【極上の相場格言】― カネがなくても知恵がある!―

《お知らせ》鬼才・岡部寛之の痛快投資本が復刊されました!

素人投資家を出し抜く「大儲け」の極意《詳しくはコチラから》


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…相場格言…「市場は操りで動くというのは、もの知らぬ素人なり」(ウォール街の格言)

…相場格言…

「市場は操りで動くというのは、もの知らぬ素人なり」((ウォール街の格言)


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◆むかしの投資本には株式投資の目的として堂々と“会社を乗っ取るため”と記載してあるものが少なくない。

←はその一冊で、普通株の売買の目的として①金を殖やすため②金を儲けるため、そして③金持ちが稀にやる行動として会社を乗っ取るとある。それでも道楽ならいざ知らず、そのほとんどは金儲けにつながることは稀であると記している。◆これを遡ること数百年まえ「相場の高下は人の売買といえど、人力のおよぶところにあらず。天然自然の道理なり。大富なる人、金銀の力を持ってして買〆売り出す時、人気は日本国中より集まりて高下する」と記したのは江戸期に“金儲けの掟”を記した『商家秘録』。◆表題の格言は古典的なウォール街の格言のひとつで、その原文は「市場は事情によりて動かず、操り(マニピュレーション)によってのみ動くというは、これもの知らぬ素人の格言なり」。投機時代の格言なので今日ではすっかり廃れてしまったがマニピュレーションとは市場操作のこと。当時の評訳を要約すると。。。投資家のなかには、誰それが売った買ったを根拠に売買を試みる者もいるが、これは愚の骨頂である。そもそも相場は一時的に鉄腕で動かすことができても、市場の力は更に偉大であり、神の如き存在なのだ。いかなる富豪の力をもってしても相場を勝手に動かすことはできないし、相場操縦は大勢に対する反逆行為なのだ。鉄腕相場を試みれば奢れる者の咎めとして、やがて彼らは相場に裁かれることになるだろう。

…相場格言…「人の行く裏に道あり花の山、いずれを行くも散らぬ間に行け」(千利休)

…相場格言…

「人の行く裏に道あり花の山、いずれを行くも散らぬ間に行け」(千利休)
 

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だれもが一度は聞いたことがある格言といえばこの格言。

上の句「人の行く裏に道あり花の山」で逆張りして、下の句「いずれを行くも散らぬ間に行け」で素早い撤収を薦めます。売買術でいえば大転換を見切る技、さらに踏み込むと人の道、欲の道になる奥の深い一句。

俗説ではこの格言は千利休の作といわれますが、だとすればこの格言を後世に伝えたのは、利休と親交のあった博多商人・島井宗室もしくは堺商人の今井宗久あたりか。素直に米相場と結びつけるなら淀屋常安なのですが、いかんせ天正年間の米相場は諸説があってよくわかりません。


後世「一統騒ぎ立つ節は、人びと西に走らば我東に向かう時は極めて利運なり。人の戻るころ遅ればせに西に向こうては何時も利を得ることなし。」と記したのは本間宗久。この時代になると、利休の侘び寂び(ワビサビ)が消え、勇気(勇の商い)が強調されるようになります。

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◆「あなたが切り開き、手を加えそして歩く道は、通る人の少ない道である。」(ジョン・A・ボリンジャー)
◆「野も山も皆一面に弱気なら、阿呆になりて米を買うべし」(三猿金泉秘録)◆「十人が十人片寄るときは決してその裏くるものなり」(本間宗久)

…相場格言…「幽霊と相場は淋しいほうに出る」(近藤信男)

…相場格言…

「幽霊と相場は淋しいほうに出る」(近藤信男)


kabutoto00567 人気がないところに出現する相場を幽霊にたとえています。材料は幽霊とおなじで正体が見えないから投資家の興味をそそります。わけもなく暴騰した銘柄の高値が消えてしまうのは幽霊とおなじでまともな評価に弱いから。近藤氏は徹底した秘密主義で知られた相場師で、いわばお化け屋敷の管理人のような人。売り抜けの名手で独自の情報収集ルートを構築し、つねに他の幽霊たちの動向を把握していたといわれます。消え入りそうな提灯に浮かぶは、餌食となった亡者の哀痛と怨念。提灯はやがて燃え尽き悋気の火の玉となり燻りつづける。

