介護まめ家の冒険

介護まめ家の冒険

岐阜県羽島市の宅老所デイサービス介護まめ家の架空の日常を綴ります。

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いつもは入れ歯を入れているおばあさんが、何らかの理由で(或いは特に理由もなく)入れ歯を入れていない時の顔は、とても老けて見える。

 

もっとはっきり言えば、呆け老人に見える。

 

入れ歯と言うのは、見た目においても大事なものだと思っていた。

 

入れ歯がないと、呆けていない人が呆けているように見えたり、呆けのある人だって、入れ歯があることで、しっかりした人に見える。

 

しっかりした人に見えると、しっかりした人として扱われて、結果的にしっかりした人としてその場にいることになる。

 

それは、その人がしっかりした人である、と言っていいことだろうと思う。

 

そんなことってあるんじゃないかな。

 

***

 

あるおばあさんが、風邪気味で火曜日にまめ家を休んだ。

 

木曜日には、来てくれたので、大した体調不良ではなかったと思うが、ご家族が休んでいた時のおばあさんのことを話してくれて、それは僕にとってとても意外なおばあさんの姿だった。

 

「昨日、息子がそこにいると言い続けて、一日こだわり続けて、最後には玄関に布団を引っ張ってきた」

 

おばあさんは、90歳を超えているとは言え、とてもしっかりしている。

 

短期の記憶はとても怪しいが、論理的に物事を考える力や、倫理観は、まったく傷ついてはいない。

 

しっかりしたおばあさんだ。

 

その方が、自宅でそんなことになってるなんて、意外過ぎた。

 

おそらく、風邪による体調不良が、気持ちの面にも影響したのではないか。

 

一時的なものではないか、と思った。

 

まめ家に復帰したおばあさんは、まだ体調が戻りきっていない様子で、元気がない。

 

マッサージが得意で、みんなのところをまわって肩もみをしてくれるいつもの元気がない。

 

土曜日、おばあさんを自宅に迎えに行った時、おばあさんは入れ歯をしていなかった。

 

お嫁さんは「さっきまでしていたのに。。。ま、食事の時はいつも外してしまうから、今日はなしで言ってきや」と言って、おばあさんを送り出した。

 

あのしっかりしたおばあさんが、ひどくボケを抱えた人に見える。

 

おまけにまだ元気が足りない。

 

僕は、その気のないおばあさんに声をかけて、じっくりマッサージをしてもらった。

 

特に大きな変化を感じなかった。

 

そして、次の火曜日、自宅に迎えに行ったおばあさんは、またしても入れ歯をしていない。

 

お嫁さんは「昨日はしていたのに」とのことなので、ついそこに置き忘れた程度なのだろう。

 

風邪症状はよくなっていて、体表も戻ったようだ。

 

その日の夕方、自宅に着いたおばあさんが言った。

 

「ここ、私の家やったっけ?」

 

***

 

いやいや、別に体調不良による一時的なものだろうとは思う。

 

これで、おばあさんが急にボケを深くしてしまった!とか早合点するつもりはない。

 

僕がその時思ったのは、全然違うことだった。

 

「普段入れ歯をしている人が、入れ歯を忘れると、呆け老人に見える」

 

これは、ちょっと違うかもしれない。

 

「普段入れ歯をしていた人が、入れ歯の管理が出来なくなるほどのボケを抱えた、そのことを如実に表しているのが、入れ歯のない、呆けたような顔なのかもしれない」、と。

 

入れ歯の管理が出来なくなって、やがて入れ歯のない人になることは、その見た目のせいで、まわりに「呆けた人」として扱われる可能性がある。

 

「しっかりした人」として扱われた方が、その人がしっかりした人でいられるなら、おばあさんの義歯紛失事案は、ちゃんと対処した方が良さそうだ。

 

一時的な混乱が、その人の固定の「呆け」として扱われたら、ホントにそうなっちゃうかもしれないし。

 

入れ歯って、大事ね。

丁度1年くらい前に、そのおばあさんの孫息子さんが結婚した。

 

僕らは、おばあさんが結婚式に参列できれば、と思い、ご家族に提案した。

 

しかし、主介護者である息子さんの返事は、「両家の話し合いで、両家とも今回は祖父母の世代の参列はなしにしようと決めた」とのことだった。

 

その頃、おばあさんは、体調的も精神的にも、いい状態とは言えなかった。

 

認知症の深まりに、息子さんもついていけない現状があった。

 

その頃のおばあさんが、結婚式に参列できなかったかと言うと、そんなことはなかったと思う。

 

十分にできたと思う。

 

けれど、息子さんは、母上の状態に対して、信頼感を持つことが出来なかったんじゃないか。

 

自分に、母上の変化、老化にしっくりと気持ちが整理できていない不安定さがあって、結婚式の参列など、思いもしなかったというところかもしれない。

 

僕らは仕方がないと思いながら、ひどく残念に思った。

 

こんな機会はそうそうないし、できない状態ではなかったからだ。

 

孫息子さんの結婚式が終わって、しばらく経って、去年の夏ごろ、今度は、孫娘さんの結婚話が持ち上がった。

 

おばあさんは、順調に元気さを取り戻しつつあった。

 

とはいえ、結婚式のある頃には、90歳を迎える。

 

これは無駄にしたくない機会だった。

 

***

 

孫娘さんの結婚の話を聞いてから、僕は、おばあさんの朝送り出し夕方で迎えてくれる息子さんに、チクチクと孫娘さんの結婚式の話をした。

 

