさに主役を失ったような喪失感があった。

 

それに、実質一年しか関われなかったことで、見えていたたくさんの課題に対して、多くのことをできなかった心残りがあった。

 

しかし、こればっかりは仕方がない。

 

 

 

 

 

今年、三人の新しいスタッフを迎えた。

 

ハローワークに求人を出したが、その三人の方は三人とも、求人とは別のルートからやってきた。

 

しかも、三人とも、おばさまだ。

 

おばさまおじさまは、なかなか難しいというのが、僕の偏見。

 

きっと、老いをリアルなものとして感じ始めると、ひとは、「まだまだ自分は大丈夫」と自分に言い聞かせたくなるのだろう。

 

そのせいで、介護サービスの受け手であるお年寄りと年齢が近いにもかかわらず、いや、近いからこそ、「自分は介護が必要なあなたたちとは違う」という心もちを、無意識に抱えているように感じる。

 

若い人のように割り切ったり面白がったりして、老いの世界に馴染んでいくのが難しいようだ。

 

老いが、認知症がリアルすぎるんじゃないか、その年代の人にとっては。

 

というのは、僕もなんだかんだ言って、老いというものを意識せざるを得ない年齢になってきたからだ。

 

いくら若作りしていても、体質が変わって以前では考えられなかったような体の状態の変化が次々とやってくる。

 

自分が何歳か、というよりも、あと何年生きられるか、という逆算になってくる。

 

そういうリアルを感じ始めて、リアルだからこそ老いを受け入れづらいという感覚は、分かる気がするのだ。

 

 

 

 

 

 

ニシムラさんは、春のある日、突然まめ家にやってきて、「何か仕事はないか。面接してほしい」と言った。

 

ニシムラさんは、まめ家のすぐ近くに住んでいて、まめ家みたいな介護施設でちょっと働けたらいいな、と以前から思っていた。

 

その日たまたま、二年前に亡くなったエーさんのお母さんがまめ家に遊びに来た時に、顔見知りのニシムラさんに会った。

 

エーさんのお母さんがまめ家とつながりがあることを知り、その勢いでまめ家に来た。

 

実はよく聞いてみると、二人は友達というほどではなく、ニシムラさんの以前の仕事の関係で、何度か顔を合わせたことがあると言うくらいだったらしい。

 

突然そんな風にまめ家にニシムラさんが来て、僕は、これは面白いと思った。

 

お仕事の求人をして、お仕事として面接に来る、そういうわざとらしい出会い方に、どこかゲンナリしていたからだろう。

 

というわけで、ならどうぞ、とそのまま面接ということになった。

 

ニシムラさんは、当然履歴書など持ってきていない。

 

けれど、別にそれは、どうでもいことだ。

 

本人が言うには、面接してくれとは言ったが、よく考えてみれば、急に飛び込みでくるなんて私は一体なにをやっているんだろう、なんて失礼なことをしているんだろう、と面接の時には既に思っていたらしい。

 

考えより先に行動してしまうタイプなのだ。

 

天然で面白い人なので、断る理由がなく、なら、2,3日試しに来てみますか?と、お試し就労することになった。

 

 

 

 

 

 

僕は、面接で断る理由がなかった人には、次の段階として、お試し就労をお願いする。

 

面接ですぐその人を見抜けるほど、僕は自分の直観が信用できるわけではない。

 

面接で分かることは、ほとんど何もない。

 

なので、はっきりとお断りする理由がある場合、むしろ安心する。

 

はっきりしないから、お試し就労なのだ、大概は。

 

 

 

 

 

お試し就労と言っても、実際には、できる仕事はない。

 

見知らぬ人たちに、出会ってすぐできるサポートなどないということを、まず分かって欲しいというのが、本音だ。

 

お試し就労の人は、スタッフとして自分ができることを探す。

 

当たり前だ。

 

でも、スタッフだからと言って、出会ってすぐの人に何かやっていいという思い上がりをまず、どうにかしてほしい。

 

できるという思い上がりにまず、気がついてほしい。

 

何をするか、よりも、何をしない方がいいか、という観点から考えた方がいいかもしれない。

 

とにかく、邪魔しない。

 

足し算より引き算。

 

そういうことを心がけてほしい。

 

だから、お試し就労でできることは、出会った人たちに自分が何者かを知ってもらうこと、その人がどんな人かを教えてもらうことしかない。

 

「スタッフとしてどんな業務があるんですか」と、僕に問われても、僕に言えることはこんなことだ。

 

「業務なんて、条件さえそろえば、誰だって何だってできます。

 

だから、逆に言えば、条件がそろわなければ、何もできません。

 

業務のやり方を覚えても意味がありません。

 

条件を揃えることが先決であり、全てです。

 

その条件とは、あなたの役割や仕事は、『場』が決める、ということです。

 

僕やスタッフがあらかじめ決めるわけじゃありません。

 

誰かがあなたを求めない限り、入浴介助は始まりません。

 

入浴介助の方法を学ぶのではなく、求められた時、ある特定の人の入浴にお付き合いするマナーを学ぶんです。

 

一般的な入浴介助の方法なんて学ぶほどの意味はありません。

 

そんなことよりまず、ここにいるお年寄りやスタッフと約束を一つ一つ丁寧に結んでいくことから始めるしかないんです。

 

そうしたら、自然にあなたの役柄が、この場で収まっていきます。

 

それぞれのお年寄りやスタッフが、それぞれにあなたの役柄を求めます。

 

あなたの役柄は、それぞれのお年寄りやスタッフにとって、違うものでしょう。

 

当たり前ですよね、学校でも職場でも友達関係でも、そういうものですよね。

 

あなたはまず、私はスタッフであるということが役柄だ、なんていう誤解を忘れることから始めてください。

 

スタッフだから入浴介助をしてもいいというわけではありません。

 

誰かがあなたにお風呂のお世話をしてもらっていいと思い、あなたがそうしたいと思ったとき、初めて、入浴介助が始まります。

 

それがどういうきっかけで始まるかは、わかりません。

 

でも、その時まで、入浴介助もトイレの介助も食事介助も、どんな小さなサポートも何も始まりません。

 

ここにいるお年寄りやスタッフのことをよく見てください。

 

そして、自分のことを知ってもらってください。

 

ひとをサポートするということの意味を、感じてください。

 

邪魔をしないということはどういうことか、感じてください。

 

まずは、そこからしか、始まりません」

 

 

 

 

 

そんなことを言われて、新しいスタッフ候補さんは、とても困ると思う。

 

何もできない、というところから始めるということは、何をやってもいけないと言われているのと同じだからだ。

 

とりあえず、お年寄りにお茶でも入れようとしたら、「今あなたが動き出したせいで、誰かにお茶を入れようとしたその人は遠慮して、やめたんだよね」と言われる。

 

トイレから帰ってきた人にソファーを勧めたら、「その人は黙っていてもいつもそのソファーに座るし、今日初めて来たあなたが偉そうにそこに座れなんて、言っていいわけがない。むしろ、教えてもらうのはあなたの方ではないか」と言われる。

 

そういうことを言われるのは、辛いことだと思う。

 

けれど、新参者のあなたがやっていることは、ずっと前からここにきている人に対して、敬意のあるやり方とは言えない。

 

それが介護職の常識なのかもしれないが、ここの常識ではないし、世間一般でみたら、やっぱり常識とは言えない。

 

我々は介護職である前に、一人の人間としてどう振る舞うか、まずはそこから始めてみましょうよ。

 

 

 

 

 

 

僕は、どちらかというと、あまり細かいことを言わない人間だ。

 

