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Jさんブログ

ケアマネジャー受験対策講師育成ブログ (さくら福祉カレッジ )

あなたには習慣があるかな。

これは毎日やる。

これは毎週やる。

そうした習慣、ルーティーン。

なにか持ってるかい?

わたしは習慣って、とても
大事なものと思ってるんだ。

自分を守ってくれるもの。

確実に前進させてくれるもの。

そういった感じかな。

気分や成り行き任せに過ごして
いたら、人間、失敗も多いね。

いいときはいいんだけど。

悪いときはことごとく逆判断を
して、落ちてっちゃう。

飛んでっちゃう。

いいときは進み。

悪いときは戻り。

一歩進んで、一歩下がる。

これを繰り返してると、人生が
プラマイゼロのまま。

進んでいかないね。

いいときには進んで悪いときは
戻らない。

その場でじっと耐える。

これだと着実に前進していく。

習慣は、これを支えてくれる。

船のイカリのようなものかな。

ある場所からおおきく流される
のを防いでくれる。

どんな時も、あさっての方向に
流されないよう、守ってくれる。

そうした感じがある。

これはプラスの側面だね。

習慣にはその反対の面もある。

マイナスに作用しやすい側面も
ある。

それは保守的な自分をつくって
しまいやすいということ。

守りに入りやすいということ。

そうした面かな。

習慣という最低基準に安住する
じぶんを作ってしまう。

そういうこともある。

これは実体験があるよ。

わたしもこれまで数多くの習慣
を持ってやってきたけど。

ともすればその習慣以上のこと
をやらない自分がいるなって。

そう気づいたんだ。

これは習慣の影の部分といって
いいかもしれない。

落とし穴といってもいいかな。

たとえば、コラムもそう。

最低、一日一つは書こう。

むかし、こう考えた。

そう決めた。

自分を律するために、そうした
ルールをつくったわけだね。

そして、実行した。

破らず、やった。

だけどね。

それ以上のことはしなかった。

ほんとうはもっともっと想いは
あるはずなのに。

伝えたいことはあるはずなのに。

伝えようとはしなかった。

一日一つ。

はい、おしまい。

そうなっていた。

「一日一つ」に安住したんだね。

それで、やった気になって。

それで、一日の仕事が終わった
気になって。

そこで止まっていた。

なにが怖いってさ。

当人はやった気になっていると
いうことなんだ。

ノルマを達成し清々しい感じを
覚えているということ。

最低ラインへの安住。

知らず知らず、そうなっていく。

反省についても同じで。

朝晩することを習慣化する。

やらない日をつくらない。

これ自体はいいこと。

でもね。

だからといってこれは日中しな
くていいということではない。

決して、そうではないはず。

だけど、朝晩やるようになると
自分はやっている気になって。

その最低基準に、自分の基準を
合わせてしまうようになる。

うん、やっぱりこわいね。

これが負の側面かな。

講師仲間とのミーティングもさ。

毎日朝30分やろう、って。

そう決めて、やっていた。

遠い場所に住んでいる講師とも
オンラインでやっていた。

本当は会えればもっと良いね。

会いに行けばいい。

だけど、習慣として、いろんな
ひとと毎日話しているとさ。

自分は十分にやるべきことをや
っている気になるんだ。

それ以上をやろうとしなくなる。

習慣はもちろん、持たないより
持った方がいい。

それは間違いない。

ただ大抵、習慣、ルーティンは
最低限度、最低基準で設定する。

これくらいはやろう、って。

毎日しよう、毎週しよう、って。

その最低基準で決めたはずの習
慣が、いつしか自分の標準的な
基準になってしまう。

ここがいけないわけだね。

勉強熱心な仲間が、最近、毎日、
30分の公開読書をしている。

オンラインで共有している。

当人たちに聞いてはいないけど。

ひょっとしたら、以前に比べて
読書量が減ってる可能性もある
んじゃないか、って。

経験上、そう感じるの。

昔は、やらない日もあり、やる
日もあり。

平均すると一日一時間くらいは
やっていた。

今は毎日30分はやる。

かならずやる。

ムラはない。

ただ、それ以上はやらないから
前よりも量は落ちている。

こういうことになっていないと
いいな、って。

そう思ったりして。

習慣って、守りなの。

守りだから自分を守ってくれる
けど、伸ばしてはくれない。

伸ばすためにはそれ以上の努力
が要る。

ルーティーンを超えた努力。

最低限ではなく、最高限の努力。

その最高限を更新していく努力。

こういったものだね。

一日一時間の勉強習慣を持つ。

受験生活では、とても大事。

ただこれは二時間やるなという
ことではないということ。

(笑)