今年に入って行われた、おばあさんのサービス担当者会議は、ケアマネさんのはからいで、まめ家で行われた。

 

息子さんは、認知症が深まり、意思の疎通がうまく出来なくなった母上が、包丁を使い野菜を刻み、昼食の準備をする姿を見た。

 

連絡帳にいくら体のいいことが書いてあったって、息子さんにはリアリティがなかっただろう。

 

自宅での母上とは全く違う姿を見て、息子さんは驚き、喜んでくれた。

 

おばあさんも、去年の今頃とは見違えるくらいに、いい状態を保っていた。

 

そんなことがうまくいって、息子さんはやっと、僕らに結婚式に母上が参列するためのサポートを認めてくれた。

 

まめ家代表でサポートした谷口さんは、朝7時におばあさん宅からマイクロバスに乗り、2時間かけて式場まで行って、結婚式、披露宴に出席したおばあさんといっしょにいて、おばあさんの自宅に戻ったのは、午後4時過ぎだった。

 

1日がかりの長丁場、おばあさんもよく頑張ってくださって、息子さん夫婦も新譜の両親と言う大役に集中できたようだし、なによりおばあさんがいい笑顔をたくさん見せてくれたことで、みんなが喜んでくださったようだ。

 

結婚した孫娘さんからも直筆のお礼状をいただいた。

僕は、式の前々日からもう、絶対転ぶなよ、外出なんか行かんでよい体力を温存するのだ、風邪気味でおばあさんに寄りつくっじゃねーよ、と幾分ピリピリしてしまった。

 

その甲斐があった。

 

1年がかりのおばあさんの結婚式参列大作戦は、なんとかうまくいったようだ。

あれはもう、4年くらい前になるだろうか。

 

まめ家のスタッフ2人が、あるご利用者さんの娘さんの結婚式に参列させてもらった。

 

式の一年以上前、娘さんの母上は、精神科に入院した。

 

若年性認知症と診断されていたお母さまとは、まめ家設立当初からのお付き合いだった。

 

お母さまの混乱が次第に極まり、ショートステイ施設を断られ、娘さんと共に主介護者だった父上が病気で倒れ、そんな状況が重なって、娘さんとしては不本意ながら、娘さんは入院を選んだ。

 

そして、すぐに後悔した。

 

入院して1カ月ほどして、お母さまは敗血症で転院した。

 

一時は命さえ危ないと言われた。

 

なんとか回復したお母さまは、入院先のスタッフのやわらかい対応のおかげで、精神的にも落ち着きを取り戻しつつあった。

 

病状が回復して、退院が見えてきた時、娘さんは、精神科へ戻ることを選択せざるを得なかった。

 

父上が、お母さまの入院中に、亡くなったかことも、一つの要因だったろう。

 

精神科に入院していたお母さまを、僕らも見ていたので、娘さんが入院させたことを強く後悔した気持ちは痛いほどわかった。

 

お母さまには、精神科には戻らず、まめ家に来てもらうことになった。

 

***

 

僕らに課せられたミッションは、お母さまの混乱が、入所したい有料老人ホームの許容範囲に収まるように、退院時の状態を維持することだった。

 

身体がいつもこわばり、大声がいつも出てしまう状態が、敗血症の発症から回復の過程で、かなりゆるやかになっていた。

 

娘さんは、お母さまに老人ホームに入所してもらうことは、決めていた。

 

父上がいない今、お母さまを看られるのは自分ひとり。

 

自分の将来のことも考え、老人と言うには若いお母様の長いこの先を考えれば、妥当な判断だったと思う。

 

お母さまは、まめ家で寝泊まりしながら、体力を回復し、傷つきやすい気持ちはなんとか穏やかさを保つことができた。

 

それに従って、入所を希望している有料老人ホームのショートステイを増やし、まめ家に来て3か月経って、入所待ちという形で、ロングなショートステイで、僕らのミッションは終わった。

 

お母さまは、不慮の事故で半年先に亡くなってしまった。

 

そして、しばらく経って、娘さんの結婚式に呼んでいただいた。

 

そういえば、お母さまがまめ家で寝泊まりしている間に何度か、娘さんは結婚相手の男性をつれて、お母さまに会いに来た。

 

二人は、お母さまのことを理解したうえで、結婚の準備を進めていた。

 

その二人の結婚式に呼んでもらったのだった。

 

お母さまとのお付き合いの一つの着地点が、その結婚式だったのだろうと思う。

 

娘さんにとっても、まめ家にとっても。

 

***

 

つい先日、まめ家は、あるおばあさまの結婚式参列のサポートをさせてもらった。

 