実際に何をやるか、どうやるかは、あまり問わない。

 

どうやるかは、それこそひとりひとりの人としての振る舞いに任せようと思う。

 

しかし、その振る舞いのベースに、ひとに対する敬意のようなものが欠けているなら、それは指摘したい。

 

敬意さえあるなら、あなたのやりかたでやってみたらいいというのが、僕の考え方だ。

 

 

 

 

 

 

介護の仕事の経験のある人は、そういう意味ではなかなか悪い癖が抜けない。

 

なら、経験のない人がそうでないかというと、経験のない人でも放っておくと、ベテランの経験者並みに平気で、敬意の欠けた振る舞いをする。

 

これは、その人たちが悪いのではなくて、介護の現場が持っている根底的な危うさが、そうさせるのだと思う。

 

それは一言で言って、介護を介護負担だと思っているということだ。

 

意味もなく立ち上がる、意味もなく歩く、そう見える人には、とりあえず、座って座ってと言ってしまう。

 

昨日今日その人に会ったのなら、まず、何故立ち上がったのだろう、何をこの人は思ったのだろう、この人はどんな人だろう、と思うのが自然なのではないか。

 

そういう自然なことより、座らせて安全を確保することの方が自然と思ってしまう。

 

あるいは、介護施設というところは、介護スタッフにそういうことを求める場所だと思っているのかもしれない。

 

その、介護の根底のところを見直すことから、新しいしスタッフ候補さんには、始めてもらわなければならない。

 

あなたがその人をよく知りもしないで、座らせようとしたのは何故だろう?

 

座れという前に、その人が歩くことに付き合ってみるのが、筋ではないか。

 

ここは、よく知りもしない人を座らせておけばいいということを、介護とは言わないことにしている場所だ。

 

そういうことを、大変申し訳ないが、スタッフ候補さんに失敗してもらいながら、ひとつひとつ分かってもらうしかないのだ。

 

 

 

 

 

大抵の人は、なら私は何をすればいいのか、私にできることがあるのか、という難問に苛まれることになるのではないか。

 

年齢で差別するわけではないけれど、年が高いほど、「ああそうか、そういう考えにシフトしてみればいいのか」とは、簡単に考えられない傾向があるように思う。

 

60歳代半ばのニシムラさんも、「私には無理みたいです」と早々に音を上げた。

 

僕は、スタッフ候補さんがそう言ってくれると、大抵安心する。

 

何故なら、その人のことがよく分からず判断に困っている僕が判断しなくても、その人が自分で判断してくれたということだからだ。

 

それによって、新しいスタッフが決まらなかったという結果になるのだが、でも、それでもいいやと思えるくらい、新しいスタッフを迎えることは、こわいことだ。

 

 

 

 

 

 

でも、ニシムラさんは、とても面白い人だ。

 

この人の面白さとは、つながっていた方がいいぞ。

 

いつもは頼りない僕の直感が、何となくそう言っていた。

 

苦肉の策で、「なら、お料理おばさんで、来てみない?介護じゃなくて、お料理専門で」と言ってみた。

 

ニシムラさんは、その時こう思ったらしい。

 

突然飛び込みで面接してなどと失礼なことを言ったので、むげに断ることはあまりにも無礼だから、うんと言うしかない。

 

 

 

 

 

まめ家では、昼食は介護スタッフが作る。

 

お料理専門のスタッフはいたことがないし、雇うつもりはなかった。

 

何故なら、お年寄りと空間を共にしながら、その空間に見向きもしないでひたすらお仕事としてお料理を作る人など、いて欲しくないからだ。

 

でも、正直、週に二回もお料理当番があるということは、介護スタッフとしては結構しんどいことだと思う。

 

まめ家では、その日のメニューは、お料理当番に任されるから、献立から考えなければならない。

 

なので、その負担を減らすために、ニシムラさんにお願いしたということはあったのだ。

 

 

 

 

 

結果、どうなったかというと、最近ニシムラさんは、こんなことを言った。

 

「正直言うと、お料理なんて全然自信がなかったのに、実際にやってみたら、私こんなこともできるんだあんなこともできるんだって、楽しくて楽しくて。

 

分からないことはお年寄りに訊いたら、いろんなことを教えてもらえるし、手伝ってもらえるし、もうすんごくうれしい!」

 

いやー、こんなことを嬉々として言える人は、そうそういないと思う。

 

介護スタッフでは、全然介護ができそうになかったニシムラさんが、ただのお料理おばさんになった途端に、それはもう自然にお年寄りとバカ話をしながら、お料理や後片付けをしているわけだ。

 

お年寄りが提供してくれた食材を、その日のお昼にはお料理として出してくれて、バカ話がさらに盛り上がって、「なら、今度また持ってくるね」とお年寄りが言ったりして、次の約束ができちゃう。

 

いやいや、僕が小難しく言っていたことは、こういうことなんです。

 

この場が、ニシムラさんの役割を決めてくれるんですよ。

 

ニシムラさんがさらにそれに応えていくから、また求められていくんですよ。

 

ニシムラさんのおかげで、キッチンとリビングは常につながっている。

 

それに、なにより、週に二日のニシムラさんのお料理は、とてもおいしい。

 

先日は、前日から仕込んだ煮豚がでた。

 

調味料が足りないと、近くの自宅にとりに行く。

 

いやいや、やりすぎだろ、って思いながら、笑ってしまう。

 

介護の世界にはいられなかったかもしれないニシムラさんが、今年まめ家をある意味変えるくらいの貢献をしてくれたと思っている。

 

介護士としての才能とかスキルとか、それよりも、誰だってやりたいやってあげたいということがあれば、役割はきっとそこにある。

 

 

 

 

 

 

僕は、そこは譲れないところだし、そこさえ譲らなければ、大きな間違いはないと思っている。

 

それは、やりたい、という動機が先にあるということだ。

 

仕事や業務が先にあるわけではない。

 

やりたいという動機が、その人に役割を与え、役柄を与える。

 

場の登場人物になることができる。

 

やりたくないことはやらなくていい。

 

お料理を作りたくない人の料理を、誰が食べたいものか。

 

やりたいことだけやればいい。

 

みんなが同じ役割をするべきだなんて、ひとを馬鹿にしている。

 

いきいきするチャンスを潰している。

 

お年寄りもスタッフも子供も、同じだ。

 

その出発点だけは、譲らないことにする。

 

 

 

 

 

 

だから、ミーティングで僕が挑発的に「これだけのトラブルがあり、さらに今後もっとトラブルが起こることが予想されていながら、それでも、シコさんを断りませんか?」というと、「いくつかの施設を断られて、まめ家に来ているんですから、断るなんてとんでもない」と、僕が言われるのだ。

 

しんどくないと言ったら嘘だ。

 

でも、シコさんと共にいる理由がある。

 

断るなんてとんでもない。

 

頼もしいなぁ。

 

 

 

 

 

今年の僕の仕事で一番のファイン・プレイは、間違いなく、ニシムラさんをまめ家の仲間に加えたことだ。

 

あとは、ニシムラさんが勝手になるようになってくれたんだけどさ。

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今年最後の日曜日。

 

クリスマス。

 

とはいえ、それほど年末気分でもなければ、今更クリスマス気分でもない。

 

いつもの日曜日と同じように、カッちゃんを迎えに行く。

 

 

 

ここのところ、二か月か三か月ごとにけいれん発作が起こっているカッちゃんだ。

 

先週の火曜日、朝まめ家の訪問介護スタッフが、デイの送り出しサポートに入ってた時に、発作が起きた。

 