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…相場格言…「筋の耳うち信用するな」(ウォール街の格言)

…相場格言…

「筋の耳うち信用するな」(ウォール街の格言)


谷孫六の『神算鬼謀録』に「油断ならぬ兜町のポン引き」という一節があります。むかし兜町の入り口には“ポン引き注意”の高札が立っていたそうで、ポン引きについて行き身ぐるみ剥がされる人が後を絶たなかったそうです。なにしろ取引所を中心として悪い取引員の客引きは、鵜の目鷹の目で網を張っている。kabutonnIM000045 この類のポン引きは日本橋交差点付近のみならず、鎧橋にも茅場町にも、また取引所付近のミルクホールや天婦羅屋にも巣くっている。 にがみ走った洋服の紳士や角帯の男などが馴れ馴れしく話しかけ結局は証拠金を残らず巻きあげる。これはもちろん、主人も客引きもおなじ穴の狢で、すべて初手から仕組んだ芝居なのだ」

「このごろ株式の売り買いにつき「ポン引き」という者が株式取引員を装い、田舎から出てきた人や株式について無知な人を見つけると、さもウマイ儲けが出来るかのように話しかけ、欺して金をとることが多いですからご注意ください。こんな者に出会ったらすぐに届け出てください。」(日本橋新場橋警察署・高札)⇒



…相場格言…「相場に淫することなかれ」(相場格言)

…相場格言…

「相場に淫することなかれ」(相場格言)


相場中毒は、上がって有頂天、下がって焦る感覚が麻痺したあたりが初期症状。相場と戯れているこの段階は“小利大損”ですみますが、これが末期になると、負けるほど益々熱中するのでご用心。博徒の「負け博打のしこり打ち」は結局は元も子も失うまで行かねば納まらぬ。愛すれど淫せずが相場の鉄則。

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「始は人酒を飲み、次に酒酒を飲む、終いに酒人を飲む」

酒の味を覚えてもはじめのうちは人酒を飲むで心配ないが、そのうちに酒(酔い)が酒を飲むようになり、終いに酒が人を飲むようになってしまう。主客転倒、酔ってないと思うあたりがもっともあぶない。

…相場格言…「意地を張らずに相場を張れ」(相場格言)

…相場格言…

「意地を張らずに相場を張れ」(相場格言)


意地はもともと仏教用語で「心の持ちよう」という意味があります。ずいぶん意地悪な相場だなと感じるのは、自分が大勢に逆らっていたり、周囲を意識して反対の売買をしていることがほとんど。意地商い破滅のもと。意地商いは気性の“ひとり相撲”なので虚しい結果に終わります。張ってはいけないと知りつつ張っているのが、意地張り・見栄張り・欲張り。いずれも心のありかたによるものです。

【お知らせ】『素人投資家を出し抜く「大儲け」の極意』(岡部寛之)

【お知らせ】徳間書店さんから、鬼才・岡部寛之の投資本が復刊されました。本書は数ある岡部本のなかで初期の代表作とされる『株・大儲け定石集』(1973)と『岡部寛之の丸儲け自伝』(1972)を再編したもの。自分に忠実に生きるため孤高に徹し、弟子は無論のこと、妻子さえもたず、住所不定だった天下御免のカリスマ相場師の痛快相場指南。よろしかったらご覧ください。

岡部 寛之
素人投資家を出し抜く「大儲け」の極意

第一部 株・大儲けの定石◆正しい投資の定石とコツ◆定石はなぜ知られないか◆定石を知る強みはここにある◆投資に他力本願は通用しない◆自己流では相場に勝てない◆こんな人は投資に向かない◆"投資の常識"にまどわされるな◆投資家にはランクがある◆投資術はバランスよく会得せよ◆投資指南書は厳選せよ◆投資雑誌にとびつくな◆株式評論を信じてはいけない◆株と博打を混同するな◆一流株投資はナンセンスである◆塩漬けなどと安易に口にするな◆景気変動論では相場を理解できない◆企業分析にこだわるな◆チャートは利用価値がない◆好き嫌いで銘柄を選ぶな◆相場の位置をどう判断するか◆相場はつねに六カ月先を読む◆なぜ、仕込みがむずかしいのか◆誰でもできることが問題なのだ◆安易な難平で墓穴を掘るな◆安定投資よりも変化投資◆変化こそが儲けのチャンス◆死火山銘柄はこう処置する◆決断なき持続はやめよ◆損切りも技術のうち◆相場に全力投球するな◆一株残らずたたき売れ◆利食いこそ投資の本質◆こってりした利食いの味◆利食いの段階上達法◆ここが肝心!玄人投資の秘訣◆株で大きく儲けるコツ◆大底で仕込んで天井で売る◆儲かる銘柄はこうして選べ◆乱戦で儲ける銘柄乗替え術◆わたしは信用取引をすすめない◆信用取引に確率はなし◆これが出来れば株のプロ◆億万長者への道