それは、あの若年性認知症のお母さまがまめ家に来た時と同じように、こちらから提案して、やっと実現したことだった。

おじいさんは、今年の初めからまめ家に来るようになった。

足を骨折して入院治療を終えて、在宅生活を再開する時、デイサービスの利用が始まった。

土木関係の仕事を昨年秋までやっていて、車の運転もしていたのだが、骨折により、仕事を辞めなければならなくなって、車の運転も諦めた。

両足に痛みがあって、歩行も杖をつくほど不安定になったからだ。

酒もタバコもやらない、女性に優しいおじいさん。

まめ家のおばあさん方にもスタッフにも人気者だ。

僕は、午前におじいさんと散歩に出る。

自宅ではどうしても寝てばかりになって、運動不足気味だ。

シルバーカー姿を近所の人に見られるのも、ストレスだから、外出も控え気味になる。

***

おじいさんがまめ家に来るようになって、何度目かの散歩の帰り、ナベさんに会った。

ナベさんは、おじいさんと50年も一緒に仕事をした元同僚で、数年前におじいさんより早く、仕事からリタイアしていた。

奥さんを亡くして一人暮らしのナベさんが、近くのスーパーで昼食を、調達した帰りだった。

数年ぶりの再会で、2人は長いこと立ち話をした。

僕がいなければもっと話しができただろうに、しかし、おじいさんの足を思えば、先にまめ家に戻ってるね、とは言えなかった。

それからしばらくして、また、ナベさんに会えた。

***

ここ数ヶ月、ナベさんに会えなかった。

ナベさん、元気にしているか、一人暮らしで引きこもってないか、健康を害してないか、そんな心配をしながら、散歩した。

今日もそんな話をしながら、ナベさんに会えることを期待したが、会えなかった。

「ナベさんの家はすぐそこのはずなんだが」

散歩道のすぐそこに、ナベさんの自宅はある。

ちょっと、行ってみたら?

僕が提案すると、おじいさんはナベさんの家を探した。

あった。

玄関には自転車が置いてある。

きっといるはずだ。

チャイムに返事はないが、おじいさんが声をかけると、応答があった。

僕は、2人から姿が見えないように、道に出た。

しばらくお互いの近況を話し、じゃまたな、と2人は別れた。

ナベさん元気だった。

けど、奥さんいなくてテレビばっかり見ているらしい、そりゃそうなるよな。

安心しながらの帰り道。

暑なしさぶなし、でも、散歩するうちに汗ばむ、初夏のお昼前。

まめ家に戻ったら、ちょうど昼ごはんですな。

いい風が吹いていた。

朝一番に、キコさんを迎えに行くことが多い。

 

今朝もそうだった。

 

玄関から「おはようございまーす」と声をかけると、奥からお嫁さんが「ありがとうございまーす」と返してくれる。

 

ガラガラとダイニングの引き戸が開き、お嫁さんが椅子に座っているキコさんの両手をとり、自分の体重を後ろにかけて、グイっと引っ張ってキコさんを立たせるのが見える。

 

キコさんは、立位がますます後ろ体重になって、転倒が増えた。

 

中々立とうという気になってくれないし、デイのお迎えという時間が限られた場面では、グイっと引っ張るしかないのだ。

 

それを眺めながら僕は、お嫁さん、それを迷いなくやれるようになったんだなぁ、と思った。

 

 

 

 

 

玄関に両手引きで誘導されたキコさんに、お嫁さんが問う。

 

「上着着ていく?外は寒いよ」

 

キコさんは、アハハと笑って、はっきりした返事をしない。

 

今朝は本当に寒かった。

 

上着は着ていくべきだ。

 

お嫁さんは、キコさんの右腕をジャケットの袖に通す。

 

そして、左の袖を左肩に掛け、キコさんが右手でそれをもったところで、クルッと向きを変えて、床に置いてある荷物をまとめる。

 

その間にキコさんは、必死になって左の袖に腕を通している。

 

着こみ過ぎていて、腕がなかなか通らない。

 

お嫁さんは、それを見て、介助してキコさんの左腕を通して、ジャケットを着させた。

 

 

 

 

お嫁さんは、初めからこういうことができたわけじゃない。

 

どこまで義母の言うことを汲み、どの時点でどの程度強引に対処するか。

 

デイサービスのスタッフという外部の人間が見ている前では、さらにそれは判断を迷うことかもしれない。

 

その判断は、刻々と変わるキコさんの状態に沿って変わらざるを得ない。

 

お嫁さんが出来るようになったことは、「どのようにお義母さんに対処すればベターか」ということを決めることではなく、自分自身で判断することに自信をもつことだろうと思う。

 

どのように対処するかは、刻々と変わるのだから。

 

 

 

 

介護職員なら、キコさんが左腕を袖に通そうとする前に、「できる?」「だいじょうぶ?」「よいしょ!」などといらぬことを言いたがる場面だ。

 

お嫁さんはそっと身体の向きを変えて視線を外して、キコさんの自然な動きを邪魔しないことを心がけていることが分かる。

 

お嫁さんにはその瞬間に「荷物をまとめる」という用事があり、それに専念することで、キコさんのその時やるべきことは「ジャケットを着る」ということだと、キコさんに空気で伝える。

 

キコさんは既にジャケットを着るモードに自然に導かれて、それに専念する。

 

僕は、これを「生活支援」というのだろうと思う。

 

見事だ。

 

 

 

 

最近、或る偏屈な介護仲間と話したことが、ずっと頭に残っている。

 

彼は、スタッフ・ミーティングをしない、と言った。

 

何故なら、情報の過剰さがスタッフの自然な動きを阻害し、「生活」という自然さを邪魔するからだ。

 

彼が言ったことを僕なりに翻訳するとこういうことだと思った。

 

スタッフの自然な動きとは何か。

 

スタッフと言っている時点でそれは自然ではない。

 

人間として自然な動きということだ。

 

それは彼によると、転びそうになった人に思わず手を出してしまうこと、そういうことが自然なことであり、当たり前のことだろう、と。

 

ミーティングとは、台本を組むことだ。

 

マニュアルも技術も知識も同じ。

 

資格も介護保険も同じ。

 

そういった作為を一切省いて、ひとの自然さに任せる。

 

 

 

 

とはいえ、専門的な介護の知識や技術が全く必要ないかというと、そういう訳にはいかない。

 