けいれん止めの座薬を使い、訪問看護に看てもらい、状態はすぐ落ち着いて、夕方お泊まりのために、自宅にカッちゃんを迎えに行った。

 

発作の後は、しばらくして発熱する。

 

相当な負担が体や脳にかかるのだから、それは仕方がない。

 

それもあって、デイはお休みしても、落ち着いたらお泊まりに来てもらう必要があった。

 

介護者である夫では、そういう時、頼りない。

 

仕方がないのだ。

 

 

 

その夜、一瞬発熱傾向が見られたが、すぐに治まり、ホッとした。

 

次の日は予定通り、夕方に帰宅した。

 

しかし、それ以降、食事の呑み込みが不安になった。

 

むせが増え、食事の後、喉がゴロゴロ鳴って、呑み込み切っていない残り物が、喉に残っていた。

 

そういうことは今までにもあった。

 

体調が回復するにつれて、それも改善していくのが、いつものパターンではある。

 

しかし、心配だ。

 

 

 

 

一時的な発熱はみられたが、まめ家に二泊して、やっとゴロゴロが治まり、体調が回復してきた週末。

 

週末から週初めは、夫と自宅で過ごす時間が多い。

 

まめ家が休みの日曜日にカッちゃんに来てもらうのは、そこのサポートの必要からだ。

 

自宅での夫の追い付かないサポートで少し調子を崩したカッちゃんが、火曜日からのまめ家でのデイやお泊まりで調子を戻し、土曜日の朝に帰る。

 

日曜日の夕方デイから帰宅すると、火曜日の朝までが、一週間で最も連続で自宅にいる時間になる。

 

そして、もうこれ以上、カッちゃん夫婦から、二人の時間は取り上げたくない。

 

 

 

クリスマス気分など微塵もなく、いつものように、カッちゃん宅に入る。

 

二人がいるであろう部屋の扉を開ける時、空気が動いている気配がない。

 

おじいさんは、きっと眠ってしまっている。

 

カッちゃんの車いすが、部屋の外に置いてあるから、おそらく外出の用意はなされていない。

 

別に構わないけど。

 

 

 

「財布を失くしてまって」

 

やっと気がついた夫が、ベッドから起き出して言う。

 

「昨日の午後、財布がないことに気がついて、夜中の三時半まで探していて眠れなかった。

 

今朝、七時に思い立って、そこの交番に問合せに行ったら、落とし物として届けられていた。

 

助かったわ!」

 

それでも、朝の八時には、カッちゃんの朝食を介助したのだから、立派だ。

 

 

 

 

「コンビニで落としたらしい。

 

ほれ、この上着のポケット、浅いやろ?

 

落ちたんやな」

 

おじいさんは、着ているジャージのポケットを裏返して、言った。

 

そりゃ、よかった。寝過ごしてしまうのも仕方がない。

 

 

 

 

おじいさんは、夜中家じゅうをひっくり返して、財布を探したようだ。

 

おじさんも年をとったものだ。

 

自分の行動を振り返れば、まず、コンビニへ行った時に落としたことは予想できそうなものだ。

 

そういう、行動の手続きを踏むことが、難しくなった。

 

それでも、朝になってやっと思い立って、交番で財布が見つかった。

 

よかったではないか。

 

 

 

 

 

カッちゃんは、少しギャッジアップされたベッドに仰向けに寝ていた。

 

腰のあたりに褥瘡があって、円背で、飲み込みに不安のあるカッちゃんには、しんどい姿勢だろう。

 

口の周りは、南瓜らしきペースト状のものが、カピカピに乾燥してはりついている。

 

ゴロゴロが心配だ。

 

室温やお布団のかけ方も、暑がりのカッちゃんには、暑すぎる。

 

おじいさんは寒がりなので、そこのところの調整は難しい。

 

そのせいで、自宅でのカッちゃんはいつも、こもり熱で発熱状態になる。

 

ま、それも仕方がない。

 

 

 

 

寝過ごしたせいで、おむつを替えていないというおじいさんに、全部まめ家に行ってやるから大丈夫よ、と言って、カッちゃんの自宅を出た。

 

寝不足だから、カッちゃんが帰るまで、よく眠っておいてね、と言い残して。

 

まめ家に着いたカッちゃんの着替えとトイレを済ませ、多めの水分を摂ってもらう。

 

体温は幸い高くない。

 

助かった。

 

 

 

 

「最近ボケてきて、すぐ忘れるようになった」

 

あのしっかりしたおじいさんらしくない言葉だ。

 

九十を超えたんだから、当たり前なんだけど。

 

カッちゃんのことも心配だけど、おじいさんの体調の不安定さもまた、心配になってきた今日この頃。

 

二人の自宅での様子を見ると不安にもなるけれど、それも込みで付き合っていくんだ。

 

二人で生きているこの生活を、続けていけるように。

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時折、悲鳴と、それを必死になだめる抑えた声が、交互に聞こえる入浴を終えて、シコさんは、少し混乱気味で浴室を出た。

 

二人で入浴介助した、そのひとりが、シコさんを奥の和室に誘導する。

 

混乱が治まるまで、シコさんはなるべく誰とも接しない方がいい。

 

渇いたのどを潤して、入浴の疲れと共に、少し眠って休んだ方がいい。

 

 

 

シコさんが落ち着けるように、ベッドで添い寝するようにオオノさんが横になった時、シコさんはするりとベッドを抜け出した。

 

おそらく、オオノさんにうまく誘導されていることに違和感を感じたのだろう。

 

オオノさんがその動きについていけない隙に、シコさんは、そそくさと部屋を出た。

 

部屋をひとつ挟んでそれを見ていた僕が次に見たのは、手をやや強引に引っ張られて、和室に逆戻りしたシコさんだった。

 

手を取っていたのは、アカリさん。

 

それは、珍しい光景だった。

 

シコさんが、スタッフの手を強く引っ張って歩き回る姿はいつものことだが、引っ張られているシコさんは、珍しい。

 

アカリさんが、怒っているのが、分かる。

 

おそらく、入浴の苛立ちを整理しきれないまま、和室を飛び出したシコさんは、そこにいた無防備なアカリさんに、反射的に手を出したのだろう。

 

少なくとも、そこにいたのがお年寄りでなくてよかったと思いながらも、僕は心配になって、和室のふすま近くに寄った。

 

「私は怒ってます。

 

何故、ひとの見ていないところで、ひとが見ていないと思って、私を叩くんですか。

 

叩いたじゃないですか。

 

どうしてですか」

 

それは、抑えた声ではあったが、感情は抑えきれない怒りが感じられた。

 

アカリさんには、あれはそう2年前に、仙人に飛びつかれた時のように、もしかしたら、か弱く見える自分が狙われたかもしれないという憤りがあったのかもしれない。

 

シコさんにそんなことができるのだろうか?

