2024年5月

世界パラ陸上が神戸で開催された。

ここで2位に入ればパリパラリンピックの出場が内定。去年パリで開催された世界パラ陸上で4位以内に入れず、出場枠を持っていない私にとってはとても大切な大会だった。


練習ではいい記録が出せるようになってきているのに、本番でうまく調子を上げられない、良いパフォーマンスができない、楽しめない。

そんな数年間を過ごしてきた。

何か変えなければ、また同じことの繰り返しになってしまう。そんなのは絶対いやだ!変わりたい。

と思い、今年からメンタルトレーニングを始めることに決めた。1月のことだ。

やると決めたものの、メンタルトレーニングとは具体的にどんなことをするものなのは分かっていなかった。

ただ弱い自分を変えたい。やってみたい。

その気持ちだけで飛び込んだ。


メンタルトレーナーの先生と初めての面談の日。

私は本番になるとこうなってしまう、こういう気持ちが湧いてくる、だから本番で力を発揮できる選手になりたいんだ、など、私が課題だと思っていることを先生に伝えた。


先生は、それってメンタルが弱いのかな?と言った。

それだけ楓ちゃんがそのことを大切に思っているから、力を発揮したいと思っているから、その気持ちも出てくるんじゃないかな。その気持ちって悪じゃなくて、楓ちゃんを頑張ろう!と思わせてくれる大切な気持ちでもあるよね。と話してくれた。

先生の話す言葉が、ひとつひとつ私の心に入ってくる。

そしてメンタルトレーニングとは、自分の取り扱い説明書を作ることなのだと教えてくれた。


なるほど。それって、、、すっごく面白そう!!


それからメンタルトレーニングが始まり、自分と向き合い続けてきた。

まだ始めて4ヶ月目だったが、その効果がはっきりと実感できた神戸世界パラ陸上になったのだ。


大切な大会ほど、様々な感情が押し寄せる。

勝ちたい、負けたくない、○m跳びたい、、、

その気持ちと一緒に戦うために、名前をつけた。

そして今を見続けた。


その結果、人生で1番楽しかったと言える試合になった。

本当に本当に本当に楽しかった。

ここ数年心から楽しめなかった私、去年の世界選手権で大失敗した私、その私が大舞台で自己ベストが出せた。銅メダルが取れた。

こんなに嬉しいことはない。

日本開催ということもあり、大歓声を浴びて試合ができたことも本当に楽しかった。

みなさんも私と同様、心から楽しんでもらえただろうか。



銀、銅、ともに4m66。

5本目までは私が銀メダルポジション。

ラスト6本目。兎澤選手のジャンプが、私の2番目の記録を上回り抜かれる。(同記録の場合、2番目の記録で順位が決まる)