三時間やっちゃいけないという
ことではないということ。

(笑)

肝に命じておきたいね。

さあ、お互い、がんばろう。

J
きょうは合宿をしているよ。

受験対策合宿。

一泊二日の詰め込み勉強。

いいね。

みんな、必死。

(笑)

きのうは誕生日でね。

大台に乗ったよ。

しじゅうの大台に。

(笑)

夜は家族と祝ったんだけど。

昼は大阪で講座をやってた
んだ。

受験対策講座。

四十代はじまりの日に講座を
やるというのも、意味がある
ものなのかな、って。

なんとなく、そんな気がした。

はじまりに終わりあり。

父親ってさ。

はじめから父親なんだ。

生まれたときに、父親として
出会う。

友達ではないし。

ビジネスパートナーでもない。

父と子は、最初から最後まで
父と子であれば、その関係は
うまくいく。

はじめのその瞬間に、本当は
答えがあったんだよ。

もちろん、母親も然り。

親子が社長と社員になったり
すると、うまくいかない。

友達のようになったりすると
うまくいかない。

そういうことが多い気がする。

友達もそう。

友達は友達。

いっしょにビジネスをはじめ
たりすると、その友人関係は
壊れることも多い。

四十代初日が講師だった。

末日も講師かもしれない。

伝えるべきことがある。

伝えたいことがある。

それは、受験対策だけでない
けれど。

全身全霊で、わたしに伝えら
れることを伝えていきたいと
おもう。

さておき。

きのうの講座で気づいたこと。

二つあった。

一つはシンプル。

講座は楽しい。

(笑)