 

できるできないで言えば、できるだろう。

 

むしろ、するだろう。

 

その時、シコさんにそういう判断があったかどうかまでは分からないけれど。

 

アカリさんに問い詰められて、シコさんが逆に語気を強めて、言う。

 

「やってない!知らない!」

 

それはおそらく、噓じゃない。

 

シコさんは意識してアカリさんを叩いたわけではないだろうし、叩いたという意識はないだろうし、あったとしても忘れているだろう。

 

残っているのは、イライラが残る自分の気持ちだけだ。

 

それを、アカリさんだって分かっている。

 

けれど、だとしても、その時の気持ちをどうやって整理したらいいのだろうか。

 

分からない、忘れた、意識していない、だからと言って、やったことの責任の少しも、シコさんは負うべきではないのだろうか。

 

負わすべきではないのだろうか。

 

シコさんは、アカリさんからふいっと逃げるように歩き出す。

 

「まだ、話は終わってません」

 

アカリさんの呼び止めに、シコさんが応じるわけはない。

 

そのシコさんをちょうど受け止めたのは、オオノさん。

 

オオノさんは、シコさんをなだめるようにして、和室に二人きりになり、しばらくして二人はまたベッドで横になった。

 

やっと、シコさんは、少し落ち着いたようだった。

 

 

 

 

 

アカリさんは、すぐ大声を出して大騒ぎにして場面転換を図ろうとする僕のような下品なやり方は、しない。

 

僕の下品な、強引につじつま合わせをするようなやり方は、そのつじつま合わせにひとつに、自分のやるせなさを少し発散する目論見があることを、否定できない。

 

シコさんの暴力は、叩くつねる噛みつく、が本当のところではない。

 

上品ぶった、介護職ぶった自分の、晒したくない個人的な部分を、強引に引きずりだす、そのことだ。

 

感情をかき乱される、そのことだ。

 

仕事だなんてことで、やってられないんだ。

 

仕事と割り切らなきゃ、やってられないんだ。

 

そうやって、引き裂かれるんだ。

 

そこが、本当につらいところだ。

 

整理できない自分の感情を、何の解決もないまま、放り投げられたまま。

 

仙人の事件があった時、まだ介護の仕事に本腰を入れる決心がついていなかったアカリさんに、僕は言った。

 

こういうことは、これからもきっとある。

 

もしそれが嫌なら、この仕事を辞めたらいい。

 

仙人の事件をきっかけに、アカリさんは、この仕事をちゃんとやろうと決心した。

 

そして、僕が言ったように、そういうことが、やっぱり、ある。

 

アカリさんは、きっと覚えているだろう。

 

そして、整理できないことを、整理できないまま、放り投げておかなきゃいけないことも。

 

とても難しいことだ。

 

けれど、ひとが生きるってことは、そんなにちゃんと整理できることばかりじゃない。

 

シコさんが生きることも大変だ。

 

僕らだって、誰だって、きっと大変だ。

 

うまく物事が、収まっていくことなんか、ないと思った方がいいかもしれない。

 

シコさんと生きていくということは、そういうことだし、それは、そもそも生きていくっていうことは、そういうことだ、ということだ。

 

ということに、していこうじゃないか。

 

僕だって、ひとに言えるほど、何も整理できちゃいない。

 

何にも収まっていかない。

 

面白いじゃないか。

 

そうでなくちゃ。

 

なあ、面白いじゃないか。

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こんな人間になってしまって。

 
旦那さんは、送迎車の助手席に乗った妻の、そのドアから身を屈めて車内を覗き込むようにして、いつもの笑顔で言った。
 
後部座席に座る、よっちゃんに向かって。
 
よっちゃんは、えーよえーよと応え、シコさんの肩を叩いて、しーこーさん、おはよ、と言った。
 
僕がシコさんに、よっちゃんよっちゃん、と囁くと、シコさんは、よっちゃんの声に振り向いて、よっちゃんよっちゃん、と身をよじって手を伸ばした。
 
 
 
シコさんは、一人にしておけない。
 
先日も、朝のデイのお迎えを待つ間、夫が庭掃除をしているほんのわずかな時間に、家を出てしまった。
 
夫は、万が一シコさんが家から出てしまうといけないので、玄関の見えるところにいたつもりだったが、いつの間にか作業に集中してしまったのだろう。
 
デイのお迎えが来て、屋内に入ると、シコさんの姿がないことに気がついた。
 
シコさんは、1時間くらいして、近くの集会所で、近所の人に保護されていると分かった。
 
ご近所さんも、事情を知っていてくれて、おかげで早く見つかったのだった。
 
 
 
シコさんは、家から出たいから出た、わけではなかろう。
 
朝食後のうたた寝から覚めて、何をどうして良いかわからず、玄関を出た。
 
近くに夫の姿があったが、気づくことができず、さまようように歩き出したのだろう。
 
夫の姿に気づけば、おとーさーん、と駆け寄ったのだろうが。
 
 
 
シコさんは、一人にしておけない。
 
送迎車にシコさんを一人残して、ほかの方をお迎えに行くのは、難しい。
 
誰かと一緒にいないと不安で仕方がないから、一人になるとすぐ、動かないではいられなくなる。
 
そういう時、例えば、よっちゃんを先にお迎えに行って、僕がほかの方をお迎えに行っている間、よっちゃんにシコさんのお相手をお願いする。
 
しかし、シコさんがどんなことに気分を害するかは、想定しにくい。
 
お年寄りの何気ない一言が怒りを生み、それが暴力に変わる可能性がある。
 
というわけで、申し訳ないが、シコさんの指定席は、助手席。
 
よっちゃんには、後ろからシコさんに声をかけてもらう。
 
 
 
 
後部座席のよっちゃんに、夫はいつもの申し訳なさそうな笑顔で、言った。
 
いつもありがとう。
 
こんな人間になってしまって、お世話かけますが、お願いしますね。
 
えーよえーよ、よっちゃんも笑顔で返す。
 
認知症になってもなんでもないよ。
 
なんにも大変なことはないよ。
 
そんな嘘っぽい言葉より、ずっといい。
 
えーよえーよ。
 
僕は、介護現場のこのリアリテイが、嫌いじゃない。
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そんなシコさんの暴力の餌食になるのは、スタッフや子供たちだけ、というわけにはいかない。

 

僕たちは、シコさんの暴力を予知し、予防し、或いは、防御することが、全く簡単なのことではないと思い知るにつれて、シコさんと他のお年寄りとの接点の置き方を考え直していかなければいけなくなった。

 

それは、「シコさんをどれだけみんなから遠ざけるか」ということではなく、「シコさんとみんなの接点をどう作っていくか」ということだ。

 

しかしそんな中で、大変申し訳ないことだが、シコさんの暴力が、他のお年寄りに及ぶことを、完全に防ぐことができない。

 

おそらく、シコさんを隔離するような状態で対処しても、この狭いまめ家の空間の中では、それは、無理なのだと思う。

 

むしろ、シコさんの行動を制御することで、シコさんが陥る混乱状態によって引き起こされる乱暴な振る舞いが、他の方々に及ぶ被害を考えれば、シコさんの行動を制限しない方がまだ、僕らが何とかできる余地は大きいと思われた。

 

また、シコさんを、暴力の人という側面だけで対処することは、シコさんのみならず、まめ家の空間に及ぼす負の影響力は大きいと思わないでいられなかった。

 

とはいえ、それはいつも、瞬間瞬間の、博打のようなところがあるのもまた、事実。

 

シコさんの振り上げた手が、憎悪の張り手なのか、友愛にしるしのモミモミなのかは、瞬時に判断できない。

 

それゆえ、彼女の近くにいた人が、身体や頭を叩かれる瞬間に立ち会いながら、全く防ぐことができなかった僕らだった。

 

僕らはやはり、「憎悪の張り手」なのかそうでないのかを見極められない時、それが「憎悪」であることを瞬時に選ぶことが難しい。

 

介護職というのは、そういうものだ。

 

甘いと言えばそうかもしれないが、希望に賭けてみるという習性は、そう簡単に捨てられない。

 

そんな悠長なことを言っていられない現実を思い知りながら、しかし、シコさんの素早い動きに僕らは対応できずにいた。

 

 

 

 

 

フーさんは、そんなシコさんに、とりわけ厳しい視線を送っている人だ。

 