私の6本目。ギリギリを攻めたがファール。

銅メダルとなった。


ここで勝てていたらもっと良かったのだけれど、でも、でも、私は全てを出し切った。

そう思えることがこんなにも幸せだなんて、こんなにも嬉しいなんて。知らなかった。

幸せだと心から思った。一生忘れない銅メダル。


今回メダルをかけた面白い戦いができて、改めて思った。


私は世界のトップで戦い続けられる選手でいたい。

面白い試合をしたい。見ている人に楽しいと思ってもらえる試合をしたい。


今回の神戸は世界ランキング上位3名が出場していなかった。

だからこそ、私はメダルを取れた。

私よりも上のランキングの選手もいた中で、メダルが取れたことについては自分を褒めてあげたいが、トップ選手たちがいなかったからというのもまた事実。


だからこそ私はもっともっと強くなりたい。

面白い試合ができる選手であるために。

自分自身も楽しむために。


さあ、いよいよパラリンピック。

パラリンピックは何が起こるかわからない。

私は私の最高のパフォーマンスをする。

それだけなのだ。


頑張ってきます。

毎年オフシーズンの10月11月は、ありがたいことに講演やイベントの予定がたくさん入っている。

その時「陸上を始めてよかったなと思うことはなんですか?」という質問が、必ずと言っていいほどある。

私はもともとスポーツが得意だったわけではないし、まさか自分が陸上をやるなんて思いもしなかった。

この質問にいつもその時の気分で答えるのだが、今思いつく限りここに書いておきたいなと思う。

「義足で走ってみる」は、とても大切なことだなと最近改めて思ったからだ。

陸上を始めなくてもいい、スポーツを本格的にやらなくてもいい。

競技者にならなくても、走るということは自分の人生に大きな革命を与えてくれると思うのだ。

もし私が陸上選手になっていなかったとしても、走るということが私の人生を変えてくれた。

それをここに書き記しておきたい。


まず1つ目。

綺麗に歩けるようになった。それに加え、長時間歩けるようになった。


義足、特に大腿義足で綺麗に歩くのは難しい。

義足に体重を乗せることはとても怖い。なぜなら義足の膝はまっすぐ伸びた状態で体重を乗せないと、膝折れ(義足の膝がガクッと折れてしまうこと)というものを起こしてしまう。膝折れすると転倒してしまうこともある。

初めは地面を踏んだ時、どこを踏んでいるのか、足部のどの位置が地面に触れているのかわからない。

そのため確実に転けないように、義足をブンッと降り出して地面をかくように歩くようになる。地面をくわで耕す時のように。(一般的には)(例外もあり)

バランスを取るために身体が左右、上下に揺れてしまうことも多い。

しかし走ることを続けていると、義足を支えるための筋肉がついたり、身体全体の軸がしっかりしてくる。地面に足がどう接地しているのか、膝はどうなっているかなど、見なくても分かってくるようになる。

「義足に血が通ってくる」というやつだ。

そうすると義足への恐怖が少しずつ減ってくる。

膝折れが起こらなくなってくるし、義足にしっかり体重を乗せて身体がぶれずに歩けるようになる。

私も最初は足元を見て歩くことしかできなかったけど、今では友達と話しながらでも、何かを持ちながらでも、フードコートなどではスープが入った食べ物さえも運ぶことができる。

できない動きももちろんあるけど、ダンスだってできるし(笑)、ジャンプをしながらライブだって見れる。

そして体力の面だ。

義足で歩くということは、まじで本当に疲れる。

特に最初の頃は、病院の廊下を歩くことだけで精一杯。

旅行に行けるのか?ライブに行けるのか?

もう友達とたくさん歩いてどこかに行くことはできないのか?

すごく落ち込んだ。

でも行ってみることが大切。最初はすぐ座りたくなったり転けてしまうことがあっても、続けていればできるようになってきた。

そこに走ることがプラスされると体力も筋力もついてくるので、さらに多く歩けるようになった。

高校1年生の時に義足を使い始めたのだが、高校生の時はとにかくいろんなところに行っていた。笑

バンドのライブが大好きだったので、セカオワはもちろん、ライブハウスにもよく行っていた。



ディズニーも大好きで年に数回行っていたし、遠征もするようになった。

心配していた修学旅行も無事に行けた。



初めは本当にしんどかったし、よく転けた。そして落ち込んだ。悔しくなった。ソケットと断端が擦れて傷もよくできた。

でも傷パワーパッドを貼れば痛みが和らぐことを教えてもらったり、しんどくても何度でも行っていたらうまく義足と付き合えるようになった。友達や家族が寄り添ってくれたことも、何度も挑戦できた大切な要素だ。


最初は絶対に無理だと思っていたフードコートで食べ物を運ぶこと。重いスーツケースを引っ張って旅行に行くこと。ライブに行くこと。ディズニーで1日歩き回ること。食べ歩きをすること。


失敗(フードコートでラーメンぶちまけたり、派手に転けたり、階段から落ちたり、断端血だらけになったり)もたくさんあったけど、続けていたらいつの間にかできるようになっていた。

