竹島問題について | 日本への提言

竹島問題について

竹島及び竹島に関連の高い鬱陵島、両島の歴史


1438年 李氏朝鮮は税金逃れ防止と倭寇の襲来を恐れ、鬱陵島に対する渡航禁止令を出した。

1530年 韓国で発行された八道総図という地図に鬱陵島と韓国との間に于山島が記載されている。

1618年 米子の海運業者大谷甚吉が江戸幕府の渡航許可をもらって竹島経由で鬱陵島での漁をした。

1656年 江戸幕府は同業者に対して、竹島に対しても渡航許可を出した。

1667年 出雲藩士が隠州視聴合記に、位置から見ても松島(竹島)と竹島(鬱陵島)は高麗領だと書いている。

1694年 鬱陵島で両国漁民の衝突があった時、李氏朝鮮は徳川幕府に鬱陵島から手を引くように伝えた。

1849年 仏船リアンクール号が竹島を発見し、リアンクール列岩と名付けた。

1881年 朝鮮政府は鬱陵島で伐木していた日本人を立ち退かせるよう日本政府に要求した。

       朝鮮政府は鬱陵島に対する渡航禁止令を解除した。

1883年 日本政府は鬱陵島に渡航禁止令を出すと共に、在留していた日本人を強制退去させた。

1894年 朝鮮国内の農民反乱鎮圧名目に、日本と清が出兵し、日清戦争が始まる。

1895年 日本は日清戦争の勝利により、清朝最後の冊封国朝鮮を独立国として認めさせた。

1900年 大韓帝国勅令で鬱陵島を江原道の郡に昇格、同時に石島(韓国では独島と解釈)も韓国領とした。

1903年 5月に隠岐の島の漁師中井養三郎が竹島でアザラシ漁を始める。

1904年 2月に日露戦争開戦

       山口県の岩崎という人物が鬱陵島の朝鮮人を雇って竹島でアザラシ漁を始める。

       9月に中井養三郎が竹島で独占的にアザラシ漁をしたいと、政府に許可を求める。

1905年 1月28日、中井養三郎の申請に答えて政府は竹島と命名し、日本の領土とし、島根県に編入する。

       (韓国は日露戦争における日本海海戦の要衝として軍部が、島根県に編入したと考えている。)