もう一つ。

それはわたしにとっての講座
の意味。

セミナーや講座。

あなたはどんなイメージを
持つだろう。

何かの情報や知識があり。

技術があり。

それを学ぶところ。

そんな感じかな。

専門的なものを学ぶ。

専門家が教えてくれる。

説明してくれる。

解説してくれる。

そういうイメージかな。

たしかにそれもあると思う。

ただ、わたしという人間に
とっての講座は、それとは
違うということに気づいた。

きのうもね。

わたしは、すごい量を板書
したの。

たいてい、そう。

板書の量がすごい。

ぜんぶ、手書き。

人によってはパワポをつか
えばいいのに、って。

そう思う人もいるかもしれ
ない。

だけど、わたしは十年以上、
一度もそうした講座をした
ことがない。

一貫して、手書きでやって
きた。

余談だけど、手帳もそう。

手帳のカレンダー部分。

ふつう、印刷されたものを
つかうよね。

そこに予定を書き込んでく。

わたしの場合、ちがうの。

枠線も手書き。

月火水木金土日も手書き。

1日、2日、31日も手書き。

予定も手書き。

手書き、手書き、手書き。

これは純度なの。

ゼロから自分で作っていく。

こだわりではない。

純度を高めたいだけ。

なぜか思い入れが強くなる。

板書も同じ。

手書き。

不思議だけどさ。

字が小さくても。

字が汚くても。

文句が出ることはない。

だけど、パワポでやるとさ。

小さくて見えないとか。

そこ、字間違ってるとか。

こういう声も出るってこと
を別の講師が教えてくれた。

わたしは言われたことない。

もし見えなくても休み時間、
前に来て写していく。

何が違うのか。

わたしはよく分かる。

よく感じる。

手書きの講座。

手作りの講座。

これって、料理なんだ。

手料理。

手料理を出されて文句を
言うひとはいない。

仮に味がいまいちでも。

つくってくれたその手間。

その気持ち。

その創作。

これを受け止めるから。

そこに感謝するから。

よほどでないと、文句は
言わない。

そう。

講座は説明ではない。

解説ではない。

手料理。

これがわたしにとっての
講座の意味。

手料理を出す。

だから、機器は使わない。

借り物はつかわない。

自分のペンで。

自分の字で。

自分の構成で。

自分の言葉で提供する。

これまでも、なんとなく
その感じはあったけど。

表現できなかった。

だけど、昨日、わかった。

手料理なんだ、って。

一緒に味わうんだ、って。

だから、楽しいんだ。

自分自身。

そして、好きなんだ。

またやりたいと思うし。

もっと美味しいものをつ
くりたいと思う。

うん。

わたしは信仰者。

このあいだ、ある人から
わたしと話していると仏
壇の前にいるようだって。

そう言われた。

涙が出てくると言われた。

わたしにとっての信仰は
知識ではない。

道徳でもない。

実際なんだ。

毎日なんだ。

愛なんだ。

勉強ではない。

心が温かくなる。

涙が出てくる。

優しくなる。

そういう本物の実感なんだ。

手につかめる実感なんだ。

だから、伝えていく。

出していく。

借りものでない思いを。

知識でないものを。

手料理のように。

自分も食べて相手も食べる。

一緒に楽しみ、一緒に喜ぶ。

そうしていきたいとおもう。

きのうの講座、良かった。

やって良かった。

またやっていくよ。

あなたは四十?

五十?

三十?

六十?

いい年をとっていこう。

わたしも、いい十年、いい
四十代にしていくよ。

おたがい、がんばろう。

J
いやあ、まいったね。

いつぶりかな。

まあ、三ヶ月ぶりだけど。

熱を出してしまって。

きのうは一日、休んでたんだ。

三十九度を超えるところまで
いったよ。

子供の頃から、とにかく熱を
出すタイプでね。

自称強靭、実質虚弱なの。

(笑)

8月は講座の関係であちこち
動いてたこともあり。

人と会うから酒量が増えてた
こともあり。

弱ってたんだろうね。

そこにアンパンマンミュージ
アムだったから。

(笑)

勝てなかったんだね、免疫が。

見事に熱発したよ。

だけど、1日休んだら、もう
回復した。

平熱まで。

よかったよ。

病気ってね。

わたしなりのコツを言うよ。

罹るコツじゃなくて治るコツ。

(笑)

一つは、何もしないこと。

治そうとしない。

無理をしない。

人って、頭がいいからさ。

知識を使おうとしちゃうんだ。

だけど、体を直すときには体
の声を聞いた方がいい。

頭の声より。

頭は栄養を取れというかもし
れない。

だけど、体は食欲がない。

これは理論だと、頭のほうが
正しいのかもしれない。

食べるべきなのかもしれない。

しかし、本能は食べるなと言
っている。

なら、わたしは食べない。

食べない方を選ぶ。

薬もそう。

薬って、良いものだよ。

わたしも結構、飲む。

偏頭痛があってね。

割とよく飲むの。

ただね。

それは遊び程度のものだから
飲むの。

大したもんじゃないから飲む。

きのうのように本当にきつい
とき、ダメージの大きいとき
は飲まない。

本気、本番のときは飲まない。

遊びじゃないからだね。

怪我してしまう。

飲んだらダメだと直感する。

いけない、って感じがする。

体のこの頑張りを今もし止め
たら、どうなるだろう、って。

長引くか、悪化するか。

どっちかだな、って。

だから、心情としてはきつく
ても、薬は飲まない。

体に対し余計なことをしない。

体の声を信じる。

そのようにしているよ。

ただ、これは年齢にもよる。

高齢になると体の声自体にも
衰えは出るから。

そこは加減が要る。

あと、もう一つはね。

これはある一定のひとにしか
当てはまらないかもだけど。

神仏の光を体に入れる。

この光で病原体を撃退する。

方法までは言わないけど。

きのうも10分くらい時間を
とって、そうしたの。

そしたらね。

その瞬間に自分の中から変な
ものが消えていくのが分かっ
たんだ。

変化が起きたのが分かった。

そのとき、あ、これは間違い
ないな、って。

ここから一気に良化するって。

そう実感した。

そして、その通りになったよ。

生かされていることに感謝を
しなきゃだね。

ここからは学んだことの話。

きのう、一日、じっくりさ。

いろんなことを考えたんだ。

この病は何を意図するんだろ
うとか。

人間におよぶ病そのものの意
味って何だろうとか。

そういったことだね。

2つ、分かったことがあって。

これを話せたらとおもうの。

まず一つはね。

執着について。

ひとってさ。

ネガティブなことについて考
えていると、執着ってすぐに
気がつくんだ。

だって、イヤだから。

(笑)

イヤなこと考えてる自分って
イヤでしょう?