失敗は経験。もちろん痛いし辛いけど、じゃあどうしたらいいか?を考えるきっかけになる。


とりあえずなんでもやってみて、ダメだったらまた考えればいい。

不安で仕方なかったこともあるけど、やってみてよかったなと思う。


もちろん走らなくてもこれらのことはできるようになる。

でも走ることで、より、義足を自分の体の一部として扱えるようになり、綺麗に歩けるようになり、たくさん歩けるようになったと思う。


②,③とここに続けて書くつもりだったけど長くなってしまったので分けようと思います。笑


では①はここまで。




9月3日の試合を最後に、2023シーズンは幕を閉じた。何か違うことにチャレンジしたいと思い、やり投げに出場した。

そしてずっと待っていた長期オフに突入。幸せの休息期間だ。


今シーズンは世界選手権があったこともあり、心も身体もかなり疲弊した。

世界選手権までのスケジュールを組み、日々目標に向かって練習する。こうしたら良いのではないか?ダメだった、これはうまくいった、と考え、実行する毎日。

それはとても楽しいが、頭、心、身体が本当に疲れる。

うまくいかないこともたくさんあったが、うまくいったこともたくさんあった。

やり切れた、と思える一年だった。


そんな充実したシーズンを終えると、燃え尽き症候群が起こる。

来年に向けて次はどうしていくか?スケジュールはどうするか?何が必要か?

それが考えられないのだ。

とにかく「疲れた」「陸上のことが考えられない、考えたくない」となる。そんな時に練習してはもちろん身が入らない。

だからこそ、陸上のトレーニングを全くしない長期オフを取って、心身ともにリフレッシュを行うのだ。


今年は9月5日に手首の手術(去年手首を骨折した際に入れたプレートを抜いた)をしたこともあり、抜糸までの2週間は実家に帰ることにした。

お正月ぶりの実家だ。

両親、くう、おばあちゃんおじいちゃん、親戚、、、

みんなと会って、美味しいものを食べる日々。



シーズン中は体重をプラマイ500gで抑えるようにしていて、食事も食べる時間にもかなり気をつけている。断端が浮腫んでソケットがキツくなることもあるので飲酒もしない。食材もスケールで計って、PFCにも気をつける。


体重が増えすぎると戻すのが大変なので毎日好きなだけ食べまくる!とはいかないが、家族や友達と同じ時間に同じものを食べたり、外食してお酒を飲んだりできるオフ。それが本当に幸せなのだ。

普通の日々が私には逆に非日常に感じる。なんて幸せなのだろう。

好きなものを食べる→体重増える→調整日を設けて調整するの連続。

(ストレスが爆発して食べすぎてかなり太り、シーズン中ソケットがきつすぎて走れない、身体が重くて辛い、泣きながら練習するという年もありました)(失敗は学びになる)


もともと食べることが大好きで、量も一般的な人に比べると食べられる方。

しかもとっっても太りやすい。

高校生時代は好きなだけ好きなものを食べていて、今よりも10kg近く体重がありました⭐️


シーズン中はストレスになりすぎないように、ヘルシーな食事でも自分を満足させられるような料理をする。それはとても楽しくて好きだ。


でもやっぱり、この世界は美味しいもので溢れている!!!