フーさんから見ると、シコさんは、ひと時も落ち着いていられず、いつもスタッフを一人独占して引っ張りまわして、行ったり来たりしている、勝手気ままな人、ということになる。

 

正義感の強いフーさんは、そんなシコさんが許せないのだ。

 

しかも、フーさんは、何度かシコさんに、叩かれていたから尚更だ。

 

フーさんが定位置にしているのは、リビングから少し離れたソファー。

 

心臓がしんどくて、横になりたい時すぐになれるその場所をフーさんが選ぶもう一つの理由は、ひどく耳が遠く、目がぼやけるせいで、他者とコミュニケーションをとるのが面倒だからかもしれない。

 

しかしそこは、シコさんにとっては、逃げ場所である奥の和室と、みんなが賑やかに過ごしているリビングとの境目に当たる。

 

シコさんは、そこまで来て、リビングにいるみんなに気づき、人が怖くて、そこから先には行けないのだ。

 

だから、そこはシコさんが他者と接する時に最も多くいる場所でもある。

 

スタッフや他のお年寄りと話したり、食事を摂ったり、歌をうたったりする場所だ。

 

そこにはいつも、フーさんがいる。

 

そういうわけで、フーさんは、シコさんの振る舞いを頻繁に目にし、時には隣に座っていることがあって、二人は近くにいることが多いということになる。

 

 

 

 

 

 

ある日、シコさんは、便が出そうで出ない、とても気持ち悪い状態だった。

 

そのせいもあって、いつも以上に落ち着いていられない。

 

まだ、朝の送迎が終わっていなくて、入浴介助が始まって、という、スタッフが動きにくい瞬間に、シコさんについていたスタッフは、そんな彼女が気の毒で、無理を承知でトイレ誘導にトライした。

 

いつもなら二人のスタッフで行うトイレ介助に、怪我のリスクを承知の上で、ひとりではいった。

 

残念ながら、落ち着いてトイレに座ることができず、排便はかなわず、スタッフは断念して、やっとシコさんのズボンをあげたところで、シコさんは逃げるようにトイレから飛び出した。

 

そこに丁度居合わせたのが、送迎車から降りて、まめ家の到着したばかりの、フーさんだった。

 

フーさんに行く手を阻まれたシコさんは、次の瞬間、フーさんの足を蹴った。

 

フーさんは、杖を使ってもなお、ヨタヨタとしか歩けない。

 

そのフーさんを、押されたら、怪我では済まないかもしれない。

 

遠くで見ていた僕は、その光景に自分の身体が凍っているのを感じ、ダメだ、すぐにシコさんを止めなければ、と動き出そうとした。

 

その瞬間。

 

フーさんが、ありったけの声を絞り出して、怒鳴った。

 

「あんた!何するの!

 

あんた三回目やよ!私に手を出して!

 

いつもいつも何するの!あんた!」

 

シコさんが固まった。

 

あまりの怒りに、フーさん以外の周りに風景は、時間が止まったように、静止した。

 

シコさんは、「ごめんなさい」と言った。

 

フーさんの遠い耳にその声が聞こえたかどうか、悪い目にその唇の動きが見えたかどうか。

 

憮然として、興奮が収まらないように少し震えながら、フーさんは、リビングを横切って、いつもの定位置に座った。

 

 

 

 

午後、フーさんを喫茶店に誘った。

 

もう、まめ家に行きたくない、とフーさんが言っても仕方がない出来事だった。

 

フーさんは喫茶店が好きだし、ご機嫌とりの意味もあって、誘ったのだ。

 

場所を変えて、事情を話し、少しでも分かってもらおう。

 

フーさんは、まめ家を信頼してくれていたから、余計にそうしたかった。

 

先週は、「ひなた」に行ったんだっけ?なら、近くのライムライトにしよう。

 

そう、同行したよっちゃんと相談して、行ったら、休みだった。

 

なら、あそこだ、「イースト」。あそこも一日モーニングサービスだし、その豪華さは有名だ。

 

二階建てで、一階が駐車スペースになっているイーストは、エレベーターがあって、却って、広い駐車場の喫茶店より、歩く距離が短くて済む。

 

足の悪いフーさんには、もってこいだ。

 

エレベーターで上がり、よくお客の入っている店内の奥に席を見つけて、座った。

 

座ってすぐ、フーさんは、言った。

 

「今朝は、はしたないことをして、すいませんでした。

 

恐い女だと思わないで。

 

本当は、そうじゃないの」

 

済まなそうに頭を下げるフーさんに、僕とよっちゃんは、ビックリしながら、「とんでもない!」と大きな身振りで伝える。

 

「いや、むしろ、よく言ってくれた、とみんなが言っていましたよ。

 

本当に申し訳なかったです、僕らの責任です。

 

フーさんは、全然悪くないですよ。

 

気分の悪いことになって、ごめんなさい」

 

そして、僕は、テーブルを跨ぐように身を乗り出し、フーさんの左耳に手を添えるように口を近づけて、

 

「病気なんです。仕方がないんです。許してあげてください」

 

と、言った。

 

病気、という言い方は、僕の本意ではないけれど、他にどんな言い方があっただろう?

 

「病気・・・」

 

そう言ってフーさんは少し考え込むような表情になった。

 

フーさんが、それを全く理解してくれたかというと、そんなことを望むのは無理だろう。

 

それでも、少し、違った風に考えてくれたら、いい。

 

それにしても、ビックリした。

 

「はしたないことをしました」

 

なんてことを言うのだろう。

 

何故そんな立派なことが言えるのだろう。

 

強い正義感が、フーさんを怒鳴らせないではおかなかった。

 

けれど、彼女の正義感は、怒鳴ってしまった自分を、許せないのだ。

 

何一つ自分は悪くない。

 

そんなことはどうでもいいのだ。

 

はしたないことをした、その点において、自分は、悪い、と。

 

そしてそれは、あんなことがあったって、まめ家に行かないという選択は、初めからフーさんの中にはなかった、ということだ。

 

フーさんに、とても楽しい思いをさせているという自負なんかない。

 

半日ソファーで横になって、胸痛止めの薬を飲んで、また、半日横になる、そんな日だって少なくない。

 

それでも、まめ家に来てくれて、あんなことがあっても、まめ家に来ることを止めようと、思わない。

 

僕らはきっとフーさんのことを、軽く見過ぎているのかもしれない。

 

 

 

 

そういうことが分かっただけでも、あんなことが起こった意味は、あったんだろう。

 

そして、フーさんはフーさんなりに、シコさんの存在を受け入れている、ということだろうと、思う。

 

僕らは、そんなフーさんの複雑な気持ちに、ちゃんと応えないといけないんだ。

 

シコさんのためにも。

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シコさんとは、数か月前からお付き合いが始まった。

 

傷つきやすい心が、身内の不幸でさらに傷つき、心の病を抱えていたシコさんが、今、若年性認知症とくくられて、僕らは、全てを計りかね、どうしていいかわからないまま、毎日がぶっつけ本番のようだ。

 

一人ではいられない。

 

けれど、みんなとは、いられない。

 

ひと時もじっとしていられない。

 

どこにもいられない。

 

指示や誘導には、反発の反応しかできない。

 

反応は、暴力という形で、表現してしまう。

 

関わりはじめた頃、トイレや、ましてやお風呂は、全く介助させてもらえなかった。

 

しばらく時間が経てば、シコさんの中でなにがしかの妥協ができて、少しは介助させてもらえる状況が来るかもしれない。

 

僕らの中のそんな淡い期待は、すぐに無理なことだと思うしかなかった。

 

シコさんの暴力的な反応を、「トイレに行きたくない意思」と、ただ野放しにすることが、まともな事とは思えない。

 

スタッフは、どうやったら機嫌よくトイレに座ってもらえるか、お風呂に入ってもらえるか、を試しながら、しかし、トイレに行かないなんてことが、あっていいわけがない、という想いと天秤にかけながら、関わりを深めようと必死になった。

 

その代償として、スタッフみんなが、爪で皮膚をえぐられ、嚙みつかれ、叩かれ殴られ、肘で打たれ、蹴られた。

 

ミーティングの時、みんなの話を聞きながら、僕は、スタッフたちが、「シコさんにとっていいこと」という思いに傾きすぎている危機感を感じないではいられなかった。

 

怪我は絶対にしない。させられない。暴力は、否定する。

 

最低限それだけは、確認しよう。

 

腕に爪を刺し込まれる危険を感じたら、迷いなく、振り払おう。

 

シコさんの爪を、いつもキレイに短く切っておくことなんて、出来るかい?