できれば、避けたいよね。

だから、執着している自分に
イヤでも気づくんだよ。

過去の失敗とか。

失恋とか。

失業とか。

いろいろ失ってきたでしょう?

(笑)

それに執われて苦しいときは
ああ、執着してるな、って。

すぐに気がつく。

ただ、厄介なのはさ。

その反対の方なの。

ポジティブな思い。

これにも実は執着ってあるの。

すこし分かりづらいでしょう?

でも、やっぱりあるんだ。

身内話だけどさ。

真剣な内輪話を一つするね。

しばらく前にさ。

わたしたち夫婦で衝突をした
ことがあったんだ。

なかなかのマグニチュードを
記録する大激震。

そのとき、言われたのがね。

理想に執着してる、って。

そう言われたの。

これね。

これ以上、言及しない。

内容を紹介したって仕方ない
から。

ただ、近い関係にある人から
本音で言われる言葉の意味。

これはとても大きい。

考える必要がある。

なぜなら、それは机上論では
なく真実だから。

理想というのもね。

実は軋轢を生むんだ。

理想を追うのはいいんだよ。

理想そのものはいい。

だけどね。

理想と自分との距離感。

理想と現実との距離感。

これの乖離があまりに大きく
なると、そこに炎症ができる。

摩擦、軋轢、葛藤。

こういったものによって炎症
が起きる。

これが人間関係の不和だった
り、自分自身の不調だったり。

そうしたものになっていく。

ポジティブで未来志向で理想
主義だと万事うまくいくかと
いったら、そうではない。

環境との調整や自分の器との
調整、また、自分の成長速度
との調整。

こうしたものを付けないとさ。

乖離が大きくなりすぎた場合、
どこかで不調をきたす。

まあ、一言で言うと、無茶と
無理はするな、って話だね。

(笑)

きのう、じっくり考えてみて。

一つ、思い当たったのはそこ。

器、分を超えて目標や理想に
集中しすぎていたな。

執着レベルになっていたな。

そう感じた。

普段は気がつかないんだけど。

病になると気がつくんだ。

あ、ここがおかしかったな、
あ、ここがダメだったな。

そういったことに気づける。

やっぱり病そのものも調整の
原理として働いてくれている
ところがあるんだね。

あと、もう一つ。

それは周期について。

病は慢性病として残るものも
あるけれど。

そのほとんどは急性病として
過ぎ去っていくよね。

しばらくすると治っていく。

子供のときに罹った病。

そのほとんどは、いまはもう
治ってると思うの。

台風もさ。

毎年、やってくるよね。

やってくるけど、去っていく
よね。

一過性のもの。

冬もそうだね。

いつもやってくる。

そして、いつも去っていく。

夜もそう。

いつも来て、いつも去る。

すべてのことにはさ。

周期があるんだ。

調子の良いときは、これが
永遠に続けばとおもうし。

悪いときはここから一刻も
早く抜け出したい、って。

そう思う。

思うのは勝手なんだけどね。

ただ思っても、春は早まら
ないし。

朝も早まらない。

台風も外で暴れてる。

(笑)

時期があるんだよ。

抜け出す時期が。

これはある程度、決まって
いるところがある。

そうした辛い時期にはさ。

ただジッと耐えること。

そこを抜け出るのを、待つ
こと。

これに限るな、って。

そう感じるんだ。

わたしも苦い経験は山ほど
していて。

人間、辛い時期ってね。

逆判断をしちゃうの。

自分が辛くて。

そこから抜け出したくて。

やってはいけない判断をし
ちゃう。

重要事こそ、好調なときに
決めなきゃいけないのに。

苦しいときにこれを考えて
しまうひとが多いんだ。

多いどころか、ほとんど。

焦らないことだね。

春を待つ。

朝を待つ。

病なら、全快を待つ。

ただ、ジッと。

ボーッとじゃないよ。

(笑)

派手なことはしないけど、
地味なことはできるよね。

内部の力を蓄えるの。

勉強して。

次のステージが来たとき、
フルに動けるように。

最高のパフォーマンスを
発揮できるように。

ジッと力を蓄えておく。

忍耐の時期にはジタバタ
しないこと。

脱そうとしないこと。

この胆力を持ってほしい
なとおもう。

この二つだね。

病から学んだこと。

執着と忍耐。

ヒントがあれば嬉しいね。

J