SNS等で、食べたいーーー!!!と思うものも毎日見てて、どうしてもストレスは少しずつ貯まってしまう。


シーズン中でも食べたらいいじゃん!飲めばいいじゃん!と言われることもあるが、私には難しい。

なぜかというと、少しでも断端が浮腫んでソケットがキツくなると走る感覚が変わるし、練習の質が落ちるから。身体も重くなる。

食べることを我慢することよりも、それによるストレスの方が何倍も辛い。


だからこそ、シーズン中はしっかり管理、オフはそれを緩めて食べる。そしてオフ明けに切り替えてしっかり落とす。という方が私には向いている。


アスリートなんだからオフも体の管理しなよ!オフ明けの調整期間がもったいない!という意見もあるかもしれない。

もし、陸上をこの年で引退する。と決めていたら、オフシーズンも我慢もできるかもしれないけど、私は自分に限界を感じるまで続けていきたい。できるだけ長くだ。

だからこそ、やるときはやる、休むときは休む。とすることで、長く続けていけるんじゃないかと思っている。そうじゃないと、私の場合は心がもたない。


人生は一度しかない。いつ死ぬかわからない。

だから、やりたいことは全部やりたい。

パラリンピックでメダルを取りたい、美味しいものも食べたい、旅行も行きたい、たくさん遊びたい、絵も描きたい、作りたいものを作りたい。


できるときに、やりたいと思うときに、できるだけ行動に移したいと思う。

陸上選手であるが、1人の25歳の人間でもある。

人生を最高に楽しく生きたい。


だからこそ、計画を立てて、オンオフを切り替え、やりたいことを全部できる人生を目指すのだ。

失敗もたくさんしながら進むのだ。



残りのオフも満喫して、たっくさん充電して、来年に向けてまた出発します🌻




ではまた。

人が大切にしていることを自分は大切にしていなくても、その人が大切にしているということは理解したい。

それを私は大切にしていきたいと改めて思った。


人が大切にしていると知りながら、「そんなことを大切にしていることを理解できない」と言ってしまう。

それは、自分の意見を伝えているだけではない。相手の心をズタズタに切り裂いている。

自分が大切にしていることを「そんなこと」と言われてしまう。本当に辛い。長い間引きずってしまう。

それに傷つくのは時間の無駄だと思っても、やっぱり傷つくし辛い。涙が出る。なんだか悔しいというか、やるせないような気持ちでいっぱいになる。


何を思うのも自由だ。

私だって人が大切にしていることを、私は好きじゃないなと思うことはある。

でも、この人はこれを大切にしてるんだな〜と思うし、わざわざ「私は嫌い!」などと言わない。

自分の言いたいことを言うということは大事だが、全ての場面で言っていいわけではないと思う。

相手はどう感じるだろう?傷つかないだろうか?