       2月22日、島根県告示40号により、島根県隠岐島庁の長「隠岐島司」の所管におく事を公示した。

       9月5日、日露戦争終結に伴うポーツマス条約でロシアと講和した。

1906年 3月28日、島根県事務官神西が鬱島郡衛で沈郡守に竹島が日本領土に編入されたと知らせた。

       竹島が通告も無く日本に編入されたのを知った韓国政府は日本に抗議した。

1910年 8月22日、日本は日韓併合条約により、朝鮮半島を併合した。

1945年 日本が太平洋戦争で敗戦する。

1946年 GHQが沖縄・小笠原諸島・竹島等に対する日本の行政権停止と周辺海域での操業禁止を指示した。

1948年 8月15日、大韓民国政府が樹立された。

1950年 6月25日、朝鮮戦争が勃発する。

1951年 9月8日、サンフランシスコ条約により、朝鮮の独立承認と以下の領有権放棄に調印した。

       済州島、巨文島及ぴ鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄する。

       同時にGHQによる行政権停止が解除された。

1952年 1月18日、韓国大統領李承晩が、竹島を含む海域に李承晩ライン宣言をし、領有宣言をした。

       1月28日、日本政府が韓国政府に抗議した。

       4月28日、GHQの指令は失効し、サンフランシスコ講和条約が発効した。

1953年 1月以降、日本の漁民に対し、拿捕や発砲で5人殺害、328隻2,800人拿捕した。

       4月20日、韓国の独島義勇守備隊が、竹島に初めて駐屯した。

       6月26日、海上保安庁が竹島に「日本島根県隠岐郡五箇村」の標識を立てる。

       7月12日、韓国の独島義勇守備隊が、海上保安庁巡視船に発砲する。

       7月27日、朝鮮戦争が終結した。

1954年 8月にアメリカ大統領特命大使が国際司法裁判所で解決するのが望ましいと韓国に提案した。

       9月に国際司法裁判所提訴についての口上書を韓国政府に送った。

1956年 12月25日、鬱陵警察署警官8名が島に常駐した。

      12月20日、独島義勇守備隊が解散した。

1962年 金鐘泌中央情報部長が、大平外相に対して第三国の調停を提案したが、日本側はこれ断ったという。

1965年 5月17日、ラスク米国務長官は朴元大統領に独島問題の解決に向けて、韓日両国が灯台を設置し、

       共同所有する方策を提案したが、朴元大統領はこれを拒否し、いっそ爆破したいと言ったらしい。

       6月22日、 日韓基本条約を調印発効し、李承晩ラインは廃止された。      

       竹島問題は一旦棚上げし、両国が話し合い、不成立の場合は第三者に裁定を委ねる事で合意した。

       解決せざるをもって解決したとみなすという玉虫色の先送りをする事で合意した。

       その上で相互に領有権を主張し、竹島は現状維持するという約束をした。

1977年 2月5日、福田赳夫首相が「竹島は一点も疑う余地のない日本固有の領土」と発言した。 

1980年 橋本首相と金詠三大統領の時代に韓国が、竹島を現状維持する約束を破り、護岸工事をする。

1999年 日韓漁業新協定で、竹島の領有権を両国が主張した為、竹島を無いものとして中間線を引いた。

       この時、EEZ基点を韓国が鬱陵島、日本が竹島とそれぞれ主張したが、協定には反映されなかった。

1997年 韓国が500トン級船舶が利用できる接岸施設設置した為、日本政府は抗議をした。

2005年 2月22日、竹島が島根県に編入されて100年になるのを記念して、竹島の日を制定した。

2008年 7月14日、文部科学省は竹島の領土問題を学習指導要領解説書に明記する事を発表した。


参考資料1:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/

参考資料2:http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/

参考資料3:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B3%B6_(%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C )

参考資料4:http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/




島の配置


       140km                    92km         157km            70km

韓国 ----------- 鬱陵島・竹嶼・観音島 -------- 竹島 ------------ 隠岐の島 ------- 日本

                                    (ドクト)



竹島の面積:187㎡(西島:89㎡、東島:73㎡)

鬱陵島属島の面積:(竹嶼:208㎡、観音島:71㎡、他小島4島と岩礁多数)



※日本は江戸時代に鬱陵島を竹島とか磯竹島と呼び、竹島を松島と呼んでいた。

※1849年以降は竹島をリアンコールト岩・りゃんこ島・ヤンコ島・ランコ島などと呼んでいた。

※韓国は李氏朝鮮時代は地方により、毒島・ドックソム・ドルソム・于山島などと呼んでいた。

※1849年以降は竹島をリヤングゴド・リャングゴ島などと呼んでいた。
竹嶼や観音島が、韓国の言う于山島や石島である可能性が高く、従って韓国に竹島に関する古文書は今の所無いと言える。



竹島に対する両国の認識と経緯


1656年に日本の海運業者が渡航している事から幕府はこの頃には松島の存在を知っている。

1694年に李氏朝鮮が徳川幕府に鬱陵島から手を引くように伝えた事から鬱陵島は朝鮮領土の意識がある。

この頃は鬱陵島は朝鮮領土だが、松島はどこの国にも属さず、朝鮮は呼び名が色々あり、曖昧な存在である。

1849年にフランスの船がリアンクール列岩と名前をつけたら、隠岐の漁民もランコ島と呼ぶほど存在が薄い。

同じく、李氏朝鮮もリャングゴドとか、リャングゴ島と呼び始めるほど、存在は薄かったのである。

1905年に日本政府は竹島と命名し、日本の領土として島根県に編入した事で領有権が確定した。

1906年に大韓民国は日本に抗議した事からこの頃には竹島に対する領土意識があるようだ。

1946年にGHQが竹島等に対する日本の行政権停止と周辺海域での操業禁止を指示した事で微妙になる。

1951年のサンフランシスコ条約により、大韓民国の領有権を放棄したが、竹島は明記されていなかった。

1~5次草案には竹島が大韓民国の領土となっていたが、日本の強い要請で竹島の帰属は記載されなかった。

1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発効すると日本の領土になる事を恐れた大韓民国の大統領李承晩が1月18日に李承晩ライン宣言をし、竹島の領有を宣言をした。

