3月23日

母の誕生日である。

2004年10月母の病気が告知され、余命半年と聞いた。

あれから1年5ヶ月 寿命は延び、二度目の誕生日を迎えることができた。

75歳になった。

日ごろから、誕生日に特別にお祝いをしてあげたことがないので、みな忘れている。


丁度、ワンピースをほしがっていたので、プレゼントしようと思った。

なぜ、ワンピースかというとウェストにかかるものはまだ傷口にひびくから。

しかし、母が希望するワンピースはなく、ジャンバースカートとブラウスをプレゼント。

世の中からワンピースが消えてしまったんだなと改めて驚く。


「おかあさん、今日、誕生日やろ。おめでとう」

というと「あ~、忘れとったー」と力なく笑った。

カードも添えず、プレゼントを渡すと、早速、試着しサイズ直しを要求する。

退院して出かける気満々のようだ。


そんな折、母の主治医ドクターNから呼ばれる。「母抜きで話したい」と。

弟の携帯に直々電話があったので、二人で覚悟を決めなければならないときがきたのかと驚いた。

抗がん治療が負担になっていたり、効果がみられないとかだったら、もう、緩和ケアに切り替えようと弟と話ながらドクターNのところへ向かった。


ドクターNの話では、オヘソの腫瘍は悪性で転移ガンであること、腹部内に散らばっている可能性があること、乳房のあたりにみられるしこりも悪性の可能性があることなど悪い知らせだ。

しかし、抗がん剤は効果が見られる。

転移はあるものの、元のガンはほとんど進行していない。

おへそのガンは悪性だろうと予測していたのに。なぜ、母抜きで話すのか疑問に思っていると、ドクターNは切り出した。


「術後、おかあさんの表情が晴れないんですよね。今までとちょっと違うのが気にかかるので、外泊も許可できますから、連れ出して気分転換してはどうですか」


ありがたい。そこまで、母のことを考えてくれて。(しかし、電話でもよかったんじゃない?)

ドクターNが呼び出しするなんて、よっぽど心配だったに違いない。

看護師さんにしても(もちろん、特定の数人)、父と母の両方に気を使って励ましてくれる。


父は来週の水曜日、足を切断することが決まった。

母にしてみれば、父のことが気がかりで気が晴れなかったのだろう。


夕方、父の病室にいると妹と母が病室に来た。

父は、かなり頭がしっかりしてきて、母に病室の人のうわさ話を耳打ちしていた。

母は笑うとまだおなかが引きつるから、わらわせるなと、顔をゆがめて笑いをこらえていた。