第二部 株・丸儲け自伝◆わたしの華麗なる定年退職◆文学にサヨナラ、投資よコンニチハ◆左手にマルクス、右手に株式◆座禅と株式投資◆株の初体験は18歳◆ついに見つけた株価形成の公式◆わたしは誰にも頼らない◆桃源境で相場開眼◆ビールを飲んで命拾い◆悲劇を転じて幸福になる◆盗まれて、逆に儲ける◆土地投機で七千倍の利益◆住友炭鉱株で荒稼ぎ◆青空市場でごっそり稼ぐ◆カラ売りでみごと成功!◆相場師との他流試合◆大暴落を無傷で売り抜ける◆大相場にすべてを賭ける◆投資ローテーションを練る◆出遅れないための心得◆波乱相場はカラ売りせず◆最後の大相場を楽しむ法◆雑誌「金もうけ」のこと◆事業をやるのはバカである◆岡部流、酒飲みの極意◆株で儲けて優雅に遊ぶ◆わたしは天涯孤独だ◆あとがきグッドバイ・ニッポン
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◆巷間、あやまった利殖常識が、大手をふってまかり通っている。さしづめ、利回り投資、長期投資、資産株などといった考え方は、その最たるものである。こんな大まちがいの利殖常識を信じていては、大衆投資家はいつまでたっても損をするばかりだ。その一方で、証券会社、セールスマン、機関投資家が大儲けすることになる。相場の世界でクロウトといわれる人たちは、いずれも長年の経験から投資の定石、コツといったものを体得している。だが、こういう定石、コツはこれまで、その個人に秘蔵されて、一般に公表されたことはなかった。彼らは書くことが苦手であるし、なによりも自分が築いた秘法を明らかにすることは、自分の儲けが少なくなるからだ。だから、一般の投資家が手にできる投資指南書といえば、あやまった常識を書きつらねたものか、入門の入門書といったものしかなかった。これらの書物は、経済学者や利殖評論家といわれる人たちが書いたものだが、彼らが実際の相場で大儲けしたという話は、ついぞ耳にしない。実戦のうらづけのない理論をいくら学んでも、投資に役立つはずがないのだ。

kabutoIM000038 相場は確率である。しかも、たしかな理論をふまえた確率である。無限とまではいかないにしても、九九パーセントの確率にまで高めることも可能なのだ。ところが、投資家の多くはバクチだとは思っていないにしても、その投資態度は丁半バクチをしているのと変わらない者がいる。たった一つ、二つの材料だけで、すぐに仕込んでしまう。運がよかったから儲かった、運が悪くて儲けにならなかったということは、株式投資ではありえない。入学試験にも運があるという意味の運ならば、株式投資にもあるだろう。だが、ズブのシロウトが、大相場で運よく五倍、一〇倍にまわせることはない。もしそれだけ儲けた人なら、立派にクロウトの域に達している。また、上級投資家、クロウトともなれば、ほぼ絶対に損をすることはない。たとえ相場の観測を一時的にあやまることがあっても、わずかの損で見切ってしのぎ、そして次の相場にのって大きく儲けるのである。利殖評論家などのなかには、ときどき大きくまちがったという人がいるが、これは単なる評論家であって株のクロウトではない。評論だけやっていればよいのに、あやしげな理論にもとづいて自分で実際に売買し投資をしようなどという気を起こすから失敗する。