と、思いやる気持ちを忘れてはいけないと思う。


いつだって、どんな間柄だって、私はそれを忘れたくないと思った。



今年もまたイタリアに来ている。


今回は5/7〜5/13までイタリアグランプリに出場するため、イエーゾロに滞在していた。

その後、マルティナと共にベルガモに移動。

2日間マルティナの家に泊めてもらったのだが、一緒にランチを食べさせてもらったり、お出かけしたり、ディナーの準備を手伝ったり、いろんな話もした。


去年ここに来たときは、何もかも初めてで、緊張して、不安で仕方なかった。

マルティナとも大会で会うくらいの関係性だったし、受け入れてもらえるのか、コーチはどんな人か、イタリアでの生活はどうなってしまうのかと毎日ドキドキしていた。

でも2回目の今回は心から楽しいし、リラックスして自然に生きることができている。

それはたぶん、ここが私の居場所のひとつになったから。

マルティナもマルティナの家族もコーチも、私にとって大切な人になった。

みんなも私のことを大切にしてくれて、ここにいてもいいんだと思わせてくれる場所になった。

それが私の心も身体も強くしてくれてるんだ、と思う。

大切な人が増える、その大切な人に大切にしてもらえるということは、こんなにも人間を強くするんだなあとしみじみ感じている。

そんなみんなともっと話したい。だからもっと勉強したい。とも思えている。

あんなに語学勉強が嫌いだったのに。人生わからないものだ。


陸上を始めてもう9年目になるが、もうやめてしまいたいと思った苦しい時期があった。

でも今は、やめたくない。

陸上をやっているからこそ、こんなにもたくさんの経験ができて、変わり続けることができている。

もう十分だ、と思えるまで、自分のワクワクが尽きるまでやりたい。

そのためにもアスリートとしてもっともっと強くなりたい。



そして私がここに来て変わったことがもうひとつある。

というのも、私はたぶん、人よりもこだわりが多いのだが…

つまりマイルールが多いのだ。それを人に変えられることも大の苦手。

アスリートになってからそれがより多く、強くなった。

日々の練習、大会で良い状態の自分でいられるように、健康的な生活を送ること。体重を維持すること。

そのためにはどうしてもこだわりは強くなる。

食べるもの、食べる時間、寝る時間、起きる時間、休養、、、なにもかも。

マイルールを100とすると、去年は100がひとつでもできない状況に陥ると極度のストレスを感じていた。

例えば、私は普段家で食事をするのだが、PFCバランスを考えて食べている。

しかし合宿に行くと、お昼は外食に行く。

海外遠征に行くと、ホテルでの食事だったり、外食になることが多い。

たまに友達とごはんを食べにいく、とかなら大丈夫。自分ルールでは週に1回はギリセーフ。

でもずっと続くともうストレスが溜まる溜まる。笑

それは体重が増えたり生活リズムが変わると、競技に影響してしまうことを身を持って知っているから。

だからこそ怖い。完璧でないとと思ってしまう。

でも、どこまでなら大丈夫か?というラインを見つけたり、ラインを超えてしまった場合どう調整するか?を見つけたりする方がずっと心が軽く生きられることに気がついた。

全て「NO」と言っていたら、人と関われなくなってしまうし、自分が成長できるチャンスを逃してしまうかもしれない。そこで得られる幸せもたくさんある。

だから、ここまでなら耐えられる、ここからは耐えられないという線を見つけること。

最近はそれに努力をむけている。

そこを超えるまでは「まあいいや!今の時間の方が大切だ」と考え、超えたら勇気を出して「NO」と言う。

普段の生活をしてるときは、100のルールでしっかり自分を管理する。

誰かと過ごすとき、それによって何かを得られそうなときは100を70や60にしてみる。もちろん時期も見て。

残りの30,40は後で調整する。

そんな風に少しずつ自分を知って、適応能力を高めていきたい。

それもまた、実験のようで楽しいのだ。笑


もっともっと自分を理解したい。

自分の譲れないことは絶対に譲らないし守るけど、柔軟に、焦らず対応できるような人間になりたい。


そんなことをアナザースカイであるイタリアに来て思ったのであった。


来るたびにイタリアが好きになる。

来るたびに私は変わっていく。

インプットが大量で、こうしてアウトプットしたいことも溢れていく。

やりたいこともどんどん増える。



ありがとうイタリア。

ありがとうマルティナ。マルティナファミリー。ジャンニ。


みんなが最高に素敵で素晴らしい人だから、今の私がここにいるよ。


4月29日、30日、日本パラ陸上に出場しました!



結果は、100m 16秒30(-0.4) 2位


走り幅跳び 4m36 2位


うーん!

悔しいけど、収穫たっぷりの試合だった。

自分の弱い部分も、強くなった部分も見えた。

練習強度による自分身体の調子も掴めてきたし、世界選手権に向けて着実に進んでいる。


そして、今大会は会社の方がたくさん応援に来てくださった。

両親、祖父母、ブレードアスリートアカデミーに来てくれてた義足の男の子家族、、


招集場所からトラックへ出てくると、その姿が見えた。「かえでー!」「がんばれー!」と聞こえる。


う、嬉しい…!!!


私のテンション、ガンガン上がってきた。


今回は優勝したい!と強く思っていたので、攻めまくることに決めていた。

1、2本目ファールだったが、手応えはある。

距離を見たくて3本目は大きく助走距離を下げる。

最後助走に少しミスがあった+板に乗れなかったけど4m27。(板は20cmある)

いける。

4本目、口角が勝手にあがり、アドレナリンはドバドバ。

良いモードに入っていた。


会場に来てくれてる皆さんに楽しんで欲しい。

楽しませたい。ワクワクして欲しい。


そんな思いが溢れて止まらない。


「お願いしまーす!」と手拍子を求める。


そしてジャンプ!!


バゴーーン!!めちゃくちゃいい!!キタ!!


ででもなんと、1cmファール…!!!

く、悔しすぎる!!!

でも4m60〜70はいけている。


このままいくぞ!!


と意気込んだが、5本目は突っ込みすぎて4m36。

6本目はファールに終わった。


く、くやしーーー!!!


でも、私、跳べる。跳べる!


終わったあと、ミックスゾーンで取材を受け、男子の幅を見に行こうとするとスタッフさんに呼び止められた。

「子供記者が今日は来ていて、前川選手に取材したいそうで…!これから来るのでよろしいですか?」と。

子供記者〜!?すごい!!