彼はそれを、「専門的に担当するスタッフ」を自分の他にもう一人置いて、食事やトイレや入浴などの「介助業務」と呼べることは、二人ですべてやる。

 

その二人は、「自然さ」を作為的に作ることができるという意味でも、専門的なスタッフなのだろうし、深いところで二人がつながっている同士でなくてはいけない。

 

その他のスタッフは、ただそこに居る人として、いる。

 

 

 

 

そうするには、大きなスケールでは不可能だ。

 

ただそこに居る人が、転びそうになった人に思わず差し出した手が届く範囲に居なければならない。

 

二人の「専門的スタッフ」ができる介助量でなければならない。

 

定員10名の彼のデイサービスは、そうした事情で、実質定員は7名なんだそうだ。

 

 

 

 

 

僕は、これは小規模ケアの一つの究極的な考え方なのかもしれないと思う。

 

もちろん、彼の言うことを、「自然さ」と言いながらやはりそれも「作為」なのではないかといちゃもんをつけることは出来るだろう。

 

僕はそれよりも、彼のストイックさ、正直さに心を惹かれる。

 

その考え方の前では、「できる?」「だいじょうぶ?」「よいしょ!」ですら、自然なことなんじゃないか。

 

介助としての適切さよりも、例え利用者にとって都合が悪くたって、「自然さ」を優先させることが、本当の「生活支援」なのではないか。

 

偶然が呼び込むなにがしかを「福」と捉えることこそ、自然なことなのではないか。

 

お年寄りの不利益を排除することが「利用者本位」ではなく、不利益だとしても自然であることを受け入れることが本当の「利用者本位」であり、それはもう、利用者本位でないことこそ利用者本位なのだ、ともうわけが分からないことになる。

 

いや、全然よく分かるよ。

 

 

 

 

一昨年の春、福岡の「よりあいの森」の見学ツアーに参加した。

 

僕は、別に「よりあい」さんに特別な質の高い介護を期待していたわけではないし、そんなものはないだろうと分かっていた。

 

そんなもの、必要ないだろうと。

 

正直、そこで暮らしている方々と触れ合うような時間は、苦痛だったな。

 

ひとの生活のなかに、集団がどかどかと無遠慮に入っていくことが我慢できないし、その一員に自分がいるということは、もっと我慢できない。

 

 

 

 

そこで僕が目を引かれたことは、介護用品と言えるものが、ほとんど目につかなかったことだ。

 

お年寄りに合わせた高さのテーブルや椅子、のような。

 

そういった、お年寄りに都合のいいもの、は極力排されているんじゃないかと感じた。

 

その代わりに、古ぼけたソファーや低いテーブルが、普通にあった。

 

食事の場面でさえ。

 

 

 

 

お年寄りの体格に合わせたテーブルやいすを用意することは、介護の基本だ。

 

同時にそれは、お年寄りを「介護される人」という役柄に限定するリスクが伴う。

 

自立とは、既製品に自分を合わせるその能力のことだ、という言い方も一つあると思う。

 

誰が、オーダーメイドに囲まれて暮らしているというのだ。

 

それは、とても不自然なことだ。

 

お年寄りに合わせたイスやテーブルが揃った空間が、不自然に見えるのはそのためだ。

 

 

 

 

キコさんのお嫁さんが、以前より強引にキコさんの手を引っ張り立たせるようになったのは、お嫁さんの朝の事情もあれば、キコさんが以前の様に不機嫌に反応しなくなったこともあれば、例えデイのスタッフが見ている前であっても、それくらいの強引さはあってしかるべきだという気持ちの折り合いがついたこともあるだろうと思う。

 

同時に、以前と同じように、キコさんの意に沿わないことはやりたくないという意志が、キコさんの自然な動きを導く自然な所作に表れている。

 

 

 

 

キコさんにとって不本意なことだってあるだろう。

 

けれど、椅子やテーブルがお年寄りに合わせてくれるばかりでは、やっぱり不自然だ。

 

お年寄りが、自分にそぐわない設備に対して、何とか合わせようとする、そのチャンスを奪っていいものじゃない。

 

だってどう見たって自然なことは、既製品に自分を合わせて、それを自分のモノにするという、その試みの方だと思えるからだ。

 

 

 

 

不本意だって、お年寄りの「本位」の一つに違いない、と言ったら、言い過ぎかしら。

まめ家でネズミの気配がし始めたのは、半年くらい前だったろうか。

 

壁の向こうでゴソゴソ、時にはドンドン、物音がするようになった。

 

ゴキブリさんは、もちろん何度も見たことがある。

 

けれど、ネズミさんを見たことはない。

 

特に、野生のは。

 

なんとなく、檻の中で輪っかに乗ってぐるぐると回るネズミさんを想像していたのだ。

 

トムとジェリーを想像していたのだ。

 

しかし、現実のネズミは、そんな愛らしいものではなかった。

 

キッチンで芋やお米や、時には柿が食い散らかされるようになった。

 

ネズミといえば、バイキンの塊、みたいなイメージであって、多くの人が集まるまめ家でそれは、最もいてほしくないやつだ。

 

 

 

 

ある夜遅く、事務所にいた僕は、キッチンで物音がするのに気がついた。

 

ジェリーが食い物を荒らしている、間違いなく。

 

僕はそ〜っとキッチンに入った。

 

手には、ゴキブリ用の殺虫剤。

 

やつに少しでもダメージを与えられそうな兵器は、これしかなかった。

 

ジェリーは警戒心が強く頭がいいらしい。

 