 

シコさんの手を、いつもきれいに洗ってもらうことが、出来るかい?

 

その爪で、皮膚をえぐられることのリスクの大きさを、僕らは、理解しておかなければいけない。

 

怪我をしてまで、しなくてはいけない日常のことが、あるだろうか。

 

怪我をしないで、やるべきことを、どうやってやるか。

 

シコさんの暴力は否定しても、彼女の存在を否定しないでおくにはどうするか。

 

それには、その暴力をちゃんと理解していないと、ダメなんじゃないか。

 

スタッフ達の優しさは、そこのところを、どうしても軽く見ようとする方向に、行きがちだ。

 

 

 

シコさんは、いつもいつも暴力的なわけではない。

 

けれど、いつだって、そうなる可能性がある。

 

厄介なのは、シコさんの気分の変わり目が、瞬間過ぎて、対処が追い付かないことだ。

 

彼女の目が吊り上がっている時は、それ相応の対処の準備はできる。

 

だが、シコさんにピッタリと体を寄せられている時でさえ、その変わり目が分からない。

 

あれ、少し否定的な言い方になったな、と思った瞬間には、6歳児のゆまちゃんは、後ろから頭をはたかれている、といった具合だ。

 

それは、ギョッとする光景だ。

 

6歳の女の子が、何の理由もわからないまま、何の前触れもなく、しかも後ろから頭をはたかれる。

 

ついさっき、「可愛いねー」と、頭を撫でてくれたおばあさんに。

 

取り返しのつかない心の傷を負わせることになるのではないかと、僕は、正直焦った。

 

 

 

 

初めは、泣きべそをかきそうだったゆまちゃんだったが(泣かないだけすごいと思うが)、何度かそんなことがあるうちに、ゆまちゃんなりの距離感を、編みだしたようだった。

 

シコさんの顔を見たら、一目散に逃げ出すくらいのことをしてもよさそうだが、ゆまちゃんの編み出した距離感は、そうではなかった。

 

「シコさんの機嫌のいい時は近くにいてもいい」悪いと分かる時は、素知らぬ顔で逃げる。

 

ゆまちゃんは、生後半年からまめ家に来た。

 

今は、月に何度か、幼稚園が休みの時に、ママに連れられて来る程度だが、流石ベテランなのだ。

 

今じゃ、まめ家に来たって、奥の和室のベッドで、ママのスマホでYOU TUBEを見てばかりで愛想がないが、調理やお菓子作りが始まると、いつのまにかおばあさん方に混じってくる。

 

ゆまちゃんは、好き勝手にやっているだけなんだろうが、年頃相応に愛想が悪いくせに、ベテランなので、お年寄りに混ざることに何の躊躇もなく、すごく自然なのだ。

 

シコさんに、「かわいいー!」と、顔や頭をもみくちゃにされても、視線も合わせず何の反応もしない代わりに、悪態をついて逃げることもしない。

 

けれど、ちゃんとシコさんの機嫌を計っている。

 

「機嫌のいい時は近くにいてもいい」というのは、ベテランでなければなかなか言えないセリフだ。

 

こやつは、ただ者ではないかもしれぬ。

 

 

 

 

ある日、ゆまちゃんがまめ家に来た時、珍しく、ゆずなも来た。

 

ゆまちゃんが、年下のゆずなを、トイレ誘導している姿を見た時は、流石ベテラン!分かってらっしゃる!と唸ったのだが、さらに唸る出来事があった。

 

その日、初めてシコさんに会ったゆずなも、もれなく、シコさんに頭をはたかれた。

 

ゆずなは、そりゃあ、泣く。

 

一緒にいたゆまちゃんが、呟くように、言った。

 

「なんで、小さな子を叩くの。

 

私を叩けばいいじゃない」

 

 

 

やはり、こやつは、ただ者ではないかもしれぬ。

 

ゆまちゃんが成人したら、言ってあげようと思う。

 

あなたは、こんな名言を、6歳の時に、言ってらっしゃいましたよ、と。

 

あなたは、ただの6歳児ではありませんでしたよ、と。

 

ただ、すごく愛想のない6歳でした。

 

僕は、そこがすっごく好きだったんだけどね、と。

 

あと、14年後か。

 

俺、生きてるかな。

 

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おじいさんは、数週間前から食事を摂れなくなった。

 

いや、摂らなくなったのかもしれない。

 

随分弱って、数日のショートステイから戻った。

 

片方の肺が真っ白で、肺炎と診断された。

 

キンキンに冷やしたサイダーしか摂らない。

 

「死んでしまえと言われた」時々そう呟いた。

 

 

 

数年前に、奥さんは亡くなった。

 

入院先から退院を申し渡された時、担当の医師は、自宅へ帰ることを許さず、医療の整った施設しか、退院先はあってはならないと言った。

 

自宅で、介護や看護を受けながらの、先の長くない余生を、とのケアマネジャーの提案は、決して受け入れられなかった。

 

夫も息子も、医師の意見に背く勇気はなかった。

 

結局、奥さんは、寝たきり専門のホームに入所して、しばらくして亡くなった。

 

 

 

奥さんの死後、おじいさんは、奥さんと同じように、パーキンソン病を発症し、今度は自分が介護サービスを受けるようになった。

 

同居する息子は、精神的な弱さを抱えており、時々自室に閉じこもり、おじいさんの食事や服薬は、ままならなかった。

 

それでも、いや、それゆえに、おじいさんにとって息子は、一番の気がかりであると同時に、一番の大事なもののようだった。

 

「母が、あのように亡くなってから、この家はおかしくなった」

 

そう息子は、言った。

 

拘縮した身体を固く丸めたまま、あの施設で過ごす母を、何もできずにただ、死なせてしまった、というやるせなさが、尾を引いていた。

 

それは、夫も同じようだった。

 

 

 

肺炎で、食事もろくに摂っていないおじいさんは、朝、訪問看護によって点滴を受け、僕は、その直後に、おじいさんの家に、デイサービスの迎えに行った。

 

息子は、閉じこもりの時期に入っていた。

 

玄関で呼びかけても応答がない。

 

それは分かっていたので、さっさと上がり込み、おじいさんの部屋に行く。

 

ベッドから起き上がることが出来なくなったおじいさんに手を貸し、玄関で、おじいさんがゆっくりよろよろと歩いてくるのを待つ。

 

玄関の横には、絵皿が立てて飾ってある。

 

殺風景なこの家では、ほとんど唯一の飾り物のようだ。

 

仏壇屋のネームの入ったその絵皿は、カレンダーだ。

 

1992年、申。

 