10日後の1月28日に日本政府は大韓民国政府に抗議をした。

1954年9月に国際司法裁判所提訴についての口上書を韓国政府に送った。

1965年の佐藤栄作総理時代に日韓基本条約を調印した時に、竹島問題を棚上げし、 解決せざるをもって解決したとみなすという玉虫色の先送りをした事が最大の問題であった。

その上で相互に領有権を主張し、竹島は現状維持するという約束をした。 

1980年の金詠大統領の時代に、竹島を現状維持する約束を破り、護岸工事をするが、橋本元総理はこれに対し、何のアクションも起こさなかった。


こうしてみると、1905年まではどちらの領土ともいえない島だった。

日本が1905年に竹島と命名し、領土にしてから、慌てて韓国が抗議した。

サンフランシスコ条約が発効するともうチャンスはないと思い、発効3ヶ月前に韓国が領有宣言をした。

1965年の日韓基本条約で、韓国が実効支配している竹島問題を先送りした事が日本の立場をより悪くした。

相互に領有権を主張し、竹島は現状維持するという口約束をしたが、韓国は様々な既成事実を積み重ねた。

武装警察官の40人常駐、灯台職員3名、500トン級護岸工事、灯台設置、ヘリポート、気象観測台、送受信塔、竹島の切手を3度発行、一般住民の住居一軒、漁民宿舎、一般観光、戸籍992名などやり放題である。

日本がこれからやるべきことは竹島は日本の固有の領土である事を内外に発信し、教育する事である。

同時に韓国と共同歴史研究として竹島を含む日韓の歴史の見直しや摺り合わせをするべきである。

東アジアの歴史を各国で共同研究し、統一した教科書の指導要領ができる事が当面の目標となろう。


2005年8月26日に韓国政府が公開した日韓国交正常化交渉の詳細を記した外交文書によると、1962年11月に訪日した当時の金鐘泌中央情報部長が、大平正芳外相に対して第三国の調停に委ねる事を提案し、大平も乗り気であったと言うが結局、日本側はこれに応じず韓国側も提案を取り下げたと言う。

韓国が自国の領土と強く主張している竹島問題を第3国に委ねるという話があった事も、それを日本側が応じなかったという話もまるで逆の話で、日本の外交文書を見てみたいし、日本の外務省はこの件に関してどう発表しているのであろうか?




韓国側の言い分


①1667年の隠州視聴合記に、位置から見ても松島(竹島)と竹島(鬱陵島)は高麗領であると書いている。

  どうも韓国側は竹島が韓国の領土である資料を持っていなかったが、日本政府が1960年に送ったこの資料 

  で日本が当時韓国領だと思っていた事を知ったようである。(外務省の失敗の可能性大)

  それまでは韓国は古い資料にある于山島が竹島であると言っていた。

②日本政府が提出した松島(竹島)と竹島(鬱陵島)への渡航許可は鎖国下で外国に行くから出したものだ。

 (この資料も外務省の失敗の可能性大)

 従って両島は韓国領である事を証明するものである。

③竹島が無主地だから、日本領土への編入したと言うが、それなら事前に関係国に通知するはずだ。

  韓国領だと知っているから通知もせず、国際的に告知せず、島根県のみでの告示をした。

④サンフランシスコ平和条約1~5次草案には竹島は韓国領となっていたが、日本側の巻き返しにより、6次案で

  は日本領となったが、再度韓国側の巻き返しもあり、7次案以降は竹島についての記述は無くなった。



竹島問題の解決がなぜ難しいか


古来より、竹島が無人島で、岩ばかりの島であったことから日韓両国とも実質的に無主地扱いをしていた。

つまり、両国とも自国の領地であると明確な主張をしていない事から、名称もころころ変わっているのである。

1849年、フランスの捕鯨船リアンクール号が竹島を発見し、リアンクール列岩と名付け、欧州で紹介した。

すると日本は江戸時代は一貫して松島と呼んでいたが、隠岐の島の地元民でさえ、リャンコールト岩・りゃんこ島・ヤンコ島・ランコ島などと呼ぶようになった。

一方、韓国も李氏朝鮮時代は地方により、毒島・ドックソム・ドルソム・于山島と呼び名が違っていたが、リャングゴド・リャングゴ島と呼ぶようになった。

1900年に大韓帝国勅令で石島を韓国領としたが、韓国ではこれを竹島(韓国名独島)と解釈しているが、日本側は石島は鬱陵島のすぐ横にある于山島の事で、竹島ではないと主張している。