僕の足音に、ピタリと物音を消した。

 

食器棚の陰にいる。

 

それを察知した僕は、殺虫剤のスプレーを食器棚と冷蔵庫の隙間に噴射した。

 

反応はない。

 

もう一度噴射すると、ジェリーが突然飛び出して来た。

 

僕は思わず、うぎゃぎゃ〜!と大声がでてしまった。

 

我ながら情けなかった。

 

 

 

 

勝手口の土間に逃げ込んだジェリーは、おそらく洗濯用のハンガーの束の中にいる。

 

それが分かっても、怖くて近づけない。

 

少し距離を置いて、再び殺虫剤を吹きかけると、やつは飛び出して来た。

 

それはそれはすばしっこい。

 

おまけに、僕は腰が引けている。

 

僕がまたしても、うぎゃぎゃ〜!とビビっているすきに、やつはキッチンを駆け抜けて、廊下の直角のカーブをドリフトしながら曲がって、姿を消した。

 

 

 

 

ジェリーによる被害が目立つようになった。

 

ほぼ毎朝、やつの被害を確認するようになった。

 

米はプラスチックのボックスに入れられ、お菓子箱は丈夫な袋に入れられ、口はしっかり紐で縛られるようになった。

 

おかげで被害は減ったが、根本的な解決が必要だった。

 

夜遅くになると、やつの気配を感じるし、時には昼間でさえ、壁の向こうでやつの動く音が聞こえた。

 

 

 

 

どうやったらやつを捕らえ、退治することができるだろう。

 

インターネットで調べてみると、直にネズミの姿を見るようでは、素人の手に負える段階ではない、と書いてあった。

 

まめ家は、完全にやつの縄張りと化してしまったようだ。

 

それでも諦めきれず、ネズミが嫌がる超音波を出すマシンを取り付け、ゴキブリホイホイのもっとひどいやつを設置し、毒エサを仕掛けた。

効果は全くなかった。

 

 

 

 

残念なことに、本当にもう僕らのような素人が太刀打ちできる段階ではないらしい。

 

去年末、ネズミ駆除の業者を頼んで、見積もりを出してもらうことにした。

 

業者のお兄さんは、屋根裏にまで上がって、ネズミのフンのある場所を追い、ジェリーの行動経路を割り出した。

 

駆除の方法は、被害を実際に出しているネズミを退治することと、新たなネズミが侵入する穴をふさぐことだという。

 

経費は、10万円近くかかるとのこと。

 

まめ家は借家なので、大家さんと相談して、年明けにも駆除を実行に移そうということになった。

 

 

 

 

意外なことが分かった。

 

ジェリーは、外から直接キッチンに侵入しているわけではなさそうだということだ。

 

それが分かったのは、ある朝キッチンの扉の向こうに、細かい引っ掻いたカスのようなものがみつかったからだ。

 

たまたま、キッチンにつながる引き戸が全てきっちりと閉められていて、侵入を試みたジェリーが断念した跡のようだった。

 

さすがに、やつには引き戸を開ける力はない。

 

そうなのだ。

 

やつが外から侵入できるのは、どうも押入れのどこかの壁の隙間だけで、キッチンへは、廊下やリビングを通って来ているらしいのだ。

 

もしそうなら、扉をきっちり締めておけば、やつはキッチンに侵入することができないはずだ。

 

その日以降、ジェリーによる被害は見られなくなった。

 

 

 

 

年が明けて、事務所で僕が発見したのは、僕が無造作に置いたカップヌードルの容器が破かれ、麺が食い荒らされた跡だった。

 

僕は、カップラーメンを食べる習慣がなく、たまたま買い置いたものをずっと放ったらかしにしていたのだった。

 

キッチンの被害は避けられるようにはなったが、まめ家がやつのテリトリーであることには変わりがない。

 

根本的な解決が必要だった。

 

 

 

 

それから数日後、ジェリーの亡骸が、発見された。

 

第一発見者は、僕だった。

 

けれど、僕にはどうすることもできないので、女性スタッフに処理を頼んだ。

 

ゴキブリでさえ無理という女性は多いが、爬虫類が好きという女性もいる。

 

助かった。

 

 

 

 

ネズミさんは、大食なのだそうだ。

 

ほんの数日ひもじいだけで餓死してしまうんだそうだ。

 

ジェリーは、キッチンへの経路を断たれ、ひもじくてひもじくて、今まで見向きもしなかった毒エサに、つい手を出してしまったんじゃないだろうか。

 

 

 

 

ジェリーはどうも、子ネズミのようだった。

 

ならば、親ネズミや親戚ネズミがいるかもしれない。

 

彼らの繁殖力はすごいらしいから。

 

それでも、ジェリーの死以来、ネズミの気配を感じることはない。

 

もし、ジェリー君が単独行動だったというなら、これから僕らがすべきことは、夜はしっかりキッチンの扉を閉めておくことと、キッチン以外には食べ物を置かないことだ。

 

そうすれば、新たなネズミさんたちがまめ家を格好の餌場として発見することもなかろう。

 

とりあえず僕は、ネズミ退治プロジェクトは、終了したということにしようと思う。

 

なんてったって、10万円の出費は、まめ家にとって大きすぎるから。

シゲさんを夕方自宅に送り、(息子の)お嫁さんが出迎えてくれる時、僕はいつも一つエピソードを話すことにしている。


 


今日も、シゲさんが車を降りて、ゆーっくりとした歩を玄関に向かって進めている時、お嫁さんが玄関を開けて出迎えてくれた。


 


「寒いですねー」とありきたりな挨拶をした後、僕はこんな話をした。


 


僕「今日の昼食の後、僕はあるおばあさんに添い寝してたんです。おばあさん、落ち着かなくて、少し寝て欲しくって。


 


しばらくしたら、シゲさんが昼寝を終えて、ベッドから出てきたんですが、その足音に、ビックリしたんです。ドスン・・・・・・ドスンって。


 


和室の畳だったから余計に響いたのかもしれません。


 


その時思ったんです。


 


シゲさんが日頃よく言う、長生きはしんどいです、は、これなんだ、って。


 


今まで気付かなかったんです。そんな足音がするなんて」


 


お嫁さん「そうなんですよ。おじいさんは1階に寝てて、私は2階に寝てるでしょ?


