戦争が終わって翌年の1946年春、
僕は小学校に入った。
そのときはまだ国民学校だった。
1年生のうちに新制小学校に変わった。
入学の前、
本校から校医がきて、
入学予定者の身体検査が行われた。
小さな分校で、
校医は校庭に机を出して簡単な検査を行っていた。
軍医上がりで、
「よし、次の子供、前へ!」
と、机を叩き、号令調だった。
「よし、次の兵、前へ!」
と言い間違えたときは、
笑いが起こった。
入学予定者の子供は笑わなかった。
全員母親が付き添い、
彼女たちが笑ったのだ。
母親に引きずられて笑った子供も何人かいたが。
僕の番がきた。
上半身裸になった僕を見て、
母はおそるおそる校医に伺いを立てた。
「あの~、この子、3月末の生まれで体も小さく弱いので、
1年遅らせようと思いますが・・・」
校医はその母を無視して、
僕のまぶたをひんむいたり、
舌を出させたり胸に聴診器を当てた。
「回れ右!」
僕が回れ右した途端、
校医は僕の背中を平手でピシャンと叩いた。
僕は植え込みのほうへよろけた。
「大丈夫、合格!」
あの校医でなかったら母の言うことが通って、
僕は間違いなく1年遅れで入学していたろうね。
1年遅れの人生はどんなものになったのかな。
しかし、あの平手打ちは熱がこもっていたかった。
温情の熱だったのだろうか。