海外で働く女性 戦前の満州 | 海外で日本人が働く方法。派遣orバイト!?リアルな体験談

海外で日本人が働く方法。派遣orバイト!?リアルな体験談

海外で働きたい人、海外で仕事をしたい人へ。英語が出来なくても海外で就職できた経験者が、なぜ現地で働くことができたのか、その理由を語ります。実際に海外で働きながら生活してみて良かった事、不便だと思ったこともお伝えします。



海外で働いて生活する女性について私の知る限りで紹介していきたいと思います。

まずは私の母のほうの祖母です。祖母は新婚生活を満州で過ごしていました。

満州は学校の歴史で習いましたよね。

山口県生まれの祖父と結婚したのですが、祖父は当時の満州で一発当てようと

祖母を連れて満州に渡ります。

今みたいに海外に赴任するから夫と一緒に海外に移住するのとは訳が違いますね。

今のように情報もあまりなく、まだよくわからない土地にむりやり連れて行かされたのですから、

後になって結婚はよかったものなのかどうか、後悔する様な愚痴をこぼしていました。

でも祖母が言っていたのは満州は豊かな土地で、

いろんな人種が居たがみんな仲良く暮らしていたそうです。

なんだか理想郷のように言っていたのを覚えています。


ところでポーランドでも満州は知られていますが、日本から見る満州のイメージとちょっと違う様です。

ポーランドから見ると極東も極東なので、犯罪者の流刑地、貧しい土地として思われていたようです。

日本の田舎から見たら豊かな土地の満州も、当時はポーランドは第1次世界大戦後、

独立した後、豊かな国に栄えたというのでその国から見たら、貧しい土地と思ったのかもしれません。

そして終戦。日本が負けた直後、ソ連兵がなだれ込んできました。

ソ連兵の冷酷だった噂は瞬く間に広がり、死に物狂いでみんな逃げたようです。

祖母は当時、母の姉と兄、(わたしにとって伯父さん、伯母さん)を満州で産んでいたので、

子供らを抱えて命からがら日本に逃げてきたそうです。


祖母に限らず、その頃の時代の人は今では考えられないようなものすごい波乱の人生を送っていましたよね。

今、海外で働いて生活するのと全然環境が違いますよね。

海外で転職する方法についてコチラでもっと詳しく書いています。