 


すごく聞こえます。それくらいの音です。


 


それで、おじいさんの調子が分かるんです。


 


今日は重いなぁ、とか、むしろ軽い日の方が心配になります。調子悪いのかなぁって」


 


僕「調子が分かる!それはすごい。


 


それで、僕、思ったんです。


 


この一歩一歩は、たやすい一歩一歩じゃないぞ、って。


 


まさに、長生きはしんどい、その一歩一歩だって。


 


シゲさんの歩くのを見てただけじゃわからなかった、実感として。


 


今頃、気づきました」


 


お嫁さん「それでも、年々、重くなってますね。仕方がないですね」


 


数か月前、シゲさんが自宅で夜間、ポータブルトイレで失敗して転倒して入院したことがあった。


 


幸い、骨折を免れて、しばらくして退院することができた。


 


その退院カンファレンスに参加したお嫁さんは、シゲさんの歩行の不安定さを心配した医療者に、


 


「でも、おじいさんが、人の手を借りずに歩きたいって言うのですから、歩かせてあげたいと思っています」


 


と言った。


 


文字通り、亀の歩みほどのスピードで、二本の杖を使って、たどたどしく歩くシゲさんの、それを、そのように言った。


 


立派だった。


 


それはつまり、シゲさんに今度何かあるとしたら、それは高い確率で転倒することであり、それが分かっているけれど、でも、そうさせてあげたい、ということだ。


 


それはつまり、まめ家においても、その通りということだ。


 


それにしても、シゲさんの一歩一歩が、それほどの、一歩一歩だったとは。


 


「今頃気づいてごめんなさいね」


 


玄関に入って靴を脱いでいるシゲさんに声をかけた。


 


耳の遠いシゲさんには聞こえない。


 


かわりにお嫁さんが、「そんなそんな」と笑ってくれた。


 


僕らは、お嫁さんと一緒に、シゲさんのたやすくない一歩一歩を見届けなければならない。


 


それは、シゲさんの一歩一歩に比べれば、たやすいことのように思える。

「ちょっと出ていないので、マグミット、のんでます」

お嫁さんは、キコさんの手を引っ張って玄関に向かいながら、言った。

「了解です」

出ていないのは、便だ。

出ていないので、便をやわらかくして、排便を促す薬を飲んだ。

ので、まめ家さんでも、様子を見てね、という意味だ。

キコさんは、夜中に排便することが多い。

ひとり離れで夜過ごすキコさんは、うまくポータブルトイレでできたとしても、それを触ってしまう。

なんとか、日中に排便してほしい。

さりげなく事情を伝えてくれたお嫁さんの願いを受け取って、「まめ家で出るといいなぁ」と言葉を返しながら、キコさんを玄関先で迎えた。

玄関の段の上に、デイのためのバッグと一緒に、新聞紙で包まれたラグビーボールくらいのものがある。

玄関下に、いくつかの白菜が置いてあったので、新聞紙の中身がわかる。

「貰い物なんです。まめ家でも貰ってください」

「いつもありがとうございます。遠慮なくいただきます」

玄関から、車庫に停めてあるまめ家の送迎車に向かって歩き始めたキコさんにそれを見せて、「また貰っちゃった。いつもありがとうねぇ」と声をかける。

キコさんは、ウフフと笑った。

キコさんは、ことの事情を理解していないだろうが、立ち上がりにくいところをグイッと引っ張られ立ち上がらされて、連れてこられた不機嫌さが、消えていた。

「江南のおばさんに貰ったんです。おばあさん(キコさん)の義理の妹さんですが、妹さんもおじいさんおばあさんを見送った経験があるから、(介護)大変でしょ?わかるわぁって言ってくれて」

江南とは、愛知県の北西部にある市だ。

ここから、そう遠くない。

そんな、キコさんの義理の妹さんから届いた白菜を、まめ家はおすそ分けして貰ったのだ。

スーパーで売っている、名前も想いも引き剥がされて、代わりに値札をつけられた白菜とは、わけが違う。

キコさんを想う妹さんの人柄が張り付き、それに慰めされて、もうちょっと頑張ってみようと心が落ち着いたお嫁さんの気持ちが張り付いた白菜だ。

「ただの白菜じゃない。物語のある白菜ですね。心していただきます」

僕がそう声をかけると、「おばあさん(キコさん)は、妹さんの顔見ても分からなくて、申し訳ないんだけど」と言って、微笑んだ。

いつもよりスムーズに車に乗り込んだキコさんと共に、まめ家に向かって走り出した。

よっちゃんも、まめ家では古株になった。

 

もう六年半も通ってくれている。

 

利用が始まった頃は、70歳代半ばで、利用者のなかでは若い方だった。

 

