朝から雲1つない蒼空だった。

庭のアオギリにセミが止まって鳴いていた。

青い幹に止まるアブラゼミは目に染みた。

国鉄官舎に住んでいてね、

僕は廊下で何かやっていた。

その何かが何だったかは、

確実には思い出せない。

多分、長方形のメンコの束をめくっていた。

表に織田信長や、

真田幸村(信繁)の凜々しい武者姿が描かれたヤツね。

朝からずっと飛行機の爆音が聞こえなかった。

それはとても珍しいことだったのよ。

昨日一昨日は空中戦をやっていたんだから。

南に1.5キロ先に帝都(東京)の空を守り抜く、

という自負の高かった陸軍調布飛行場があった。

南西方向には本土決戦に備え、

猛者揃いの海軍の厚木基地があった。

どっちの戦闘機も強かったぜ。

敵の艦載機のF6Fヘルキャットや、

硫黄島から飛んできた陸軍機P51ムスタングを

キリキリ舞わせて落とした。

それは身びいきで、

実際は苦戦していたんだろうな。

そんなのが嘘のようになくなった。

我が家の上空周辺では、

と言っておこうかな。

実際にはこの日も

日本上空の各所で空中戦が行われ、

海軍館山基地のゼロ戦乗りも撃墜され戦死している。

でも、ここいらはのどかだったよ。

遠い遠い爆音は聴いたような。

潮騒のように。

国鉄では工事畑の人間だった父は、

現場の仕事が減り、

分区という事務所にいることが多くなった。

官舎と道を隔てて、

その分区はあった。

正午になると、

分区から昼食をとるために父は戻った。

この日はなかなか戻らなかった。

庭の木戸がパタンと開いて、

アオギリのアブラゼミがチッと鳴いて飛び立った。

父は縁側へ早足できたが、

その顔は悲痛に歪んでいた。

「おい、戦争が終わったぞ!」

台所から小走りに母が現れた。

「本当に?」

「ああ、ラジオで陛下が仰せられた」

「そうですか」

母はヘナヘナと膝を崩した。

でも、その顔には安堵の色が広がっていた。

父は香を穏やかな笑顔に変えていた。

僕は素直に嬉しかった。

(これで兄チャンが還ってくる)

父が遅い昼食をとっているときに、

遠くから太鼓の音色が響いてきた。

「戦争が終わったことを教えているんだろう」

父がつぶやいて続けた。

「今年の秋祭りは賑やかになるな」

 

兄チャンは還ってこなかった。

終戦の約10日後に、

旧ソ連軍に追撃され、

旧満州の地で戦死したと明らかになった。

その知らせを受けたのは、

戦後も7年経った1952年春のことだった。

中学1年になっていた僕の中で、

更にまだ戦争は終わらなかった。

 

※兄の愛読書 上は「ベルレーヌの詩」松山敏訳 下は「ゲーテとベートーヴェン」新庄嘉章訳