2人の子供記者さんたちは、

「跳ぶ時義足は痛くないんですか?」「前川選手が跳ぶ時会場が1番盛り上がってて人気なんだなと思った」「陸上をやってて手に入れた1番の宝物はなんですか?」など、たくさん聞いてくれた。

義足を持ってみる?と渡して見ると、おもーい!という2人。

ああ、楽しかったなあ。嬉しかった。


そして男子の幅を見に行って、観客席にいた子供たちと遊びながら観戦。

私のコーチでもある篤さんの跳躍を見てて、ああやっぱりこの人は本当にすごい。と思った。

自分のことを本当に理解しているのがわかる。

どんな身体の状態の時にどうしたら良いパフォーマンスが出せるのか、どう動かせばどう動くのか。

それをわかってやっているのが見てる私にもわかる。

すごい。

そしてここぞ、というときに、しっかりと合わせて記録を出せる。

すごい。

もう何もかもすごい。

一生の憧れだと思った。

私ももっと、自分を理解したい。自分を知りたい。

出すべき時に出せるようになりたい。

心が燃えた。


そして夜に仕事があったので、それまでの間ホテルでゆっくりしていた。

そして昨日今日の出来事を振り返り、ぽーっと考えていた。


応援たくさんしていただけて、本当に嬉しかったなあ、、、楽しそうなのを見てて楽しかったって言ってくれてたなあ、、、


ネット上で応援してるよ!と言っていただけることはたくさんあって、それももちろん本当に嬉しい。


でも、直接、言葉で、熱量で感じるとこんなにも、こんなにも嬉しくて楽しくてワクワクするんだと。

感謝しても仕切れない。


悔しいときに一緒に悔しがってくれる、

嬉しいときに一緒に喜んでくれる、

本気で頑張っているときに一緒に本気になってくれる、

楽しい時に一緒に楽しんでくれる


そんな人がいることは、こんなにも幸せなのか。。

と改めて気づいた。


チームのみんな、コーチ、大切な人はいつもそばでそうしてくれていた。

それによって、心が救われていた。


でも、その大切な人たちが増えること。


嬉しい。


本当にありがとうございます。


もっともっと、私を見てくれている人に楽しんで欲しい。わくわくしてもらいたい。


そのためには、私自身の実力をもっともっと、身につけていきたい。


ひとつひとつ、積み上げて、確実に。


頑張る。


最高の舞台で最高のパフォーマンスができる人間に。


来週から今年もイタリアへ。

成長して帰ってきます。


私は日々、目標、夢と過ごしている。

毎日の練習で自分の課題、できていないこと、これができれば結果に繋がるだろう!ということをトレーニングし続ける。

それを試合で試して、またそこで課題を見つける。

その繰り返しだ。

自分の課題に向き合い続けていくことが自分の夢に繋がっていく。


だが、「できるようになったこと」「自分の強み」は、自分の中でどうしても当たり前になっていく。

わざわざそれらを考える時間が、課題を見つめる時間と比べると明らかに少ないなあと、ふと今日思ったのだ。


自分の課題を改善しようとすること、それに向かって何百何千何万もの作戦を立てて実行していくこと。それは大切だ。

しかし、そこでできるようになったことをこんなにもおろそかにしていてもいいのか?と。

数年前の動画を見て現在の動画を見る。数ヶ月前の動画を見て現在の動画を見る。

その時の課題を確認する。

…今は当たり前にできるようになっているではないか。

もちろんできてない部分もまだあるけれど、あれだけ「できないかもしれない」と思っていたことが今では当たり前にできていることもある。

できることが当たり前になっているのだ。


それでいいのかもしれない。

でも、できるようになったことをしっかりと自分で把握して、自分で自分をもっと褒めてあげてもいいんじゃないかと。

それがこれからの自分の競技にも、心にもきっと役に立つはずだ。



だから私はもっと自分の小さいできるようになったことも、褒めてあげようと思う。


すごいよ!!!前までできへんだのにできるようになっとる!!!!考えられるようになっとる。

いいね!!!素晴らしい!!!!