2005年に日本政府は竹島と命名し、日本の領土とし、島根県に編入したが、島根県の官報以外に関係国に告知をしなかった事から編入は無効であると韓国は言っている。

日本の敗戦後、アメリカもサンフランシスコ平和条約草案でどちらの国に帰属させるかで2転3転した挙句、竹島帰属について記載しなかった。

1952年に韓国大統領李承晩が、竹島を含む海域に李承晩ライン宣言をし、領有宣言をしたが、これは国際法上も全く無効である。

1954年にアメリカ大統領特命大使が国際司法裁判所で解決するのが望ましいと韓国に提案したが、韓国は拒否した。

1956年に韓国政府は警察署警官を島に常駐させるようになり、実効支配を開始した。

1962年に韓国が、大平外相に対して第三国(アメリカ)による調停を提案したが、日本側はこれを拒否したと韓国は言っている。

1965年に米国務長官が朴大統領に、韓日両国が灯台を設置し、 共同所有する方策を提案したが、大統領はこれを拒否した。

1965年に竹島問題は一旦棚上げし、両国が話し合い、不成立の場合は第三者に裁定を委ねる事で合意した。
1999年に日韓漁業新協定で、竹島の領有権を両国が主張した為、竹島を無いものとして中間線を引いた。

2008年7月15日、米国議会図書館が竹島関連の図書分類で、これまでの「Tok Island(Korea)=独島=」を「Liancourt Rocks=リアンクール岩礁=」へと変更する案を推進している。

またリアンクール岩礁の上位分類として「韓国の島(Island, Korea)」から「日本海の島(Island, Sea of Japan)」を新しく構成して追加する動きも見られる。


※米議会図書館、「リアンクール岩礁」へ表記変更を推進:http://www.chosunonline.com/article/20080716000026



韓国側の主張覆す古地図発見(2007年2月23日共同通信の記事)


独島(日本名竹島)は韓国領土という韓国の主張を覆す古地図が発見された、と共同通信が報じた。

共同通信は島根県の竹島の日を控え、韓日両国が領有権紛争を繰り広げている独島について、韓国側の主張を覆す韓国の古地図が発見され、専門家らの関心を集めている、と伝えた。

この地図は、韓国で独島問題を研究する米国人ゲーリー・ビーバーズ氏(51)が発見、山陰中央新報社に投稿した。

ビーバーズ氏が提示した地図の中には、日本で初めて紹介される地図もあり、専門家も注目している。

ソウルの某大学で英語教師を務めるビーバーズ氏は、日本政府が竹島を島根県に編入する1905年以前の韓国の文書や地図に独島の表記がないことに関し、韓国側が独島の古名は古文献や古地図に記されている于山島と主張していることに着目した。

この于山島=独島説を覆す証拠として、独島の北西92キロに位置する韓国・鬱陵島を描いたソウル大学奎章閣が所蔵する古地図3枚を提示した。

このうち年代不詳の地図では、鬱陵島の東側に描かれた小島に所謂于山島と記され、その下に海長竹田と書かれている。

海長とは竹の種類を指すとみられ、于山島は竹が生えない不毛の岩の塊である独島ではないと指摘した。

またビーバーズ氏は、1834年に制作された地図に距離を示す目盛りがあることに着目した。

于山島を示す于山が鬱陵島から東に4キロ離れた場所にあることから、距離的にみて独島ではなく、鬱陵島の付属島の竹嶼を示していると主張した。


この事の意味するものは大きい。

最近、中国・国家海洋局がウエブサイトを通じ、蘇岩礁(韓国名離於島、波浪島)は自国の領土だと紹介したのである。

中韓両国は2006年に蘇岩礁は水中暗礁で、島ではない為に、領土紛争の対象にはならないと合意している。

なぜ中国が急にこんな主張を始めたかは不明であるが、韓国のメディアが北京オリンピックの開会式の内容を盗撮して、事前にテレビで放映した事も関係しているのかもしれない。
蘇岩礁は韓国の済州島の南に位置する馬羅島南端からの距離は81カイリなのに対し、中国側は最も近い島からでも147カイリ離れており、竹島の位置関係と非常によく似ている。

