そっか、

昨日3月10日は

東京大空襲の79周年か。

あの夜を迎えたのは、

東京都下の当時の小金井町にあった

旧国鉄の官舎だった。

両親、姉2人と僕が官舎にいた。

空襲警報のサイレンが鳴り響いたのは、

夜の何時頃だったろう。

寝床で眠っていた僕は、

母に抱き起こされた。

防空ずきんをかぶらされて庭へ出た。

庭には防空壕が掘られていた。

そこへ避難ということだったが、

誰も入りたがらない。

真上の上空で夜間空戦でもあれば別だが、

空襲を受けている地は遠そうだ。

「おい、東の空が真っ赤だぞ!」

父の叫びでみんな東を見た。

気がついたときには、

左端に母、次いで13歳の次姉、17歳の長姉、

そして、5歳の僕を肩車にした父が右端にいて、

一線に並び東の空を見すえていた。

東の空は真っ赤に焦げていた。

赤色を濃淡に変化させながら、

オーロラのようにうごめいていた。

みんな黙って見ていた。

僕はただ怖れおののいていた。

あの真っ赤なオーロラの下で、

恐ろしい出来事が起きている。

それだけは認識できた。

 

今日は東北大震災から満13年か。

被災地の市町村のうち3分の1ぐらいは、

読み聞かせ、講演、イベントなどで回っている。

大震災の翌4月から被災地の慰問を始めた。

5月は岩手県を中心に回った。

その1つ大船渡市三陸町は、

2000年代の前半に読み聞かせと、

講演で各1回訪れている。

当時は三陸町という独立した自治体だった。

会場は2回とも三陸町会館だった。

読み聞かせは親子連れで賑わった。

講演でも読み聞かせを入れて、

車いすの人達も聞きにくれていた。

近くの養護老人施設の利用者らしい。

会場は当時の三陸町の中心地区の越喜来にあった。

越喜来地区は壊滅状態と聞いていたが、

仲間と車で到着して驚いた。

会館、漁協、養護老人施設などは残骸として残り、

街は跡形もなくなり、

乗用車などの車両が山のように積み上げられている。

海岸までが見通せて流されずにすんだ数本の松が、

枝を弱々しく揺すってションボリしていた。

ここに会場で絵本の販売を行っていた本屋さんがあったんだ、

ここは宿泊した民宿の跡だ、

と夕食に出たイワガキのあじわいを振り返りながら、

と僕は涙をこらえながら歩き回った。

あれからもう13年か。

戦争という人災の残酷さも忘れない。

天災という巨大で非情な暴力も忘れないぞ。

 

両災害で命を落とした人達のご冥福を、

改めて祈ります。