kabutoIM000041 ◆「安値で仕込んで高値で利食いする」、これが相場の原則である。どれだけ利がのっても、利食いして現金を握らないうちは、ただ単に評価上の数字が大きくなっただけであって、儲けたとはいえない。最初から利回り投資、長期投資をするために株を買うのであれば、論外だ。これでは先天性利殖意識欠乏症であって、どうにも救いがたい。利食いして儲けるのが投資の目的であり、株式に投資するだけでは投資とはいえない。長期投資、利回り投資などは、投資のための投資になっていて、これではせっかくの儲けも確保できないことになる。
売買、利食いこそが投資の本質である。どのような銘柄だろうと、高値は利食いすべきである。電力・ガス・電鉄株などでもやはり同じである。だいたい、こういう銘柄を仕込むこと自体、多かれ少なかれ利回り投資、長期投資という考え方に影響されているので問題であるが、それでも高値で利食いするのならば救いがある。だが、なかには、ただ優待券ほしさだけでこういう株を長期持続する人がいるが、資金効率、その他あらゆる点から考えても、これはもう投資とはいえない。利回り投資、資産株の長期投資しか念頭にない人、これははじめから投資家失格である。こういう人は投資家として落第である。自分がどんなヘマをやっているかに気づかない、欲ボケ“恍惚人間”である。


◆相場観測術、銘柄選択術、売買術は相関連している。目先売買は、売買術の一部ではありその本道とはいえない。むしろそれは、上級投資家にしてはじめて許されることであって、初級投資家の域を脱しないものがいきなり上級投資家のまねをすれば失敗することは目にみえている。相場観測術、銘柄選択術、売買術の関連をよく理解して、並行して勉強することがのぞましい。


◆一流株という考え方は、長期投資の幻想にしばれたものといえよう。株式投資は、できるだけ大きな売買益をなるべく短期間に上げるのが目的である。一流株であろうと二流株であろうといっさい関係なく、その株式をいつどう売買するかが問題となる。妙味のある株式という場合、一流株か三流株かが議論の対象となるのではなく、その株価がなお安値にあって今後上がる余地があるかどうかを検討することが大事なのだ。


◆塩漬け投資は、投資としては最低のものである。損切りをすれば損が現実化する。切らないかぎりは損でない、単なる評価損にすぎない、とでも考えているとすれば観念論もいいところで、自己欺瞞にすぎない。筆者は塩漬け投資を称して絶望的投資と呼んでいるが、そこではもはや投資の考え方そのものが完全に消失しており、ただ目前の不幸だけは直視したくないという、それだけの行為にしかすぎない。


◆株式とバクチとを混同している人がおおい。だが、両者は根本的に異なるものだ。バクチは、当たれば何倍かの割り戻しをうけるが当たらなければゼロである。基本的に賭け事であって、そこになんらの資本主義的な要素もない。これに対し株式は、資本主義、なかんずく証券資本主義の中核をなすものである。丁半の確率は、どこまでいっても五〇パーセントである。だが、相場は、資本主義経済、証券資本主義などの要素から成り立つものであるから、研究するほどの確率を高めることができる。相場は確率である。しかも、たしかな理論をふまえた確率である。


◆筆者は、信用取引はなるべくやらないようアドバイスしている。一〇〇万円の資金しかない人は、考え方その他もやはり一〇〇万円相当しかない。信用取引でこれを三〇〇万円にまわすと、そこにはおのずから無理がいく。三〇〇万の現ナマを持って売買する場合と、信用取引で売買する場合とでは、その投資・売買態度がまず異なってくる。これが同じようにやれるのであればその人は信用取引をやってもよいが、それはまず不可能に近い。無理をした結果は、とかく儲けは小さく、損は大きくなるものだ。


◆銘柄を火山にたとえてみると、活火山、休火山、死火山に区別できる。活火山とは、現在上げている銘柄であり、活躍中の銘柄である。これに対し休火山とは、すでに一活躍を終えて、目下は体力を養うべく静養中の銘柄である。株価パターンでいえば高値形成後の整理をへて、今後安値になっていく。その間、休火山として鳴りを静めるが、一とおり整理がすめばやがて再び活火山となる銘柄である。だから、こういう銘柄については原則が適用できる。死火山は人気がまったく離散してどうにも動けないだんだん安値を切り下げていく銘柄である。


◆せっかく安値で仕込んでおきながら、少し上がるとすぐ利食いする投資家がいるが、これはもったいない。「利食い千人力」というが、こういうのは“つまみ食い”にすぎず、コッテリした利食いの味を知らない人である。仕込むうえは勝負をし、ある程度の危険は覚悟しているはずである。わずかな利食いで甘んじていたのでは、リスク料にもならないではないか。目の前に出されたまんじゅうを三分の一も食べきれないほどの小心では、相場で成功するのはおぼつかない。性格だからとかたづけてしまわないで、理論にもとづいて確率をたしかめ、自信をもって利食いするようにしたいものだ。