精神的な弱さで混乱が極まって、まめ家の利用が始まり、すぐに普通のおばさんに戻ったので、身のこなしも、身ぎれいさも、彼女がいわゆる要介護者に見えない理由だった。

 

それでも、要介護1を認定調査のたびに維持できているのは、精神的な混乱を間近で見た家族やケアマネさんの、頑張りだろう。

 

***

 

ある朝、よっちゃんを自宅に迎えに行く。

 

玄関を出て、よっちゃんは扉の錠をかける。

 

そのカギが、カギ穴にうまく差し込めない。

 

よっちゃんのすぐ後ろでその姿を見ていた僕には、カギがまっすぐにカギ穴に差し込まれていないことが、わかる。

 

何度もカギ穴の周りでカギを滑らせては、差し込めない様子を見ながら、僕は黙って見ている。

 

見ていないふりをして、見ている。

 

そして、苛立っている自分に気がつく。

 

別に、次のお迎えの時間に遅れるという事情があるわけではない。

 

もう、カギはカギ穴に入りそうなのだから、焦る必要はない。

 

そのうち入るだろうし、入らなければ、僕が入れればいい。

 

時間なんてかかるわけがない。

 

それでも、僕は苛立っている自分に、気がついた。

 

***

 

すぐによっちゃんは、カギを差し込むことを諦め、カギ自体が間違っているのだろうかと、束になっているカギから別の物を選び、でも、いや、これは違う、とやっぱり元のカギを握り直す。

 

すぐに諦めるところが、よっちゃんの悪いところなのだ。

 

よっちゃんは、ものをなくす名人なのだが、バッグをちゃんと探せばすぐそこにあるものを、焦ってしまって、もうバッグにはそれがないという結論になってしまう。

 

探す範囲だけがやたらと広がって、いつまでたっても見つからない。

 

いやいや、ちゃんとバッグを見てみた?ほら、バッグの底にあるじゃない。

 

そんなことが、よくある。

 

カギだって、それが正しいカギかどうかを疑う前に、しっかり真っすぐ入れ直す確認をしてみたらいい。

 

それで入らないなら、カギ自体が違うということになる。

 

そもそも、いつも使っているカギなのだ。よっちゃんだって、見たら分かるのだ。

 

そういう混乱の仕方がよくある。

 

***

 

何故、カギ穴にカギが入らないのか。

 

目も悪くなったし、指先の感覚も鈍くなった。

 

姿勢が悪くなって、差し込むカギの角度が斜めになるようになった。

 

そういうことだ。

 

老化で、カギを閉める技術が落ちたのだ。

 

それに比べれば、差し込むべきカギ自体を間違うなどという段階は、もっとずっと後なのだ。

 

そんなミスを、今のよっちゃんがそうそうするわけがない。

 

そんなことは、はっきりわかっている。

 

そんな僕には、カギの角度が唯一の問題であることは、明白だ。

 

***

 

なんとか玄関の扉のカギを閉めて、「年は取りたくないわな!」と笑って誤魔化しながら、よっちゃんは、車に乗り込んだ。

 

カギが閉めにくくなるということは、よくあることだ。

 

よっちゃんも今や80歳を超えて、立派な高齢者なのだ。

 

そんなことは、特別なことではない。

 

不思議なのは、その当たり前のことに、僕が苛立っていたことだ。

 

その時思い立ったのは、「家族だったら、これは苛立つだろうな」ということだった。

 

「よっちゃん、しっかりしなよ。カギが斜めになってるじゃん。

そんなことも分からないよっちゃんじゃないでしょ。

何で気がつかないの」

 

僕は家族のような気分で、カギをかけられないよっちゃんを見ていたんだな。

 

そうだよ、よっちゃんもいい年なんだ。

 

要介護1なんだ。

 

それは、苛立つことじゃないだろう。

 

他の利用者がそうしたって、苛立つことなんかないじゃないか。

 

そう思って反省しながら、でもやっぱり釈然としない。

 

じゃあ、なんで俺は苛立ったんだろう?

 

***

 

その時、僕が発見したのは、「要介護高齢者だから仕方がない」という目でよっちゃんを見たくない自分だった。

 

そうやって割り切れば、苛立つ理由はない。

 

けれど、それは、支援する対象として、よっちゃんをみるということだ。

 

そして、そうはしたくない自分が強くいた、ということだ。

 

***

 

最近、まめ家のミーティングで、僕らは何をするためにまめ家にいるのか、というようなことを話し合った。

 

それは、僕の中では、はっきりしていた。

 

そのはっきりしていたことを、はっきりした言葉で、みんなに伝えてみた。

 

「自然に、気持ちよく、自分の力を発揮できるように、支援する」

 

ただこれだけのことをやるために、僕らはいる。

 

トイレ介助やお風呂介助などは、その手段に過ぎない。

 

目的ではない。

 

そのいかなる場面においても、「自然に、気持ちよく、自分の力を発揮できるように、支援する」

 

そのためには、誰かに差し出したその介助の手の平は、どのくらいの高さで、どのくらいに握り方で、どのくらいの引っ張り方なのか。

 

そういうことを、丁寧に考え、やっていこう。

 

***

 

ところで。

 

では、誰に「自然に、気持ちよく、自分の力を発揮できるように、支援する」のか。

 

利用者さん。

 

そりゃそうだよね。

 

でも、お年寄りにそれをするには、僕らはお年寄りに自由を保障しなければいけない。

 

でも、お年寄りにそんな支援をするなら、僕らも自由でなければいけない。

 

お年寄りだけが自由で、他の人たちが自由でない、なんてことが、あり得るわけがない。

 

僕らだけが自由で、他の人たちが自由でない、なんてことでは、僕らは自由になれるわけがない。

 

では、誰に、「自然に、気持ちよく、自分の力を発揮できるように、支援する」のか。

 

うーーーん、みんな?全人類?