そういえば、今年は申年ではなかったっけ。

 

その絵皿から、干支がもう二回りしていることになる。

 

24年前か。

 

もう長いこと、この家で、時間は止まっているようだ。

 

それでも、おじいさんは80歳をとうに超したし、おばあさんは亡くなった。

 

息子は、あと数年で、24年前のおじいさんと同じ年になる。

 

 

 

 

24年前、この家は、どんなだったろう。

 

この絵皿を飾ったのは、おばあさんだったのだろうか。おじいさんだったのだろうか。或いは、息子さんだったのか。

 

少なくとも、絵皿を飾るような、洒落た気分がこの家にはあった。

 

いつからこの家の時間は、外の世界の時間の流れから、離れていったのだろう。

 

 

 

 

少し前までは、例え自室に閉じこもっていて返答がなくても、おじいさんは息子に呼びかけてから、出かけたものだ。

 

今日はまるで、息子などいないような素振りで、無言で玄関を出て、車に乗り込んだ。

 

夕方、おじいさんは、「(息子は)家にはいない。だから、帰らない」と言った。

 

どこまで本気の言葉なのかはわからない。

 

今日も、昼食はほんの数口、好きなものを口にしただけだ。

 

どこまで本気なのかはわからない。

 

 

 

 

それはきっと、おじいさんにも分からないのだろう。

 

家が家でないような気がして。

 

何も食べる気がしなくて。

 

それは、おじいさんだって、どうしようもないことなのかもしれない。

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司会者「先日、ある場面を見て思ったことがあったんです。

朝、○○さんが送迎車から降りて、玄関に入ってきて、それを出迎えたアカリちゃんが、

『○○さん、おはよう!』

って、それはとても親しみのあるいい感じで声をかけたんです。

明るいんだけど、とても穏やかで親しみのある声を。

それに応えて○○さんは、

『おはようございます。よろしくお願いします』

と、はにかみながら、いつものようにおっとりと言ったんです。

いつもの風景っちゃー風景なんだけど、僕はいくつかのことをその時思ったの。




まずは、三年前にまめ家に入った頃には、何もできず何も言えなかったあのアカリちゃんが、こんなに自然に、親しみの染み込んだ挨拶をするようになったんだなぁって、感心しちゃった。

何をしていいのか分からなかったアカリちゃんが、今は○○さんに、自分の気持ちをちゃんと伝えている、伝えたい気持ちがある、っていうことが、なんだかとてもうれしくなったんです。

それと同時に、それならばなおさら、さらにもうひとつ考えてみたらどうかな、って思った。

みんなはどう思う?

このアカリちゃんと○○さんのやり取りから、何か気になるところはないかい?」

スタッフA「二十歳そこそこのアカリさんが『おはよう!』って結構ラフで、○○さんが『おはようございます』って丁寧に言ってるところですよね」

司会者「そこに違和感がある、と。

だとしたら、どうしたらいいと思う?」

スタッフB「やっぱり、お年寄りには丁寧に『おはようございます』と言うのがいいのかな」





司会者「なるほど。

でも、そうしたら、アカリちゃんのあの親しみのある感じは消えちゃうかもね。

それは結構かけがえのないものだと思うんだけどな。

丁寧な声って、事務的、といういい方もできない?

お年寄りにはすべからく丁寧な言葉使いで、っていうのは、対処法の統一みたいだしね。

言葉のやりとりは、形式的な側面ばかりじゃないだろうし。

関係性でなされる面も大きいし、それを、形式的に対処法の統一で塗り固めていいものとは思えないなぁ。

確かに、『おはよう!』の持つ親しみ深さをそのままに、『おはようございます』に変換したらいいんじゃないかっていう言い方はあるかもしれないけれど、そこからこぼれ落ちるものがあるっていうか、そういう変換作業のわざとらしさが消しちゃうものがあるっていうか。

そのこぼれ落ちたり消えたりするものを、無視しないっていうのは、「場」にとっては大きいことなんじゃないかって、これは個人的なこだわりかもしれないけれど、思うんだ。

で、一番問題だと思うのは、関係性を狭めちゃうんじゃないかっていうこと。

僕らが、○○さんに対して、『おはよう』も『おはようございます』も、もしかしたら『ウッス!』とか、そうやっていろんな言葉をかけられる可能性があることと、『おはようございます』という距離感しかもっていないことは、随分違うんじゃないかって。




アカリちゃんの『おはよう!』は、○○さんとの内なる関係っていうかさ、割と二人の間だけの関係性だからこその、親しみ深さだよね。

で、その関係性は、それはそれとしてとても大事だと思う。

でも、この時僕が最も気になるのは、傍から見て、○○さんがアカリちゃんに気をつかい、頭を低くしているという、見た目の悪さ、じゃないんだ。

スタッフが偉そうで、お年寄りが遠慮しているっていう、その風景の見た目の悪さ。

それじゃない。

○○さんは、常々、スタッフに世話になっているという気持ちが強いし、申し訳なく思っているということを外に対して、スタッフに対して明らかにしたいと思ってる。

だからこそ、この場面の一番気になるところは、外から見て、アカリちゃんが○○さんより偉そうだ、という、そのシチュエーションに、○○さん自身がすすんでそのまま乗っかろうとする事なんだ。

傍目があろうがなかろうが、そうするんだよね、○○さんは。

なんとなく、言っている意味が分かってもらえる?

○○さんは、アカリちゃんとの親しみある関係をよく分かっているし、それをうれしく思ってくれている。

でも、それは、そのまま表現されないんだよ。

僕は、二人の親しみ深い内なる関係も、堅苦しい外の関係性も、どっちも大事だと思う。

傍目をよくするために、内の関係性を制限するなんて、ナンセンスだと思う。

だって、○○さんにとっては、傍目の問題じゃないからさ。

じゃあ、どうするか。

制限しないで、広げたらいいんじゃないかって思うんだ。

どんなやり方がいいかなんて、みんながそれぞれにやったらいいことだと思うんだけど、僕が常々、考えて、やっていることは、メリハリをつけるってこと。

関係性の距離感を、時によって、或いは瞬間瞬間に、伸ばしたり縮めたり、広げたり狭めたり、押したり引いたりする。

例えば、○○さんは、朝、みんなにお茶やコーヒーをすすんで入れてくれるじゃん?

で、僕もわざと甘えて『○○ちゃん、俺にもコーヒー入れてくんない?』なんていやらしくいう訳だ。

そしたら、○○さんは、ニヤーっと笑って、黙ってコーヒーを入れてくれるから、それを受け取った僕は、『いつもみんなにもしてくださって、ありがとうございます。いただきます』って言う。

ちゃん呼ばわりで馴れ馴れしくしておいて、でも、して下さったことに対して、丁寧に礼を言う。

その遠近感のギャップと、切り替わりのスピード感で、馴れ馴れしさも、形式ばった礼儀も、どっちも際立たせる。

その、距離感のメリハリで、僕は、内の関係と外の関係のバランスをとってる。

関係の距離を一定に保つんじゃなくて、寄ったり離れたりをちゃんとすることで、バランスをとる。

バランスってのは、静止しているように見えて、実は、いろんな力がいろんな方向からかかっていて、動的な状態の中で起こっている「静止」だからさ。






別に難しいことじゃなくていいと思うんだ。

僕の気安い『おはよう!』に、○○さんが『よろしくお願いします』ってお辞儀したら、玄関の壇下にいる○○さんと頭の位置が同じになるくらいに、しゃがんでお辞儀して、『こちらこそよろしくお願いします。今日もお世話になります』って、ちょっとそれだけで。