(※イラスト・テキストは当時の岡部本の抜粋。今回の復刻版とは異なります)

…相場格言…「もうはまだなり、まだはもうなり」(八木虎之巻・本間宗久)

…相場格言…

「もうはまだなり、まだはもうなり」(八木虎之巻・本間宗久)


kabutoIM000001 「もうはまだなり、まだはもうなりということあり。この心は、たとへばもう底にて上がるべきとすすみ候時、まだなりと云う心をいま一度ひかへ見るべし。まだ底ならず下がるべきと思う時、もうの心を考ふべし。必ずまだの心ある時より上がるものなり。この時たとえば千俵買い申すべきを、ニ三百回申すべき様に心得るべきなり。もうの心も同前なり。よくよく考えるべし」(八木虎之巻)

古来、相場の研究は値動きのメカニズムを解明することにありますが、これまでだれも明解な答えを出 していないのですから、いかにこの課題が難しいかがわかります。そこでこの格言。売買をするときはこの「もう」と「まだ」で相場に問いかける作業が重要です。もう限界と利食いして利を薄くしたり、まだ傷は浅いと放置して損をする。これらを避けるためには、建玉に囚われることなく、“もう”出動するべきであると考えたときは “まだ”の心でいまいちど止まり。“まだ”出動するには早いと考えたときは“もう”その時ではないかと検討する。すべての物事に裏と表があるように、相場も売りと買いの二面があります。ですから売買をする時はその両面から考察すること。相場とはこの“もう”と“まだ”の矛盾に調和を求める作業になります。

もうはまだなり、まだはもうなりは「もうはまだなり…」が記載されている『八木虎之巻』(下)と『八木豹之巻』(上)。ちなみに、著者“猛虎軒”とは“モウ、コケン”の略。◆「もうはまだなり、まだはもうなりといふことあり。ただし数日最早時分と思ひかかるに見計り悪しければ間違いに成るなり、まだまだと見合はせ居るうちに遅るることあり」(本間宗久翁秘録) 

…相場格言…「投資と投機とギャンブルと」(ルドルフ・ヒルファディング)

…相場格言…
「投資と投機とギャンブルと」(ルドルフ・ヒルファディング)

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まっ、相場なんてこんなもんだ。

ヒルファディングは19世紀初頭に活躍した経済学者。彼はその代表作『金融資本論』のなかで「確かに投機は極めて非生産であり、賭博の性質を含んでいる。しかし、投機は取引所の機能を遂行するために不可欠な存在なのだ」と記している。
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「カネ儲けに限らず人生はすべて賭けだと思う。知力をふりしぼってこれだと決めた方向に勇気をもって自分のすべてを投入する。ところが日本人は本当の賭けを恐れ、すべてに無事息災を願う。よく安全で有利な投資ということばを耳にするがこれはおかしい。自分が安全なままでカネ儲けができると思いこんでいる。自分が持っているものをなにも賭けないで何かを得られると思っている。かといって丁半賭博では困るのだ。その意味で平和な資本主義社会で賭けの真髄を味わえ、知力が発揮できる株式相場は理想的だ」(会田雄次)

…相場格言…「知ったら仕舞い」(田附政次郎)

…相場格言…

「知ったら仕舞い」(田附政次郎)

kabutoIM000019 材料は人々の想像力が働くうちが花であり、それが確認されれば瞬時にしてその効力を失う。材料を出し切ったときが材料出尽くし。投資家の思惑が働かなくなった銘柄は失速するか、人気に受け継がれ新たな展開をみせることになる。材料の積み重ねにより形成された相場は世間にパッと広まった時点で反転することもおおい。こうした時は素早く手仕舞うべきである。


kabuto00045621 この名言を残した田附政次郎は「売るべし・買うべし・休 むべし」「逆ザヤ売るべからず」「余り物に値なし」など、数々の名言を残した相場界の重鎮。臨機応変な仕事人タイプの相場師で、愛嬌のある顔立ちからタヌキ将軍の愛称で親しまれた。うむ、しかしこの写真、タヌキというよりアザラシ

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