 

そうだろうなぁ。いってみれば、全人類と言うしかないんじゃないかな。

 

スタッフ同士だって、同じなんだろう。

 

僕らは、お年寄りにも、僕ら自身にも、言ってみれば全人類にも、そうするしかないんじゃないかな。

 

そうしなければ、利用者に、それをすることは出来ない。

 

それは、支援する人と支援される人の境目はいつも曖昧だということじゃないだろうか。

 

自由な場において、支援だけをされている人がいるわけがない。

 

支援だけをされている人がいて、支援だけをしている人がいたとしても、されているだけに見える人は、したい人のそれを受け入れてあげることで、したい人を支援していることになっている。

 

事実、まめ家ではなっている。そんなことは、いつもかも起こっている。

 

そういう、分かり切ったことを、誤魔化さない。

 

境目の曖昧さを誤魔化さない。

 

そう言うしかないんじゃないか。

 

***

 

よっちゃんは、僕にとって一方的に支援する存在じゃない。

 

そういう存在に押し込めることは出来るだろう。

 

でもそれをしたら、自由でなくなるのは、僕自身なんだ。

 

僕が自由でいたいなら、人の自由も保証するしかない。

 

介護って、人を助けるためにやるなんて偽善じゃない。

 

自分が自由になるためにするものだ。

 

僕がよっちゃんに苛立ったその感覚は、介護職として不適切かもしれないが、人間としては、持っておいた方がいい感覚じゃないかと思うんだけど、どうだろうか。

「春樹ゃんぷ」とは、なんぞや?

 

それは今のところ、誰にも分かっていないのかもしれない。

 

今から作っていくのかもしれない。

 

今から、関わってくれる人たちと出会って、一緒に作っていくのかもしれない。

 

とりあえず決まっていることは、来年2018年9月1日~2日に行われること。

 

場所は、茨城県のキャンプ場と、社会福祉法人紬会さんの全面的なご協力を得て特別養護老人ホーム玉樹で行われること。

 

実行委員長が、こてっちゃんこと、高橋知宏さんであること。

 

イベントに出演する人も発表にはなっているけれど、その人たちは、講演者というよりも、まず第一に「春樹ゃんぷ」の賛同者であり、イベントの詳細は、決まっていないといっていい。

 

決まっていないのではなくて、これから、賛同者を増やしながら、いろんなことをみんなで決めていくのだ。

 

僕は、実行副委員長の役を任命された。

 

***

 

僕にとって、「こてっちゃん」は大きな存在だ。

 

それは、僕がまめ家を立ち上げる時に、その道を開いてくれた先輩であるというだけではない。

 

僕がまめ家の開所準備をしていた頃、初めて参加したオムツ外し学会で、壇上に上がったこてっちゃんの話は、僕に新しい介護のヒントを授けてくれた。

 

まめ家一周年セミナーの講師を務めてくれたことが、僕がその後、多くの人と会うことができるきっかけになった。

 

そして、こてっちゃん家の活動を停止しなければならなくなった苦難を乗り越え、新しいこてっちゃんとして介護の世界にカムバックした、その姿は、やはりかつて僕に特別な刺激を与えてくれたこてっちゃんそのままだった。

 

僕は、闇雲に彼を持ち上げたいわけではない。

 

彼を「よくできたいい人」だと言いたいわけではない。

 

むしろ、人間臭い、アクの強さを持った人なのだ。

 

とっつきにくいところを持ち合わせた人なのだ。

 

そういう彼だからこそ、僕は今回、実行副委員長の役を有難くお受けすることにした。

 

***

 

こてっちゃんという人は、徒党を組めない人だ。

 

僕はそこもとても好きなところだ。

 

どこかの訳知り顔の人が、「春樹ゃんぷ」に関わる僕らを、「こてっちゃん派」などと言うとしたら、僕としては、言ってもらって構わない。

 

それは、僕が、「徒党の組めないこてっちゃんに派閥など組めるはずがない」ということがよくわかっているからだ。

 

そして、僕こそ、徒党を組めない天邪鬼なのだから。

 

そういう意味で、こてっちゃんという存在は、変なしがらみを越えて、人を結びつけることができる可能性を秘めていると思っている。

 

今のところ、実行委員会の僕らが、自分のやりたい遊びを始めたところだ。

 

だが、「春樹ゃんぷ」の方向性は、参加者を僕らの遊びに利用することではない。

 

賛同者は、「春樹ゃんぷ」で一緒に遊んでくれる仲間であり、一緒に「春樹ゃんぷ」を作っていってくれる仲間だ。

 

キイワードは、自主性、自発性。

 

誰にも頼まれていないことを、楽しいからやりたい。目いっぱい楽しみたい。

 

ただそれだけ。

 

お金がないから、グッズを薄利で売りながら、バーベキューで豚の丸焼きの費用を捻出しよう、そんなささやかな祭りをやろうじゃないか。

 

日々、こてっちゃんとの雑談から、おもろいアイデアが、次から次へと出てくる。

 

そんな遊びに、ちょっと興味を持ってください。

 

すでにFBでは、日々いろんな発信を始めています。

 

よかったら、のぞいてみてください。