だからきっと、今の課題もいっぱい考えて考えて考えて。自分だけの方法が見つかるはず。


強くなりたい。

私のブログを読んでくださっている人なら分かると思うのだが、私が悩んで考えてることはいつも似ている。何度も同じようなことにぶつかり、同じようなことで悩む。

先日恩師に悩みを相談していたのだが、最後に「いつも同じようなことばかり話してすいません」と言った。

すると恩師から「同じところを回っているように感じても、大抵の場合は螺旋階段を上がるように1周回ったら1階上に上がっていることが多い。それでええんやと思うよ。」という言葉が返ってきた。 


涙が出た。

自分自身を変えることは難しい。だからこそ、問題の受け止め方や、解決方法を模索し、何十何百もの作戦を立てて、自分が前を向いて自然に生きられる道を探している。


それは同じ場所をぐるぐると回ってるわけではなかったのだ…私はちゃんと、少しずつ、上に登っていたと思ってもいいのだと。


嬉しかった。



今、鹿児島に冬季最後の合宿に来ている。


昨日の夜、合宿に来ているメンバーとたくさんいろんな話をした。いつも一緒に練習しているメンバーはほぼ毎日会うけど、しっかり話すことは多くはない。それに加え今回の合宿は、普段は別の場所で練習している選手がたくさん参加している。その選手たちと話をすることはもっと少ない機会なのだ。

ひとりひとりの話を聞いて、自分自身の話もして。

それに対しての意見ももらって。

すごく刺激があったし面白かった。いい夜だった。



そしてトレーニング漬けの毎日の中、今日は貴重なオフ日だった。

私は1人で温泉に行くことにした。
朝はゆっくり起きて、絵を描いて、お昼を簡単に済ませて温泉へ向かった。
「鹿児島 温泉」で検索し、良さそう!!と思った場所だ。
中のお風呂は数名お客さんがいたが、露天風呂は貸切だった。最高ォ!!!
私は友達と温泉に行くのが大好きだ。その友達といろんな話ができるから。
でもその時間や、昨日のような、話を聞く機会をインプットとすると、1人で温泉に浸かる時間はインプットしたものを整理する時間になる。そして整理してから、このように文章や何かしらでアウトプットを行う。それが競技に繋がり、人生に繋がる。私はそう感じている。
みんなの話を思い出しながら、温泉でいろいろ考えていた。

温泉はあったかいけど外気は冷たい。周りは緑に囲まれている。なんてリラックスできる空間なんだろうか。永遠に入っていられる気がしてくる。

家で考え事をしていると、交感神経が働きまくり、脳が「ウオオオオ!!!!」となって眠れなくなることもある。

だが露天風呂で考え事をすると、副交感神経が働きながら、自分の奥底の気持ちをリラックスしながら考える事ができる、というか。

そんな貴重な時間になっている気がする。脳が柔らかい。

今日は気づいたら1時間半経っていた。

心も身体も整理されて整頓できたように思う。

答えが出せたわけじゃないけれど、自分の本当の気持ちを見つけて頭の中で言葉にすることができた。

それが私にとってはとても大切なのだ。


本音を話せる場所、弱音を吐ける場所、自分が自分でいていい場所。

そんな場所があるから、表に立った時、なりたい自分でい続けることができるのかもしれない。



うん。

昔とは違う私になってきている。

そんな気がする。


私は何事も考えすぎてしまうし、何かを作るときも自分が納得するまで全力を尽くしてやってしまう。

好きなこともやり始めると止まらなくなって、魂を込めまくって疲れてしまう事もある。その時間は最高に楽しくていいんだが、それが続きすぎるとドカン!と疲労がやってくる。心身ともに。だ。

「ほどほどにやる」ということが難しい。
気づかぬうちに、精神のパワーを使い果たしてしまっている。

最初は考えすぎる自分が嫌だ!変えたい!と、考えすぎないような努力もしてみた。
しかし考えすぎない!と思えば思うほど、考えてしまう。
それに振り回されて、生活にも仕事にも影響を出してしまう事もあった。