親しみ深い内の関係の『おはよう!』も、外の関係の『よろしくお願いします』も、どちらも大事さ。

外の関係だけに限定するのはつまらないし、馴れ馴れしいところから堅苦しいところまで、関係性の幅をもっている方が、僕らが○○さんに出来ることがずっと多くなるんじゃないか。

僕はそんな風に思っているんだ。
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多数のご来場、ありがとうございました。

三好春樹さん&村瀬孝生さん。

三好さんの講演を聞くことができなかったのは、大変残念でした。

主催者としていろいろ野暮用がありまして。

実は、7月に発刊される「ブリコラージュ」誌に、虐待にまつわる私の作文がのります。

三好さんが今、何を発言されるのか、聞きたくて聞きたくて。

しかも、今年は、(うれしいことに自主的に希望して)僕以外のスタッフが生活リハビリ講座に参加しているので、僕は参加できず、三好さんの話を聞く機会が今までよりずっと減っている禁断症状もあって。

聞きたかった。




セミナーの内容に関しましては、好評をいただきました。

それについては、参加くださった方々それぞれにお任せするとして、僕としては、セミナーの別の面のストーリーを整理しておきます。

①村瀬孝生さん

まめ家を始める以前から、僕は村瀬さんのファンでした。

特に「おしっこの放物線」という本が好きでした。

多くの介護本が、熱かったり、大きく物事が動いたりするものですが、そりゃあそうでないと本になりませんからそうなるんでしょうが、村瀬さんの文は、文体が静かで、どこかとぼけていて、で、結局何も起こっていなかったりします。

表面上何も起こってはいないけれど、当然見えないところで色んなことが起こり、進行しているわけです。

ストーリーとは、表面で起こっていることを記述したものというよりは、見えないところで起こっているであろうことを感じ、察することを表現したものと思うんです。

何も起こっていない村瀬さんの物語が、大きなうねりの中での一コマであること。

それを、静の文体で表現していることが、新鮮でした。

そんな村瀬さんのファンでしたので、2011年の初め、地元の小規模事業所が集まって開く勉強会の企画に参加した際、僕は村瀬さんをお呼びして講演してもらう企画を提案し、実現しました。

まめ家が始まってまだ一年が経っていない頃です。

講演会が無事終わって、村瀬さんを身柄をジャックしてまめ家に連行し、いろんな話をしました。

当時まめ家さんは、「わんぱくおじいさん」に関わりはじめたばかりで、途方に暮れていましたが、村瀬さんと話すことによって、おじいさんとに関わりの方向性が見えて、僕らはおじいさんが亡くなるまで2年間、関わらせてもらうことができました。

おじいさんとの関わりは、その後のまめ家の行き方をはっきりさせてくれました。

「わんぱくおじいさん」との二年間は、去年のまめ家セミナーで、発表させてもらったのでした。

その2011年の初めに村瀬さんに来ていただいて、その夏に、まめ家一周年記念として、セミナーを初めて企画した際、村瀬さんにまた岐阜に来てもらおうとしたのですが、先約があり、かわりに村瀬さんが話をつけてくださったのが、下村恵美子さんでした。

あれから、よりあいは特養をつくり、でも宅老所のオリジネーターとして、宅老所型特養という新たな挑戦を始めたのでしょう。

宅老所は形じゃない、スピリットだ、とは村瀬さんは言わないかもしれませんが、そういうことじゃないんでしょうか。

あれから5年が経って、よりあいや村瀬さんが転換期を迎え乗り越えようとしていて、まめ家も実践を積み重ねながら、転換期を迎えています。

時代が一巡りしたということでしょうか。

村瀬さんによって第一期のまめ家が走り出したように、今回の村瀬さんによって、第二期のまめ家が始まったということでしょうか。

②サプライズ・ゲスト

彼が自分の宅老所を閉めて4年。

それ以後に介護の世界に入った方々も多かったでしょうから、サプライズ・ゲストと言われてもピンと来なかった人もいたかもしれません。

それでも、まめ家にとっては、キイになった人なんです。

なにせ、まめ家一周年記念セミナーに講演者として来てくれた彼だからです。

僕らが、彼のリタイアを知って驚いたのは、2012年第二回のまめ家セミナーの三好さんの講演でした。

その彼、こてっちゃんが、特養のデイサービスに入り、介護の世界に復帰して、改革に着手して1年。

彼がこの世界に戻ってくる道筋はない物だと思っていたので、これはうれしいサプライズでありました。

そして、それが特養のデイサービスであること、あの小規模ケアの、個別ケアからケアを乗り越えていった彼の、復帰劇としては、逆に何とも痛快で、いや何ともマトモな、と今は思える彼が、また講演者としても復帰するなら、してほしいし、それなら、ちょいとゆかりのあるまめ家セミナーで肩慣らし、どうかな?という。

こてっちゃんはやっぱり、伝える人だった。

こてっちゃん節が、いくらか柔らかくなって、健在だった。

もう、それはこてっちゃんだから、という言い訳を、誰も出来ない、それもリベンジ。

なんたって、小規模でもない、特養の一部門であるデイサービスなんだから。

こてっちゃん家が存在しない今、あれが存在したことの意味は、これからの方が大きくなっていくんだ。

それも、リベンジ。

その一発目、まめ家セミナーでやってくれたこと、これ以上腑に落ちることはない。

また、こてっちゃんに大きな借りができた。

彼もまた、こてっちゃん家以後の、第二章が始まったのでしょう。

③実は、3人揃っていた。

実は、縁あって、円窓舎という出版社の社長さんとお話しする機会を結構もらっています。

その社長さん、通称「しゃっちょさん」が企画した「よりあい見学ツアー」に3月参加しました。

そして、その感想を、私的なメールとしてしゃっちょさんに送ったのです。

その内容を面白がってくださったしゃっちょさんが、円窓舎のHPの「笑老描私」というブログのページに、転載しました。

ホントいうと、多くの人に読まれる前提では書いていないので、結構生々しい感覚がモロに出ていて、僕としては恥ずかしい限りなんです。

その中で、その恥ずかしい生モロが「僕の中で別格なのは、村瀬さんとこてっちゃんと、小樽で細々とデイをやっているカエル君という無名の男性です」というところなのですが、実はその3人が、まめ家セミナーのあの空間に全員そろっていたんです。

そのことは、僕だけの密かなうれしさなんですが、とにかくうれしかったんです。




人付き合いの超悪い僕ですが、それでも集まってくれた友人たち、どこかのセミナーで会ったことのある人たち、そんな人たちも含めて、三好さん、村瀬さん、こてっちゃん、カエル君とのストーリーが、着地したり、まだまだふわふわ揺れていたリ、とにかく、僕にとっては、セミナー自体がストーリー仕立てになっていました。

一周したな。

そんな風に感じることがいくつかあったセミナーでした。

そして、二周目は、これまでよりずっとシビアだぞ。

三周目はないかもしれないぞ、そんな引き締まる思いでもあります。

とにかく、来年までは、頑張る。

三好さんから「小規模事業者よ、介護氷河期を生き残れ!(ゴキブリのように)」というお題をすでにいただきました。

そりゃあそうでしょう。

それしかないでしょうな。

とにかく、来年までは、頑張って、セミナーをやりましょう。

何故なら、先日福岡で、来年のセミナーのために、ツバをつけてきたからです。

何をどうやるかなんて全く分からないけれど、ツバだけはつけてきました。



というわけで、小林さん、来年のこと、あれホントなので、頼みますわ。

そのためにも、まめ家、もうひと踏ん張りしますよ!
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