母の大腸癌騒動(前編) | 親の振り見て我が振り直せ

親の振り見て我が振り直せ

父親87歳母親86歳、日に日に手がかかるようになりました
嫌だけど自分の老後の勉強になると思い実家へ通ってます

この辺のことは 辛くて

忘れていることが多いので

さらっと 読んでください

 

 

2019年の春に 特養にいる伯母Iが転び

確か どちらかの大腿骨(股関節かも)を骨折。

救急車で運ばれ 市民病院で 手術、入院。

その後 リハビリ専門病院に 転院した。

 

私は その間 身寄りのない伯母の後見人だった

母の運転手&荷物持ち&事務手続き係をした。

 

絶対 車椅子になるだろうと

誰もが思った叔母(94歳)は 秋には退院し

自力で歩いて 無事 もとの特養に戻ったガーン

 

その後 私は

毎月1回 市民病院への診察に行く伯母に

付き添う母の運転手(以下略)を引き継いてしたわ。

 

この頃の母は 物忘れが酷くなってきたので

失敗やトラブルが多くなり

物忘れが原因での(家の中に物が多過ぎもある)

もの取られ妄想も酷くなってたので

母は 常に ピリピリいらいらしていた。

 

伯母の件で 実家に行くことが増えた私に

母の被害者になっていた父、母の妹・H叔母、義妹は

会うたびに 愚痴をこぼした

 

私は、母のことが嫌い ウザかったし

いろいろと めんどくさかったので

本当は 逃げたかったが、、

 

ちょこちょこと 車をぶつけてた母に

実家の隣りの市まで 往復1時間も

運転させたくなかったし

 

特養には 大変興味があったし

国民年金6万しか 収入がない叔母が

特養の費用、入院費等を どう支払うのか?等の

好奇心に負けたえーん

 

半年も まめに実家に通うと 母は思った以上に 

いろんな認知機能が 衰えていたのに 気付いたので

母のケアマネジャーさんに 相談すると

物忘れ内科の受診を勧められた。

 

プライドの高い母が

物忘れ内科に行くかな?と 心配したが

母も いろいろと困って 不安だったんだろう~

すんなり 受診してくれた。

 

 

さて~ 診察に付き添って 分かったんだが

母は ドクターの話を 半分しか 理解できないし

なんとか 理解できた話も 家に帰るまでに

さらに 半分忘れる

 

さらにさらに 固有名詞が出てこないので

自分の困っていることを ドクターに

うまく 伝えることが出来なかった

 

80歳こえているので 仕方がないなと思い

私が 通訳&記録係&お薬管理人をすることに。

 

あと 物忘れ内科のドクターは

渋る母を 丁寧に 説得して

たくさん減薬してくれた おかげか

母は 酷い不穏な状態から抜け出れた

 

 

たぶん 母は 助かったと思ったんだな~

 

知らんけど…

 

 

それからは 母は 医者通いは

私に すべて まかせるようになった。

 

もちろん それは 嫌だったけどさ、

とんちかんなことばかりなことしか言えない

母の体調管理に 私が困り切る

私は 何か 何かしたかったんだね

 

たぶん…

 

 

なのに 今年の5月の終わりに

実家の近くに住む義妹から電話あり。

 

朝 お義母さんから 電話があって

「あたし 大腸癌かも~

朝から ふーこに 電話してるんだけど

全然 出ないのよー(子ども食堂のお手伝いしてました)

 

T病院大腸癌では有名)に 行きたいんだけど

あなた 送ってくれない」と言われて つれていったら

 

お義母さん 大腸のカメラを 予約されたんですよ

そんなの ダメですよね」 と…

 

 

話はつづく~