しかし、そんな自分の人生を24年間生きてきて、だんだんと「考えすぎることをやめることは無理だわ。」と気づいたのだ。
それが私なのだ。
人と会って別れた後は「なんであんなふうに言ってしまったんだろう」「相手の人はつまらなかったかもしれない」「嫌な思いをさせていたらどうしよう」と1人反省会が止まらないし、些細なことで落ち込みやすいし、だから人との関わりに対して臆病になってしまうし。距離をとってしまうこともある。
どうして私はみんなができることができないんだろう、どうして私はこんなにもダメなんだろう、どうして…とまた落ち込み、泣いてしまう。

でも、一般的には些細なことでも、私にとっては些細ではないということにも気づいた。
人と自分は違う。ひとりひとりみんな違う。

私は私なのだ。
だから私は私と生きるしかないのだ。


私には考えすぎないことはできない。
好きなことに対しての熱意やとことん力を使い果たすまでやってしまうこともやめれない。

だから、考えすぎることをやめるのではなくて、
考えすぎて心がパンクしそうになる前に何かアクションを起こして、自分を救ってあげることが大切なのだと。

昔の自分はパンクしてから「ああパンクしちゃった」と気づく。
そこから破れたところを修理して、幸せなエネルギーを入れていくのは、かなりの時間がかかってしまう。

だが、今は落ち込み切ってパンクする前に、誰かに話したり、一度休憩したり、離れてみたり、心を幸せに満たす行動をとってみたり。
落ち込むことは変えられないけれど、爆発する前に気づいてパンクを阻止することができるようになってきた。ように思う。
負の空気が自然にすーっと抜けていくように、深呼吸をして。
落ち着いたらまた幸せなエネルギーを少しずつ入れて。
その繰り返しだ。

こんな自分は嫌だ!ともがき続けてきた人生だったけど、そろそろこんな自分を向い入れて一緒に歩んでいくことを始めているのかもしれない。

これからも長く付き合っていく私だからね。
よろしくね。いつも頑張ってくれてありがとう。

ふと最近考えることが多い。

私は「アスリート前川楓」のプロデューサーなんだと。

アスリート前川楓ももちろん自分なんだけど、心の奥底にいる私とは違う人間でもあるのだ。

自分を自分でプロデュースしている、、、ような感覚がある。


若い頃(陸上を始めたばかりの頃)は、一般的なアスリートのイメージと自分のギャップにものすごく苦しんでいた。が、その苦しみが成長に変わり、心の炎が燃えていたように感じる。

なんとかイメージに自分が近づかなければならない、アスリートにならなければならない。と。

必死にもがいていた。


しかし私も歳を重ね、経験を重ねてきた。

一般的なアスリートだけがアスリートではないのでは?、ひとりひとりの人生があるのでは?という考えが生まれた。


しかし今でもギャップに苦しむことはもちろんあるのだ。とてつもない不安に襲われることがあるのだ。


自分にとっての幸せってなんなんだろう、

どうしたいのだろうといろんなことを考えてしまう。


そんな夜。

不安を恩師に相談したら、「自分をアスリート前川楓というプロジェクトをやっている人だと思えばいいよ」と返信がきた。


なんだか心が少し、軽くなった。

面白い。


本当の私が「アスリート前川楓」をプロデュースして、目標を一緒に見直してはっきりさせたり、弱音もしっかり聞いて冷静に改善方法を考えたり、ストレスが溜まりすぎないようにやりたいことをやるタイミングを見つけてスケジュールを組んだり。


今悩んでいることも、アスリート前川楓にとって大きな壁でアスリート前川楓は焦っているのかもしれないけど、プロデューサーである私は冷静に落ち着いて寄り添っていくことが大切なんだと思う。


うん。


なんだかもっと楽になってきた。


アスリート前川楓、私も頑張るから一緒に頑張っていこうね。

あなたが幸せに生きることを私は願っているよ。


すごく面白いと思ったし、このことを忘れたくないと思ったので、近いうちに絵にしたいと思う。