韓国は満潮時でも水面下4mの水中暗礁である蘇岩礁にさえ、2003年に海洋科学基地を建設し、運営しているのである。

これも竹島と全く同じで、実効支配という不法占拠を続ける事により、自国の領土にしようという話である。
中韓両国は過去10年間余りで13回のEEZ交渉を行ってきたが、いまだ合意には至っていない。

韓国側は中間線の原則に従い両国領土の中間地点にEEZを設定すべきだと主張しているが、中国側は海岸線の長さや背後人口などを考慮すべきだとして、蘇岩礁の領土編入を進めている。

主張からは韓国側にやや分があるように思うが、紛争未解決の土地に竹島同様の既成事実を作るやり方が間違っている。

面白いのは下の波浪島のリンクにあるが、アメリカの国務長官に波浪島は何処にあるか尋ねられ、鬱陵島の近くで日本海にある小島と、答えたが、その後の韓国の必死の捜索でも発見されなかったとは笑い話である。

これも全く竹島と同じで、日本の古文書では日本の領土でないと知った韓国は竹島が自国の領土である事を主張する為に、自国の古文書を調べて竹島は于山島の事であるといい、従って古来より韓国の領土であると主張したのである。

日本の領土でなければ韓国のものという考え方だが、本当はどちらの国にも属さない無主地だった訳である。


参考資料

蘇岩礁:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E5%B2%A9%E7%A4%81

波浪島:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E6%B5%AA%E5%B3%B6



島根大学の内藤正中名誉教授の意見


島根大学の内藤正中名誉教授が竹島は日本の領土ではないと言っており、その人物に今年、政府から中綬章を授与する事になっています。

一見驚きの事態ですが、日本の領土ではないと言っているだけであり、韓国の領土とも言っていません。

つまり私の考える無主地という考えと一致しますから、ある意味こういうアプローチも頑なな韓国の考えを変え、話し合いのテーブルにつかせるには有効なのかもしれません。

内藤教授は1900年の大韓帝国の勅令41条での石島という名称が現在の竹島に当たるということを証明することだと思います(当時、韓国政府は勅令41条で鬱陵島を鬱島と改め、竹島と石島を併せて鬱島郡を設置した)。これを証明すれば、わたしたちも『独島は韓国の領土』ということを素直に認めるようになるでしょう。これまでのところは、当時鬱陵島に全羅道出身者が多く、全羅道の方言で石(トル)を『独(トク)』と発音したことから、漢字で『石島』と表記しながら『独島』と呼んでいた可能性があり、これが『独島』に変わったと推論する程度です」と言っています。

私は石島が独島の事だとは全く思っていませんが、竹島が日本の領土だと言い張っても話が拗れるだけなので、無主地だと考えているので歴史的な共同研究しましょうと言う方が現実的な気がします。

今となっては小さな独島の領有権より、海洋資源の価値の方が大きい訳ですから独島を境に国境を引き、独島に関しては200海里の原則を両国了解の元、無視すればいいだけの事です。

日本と韓国がいがみ合っても何のメリットも無く、フランスでは韓国の事をプチジャポンと呼んでいるそうです。

北朝鮮は完全に中国圏に取り込まれているようですし、寧ろ韓国の取るべき残された道は日韓併合の様な方向を模索した方が生き残る道なのかも知れません。

韓国の主な産業は日本の部品が無ければ立ち行きませんし、今やアメリカの部品メーカーも日本の傘下になろうとしています。

韓国の取るべき道は北朝鮮との統一ではなく、中国と日本のどちらに舵を切るかという段階だと思います。

今の韓国の反日感情は許せないが、両国は切っても切れない関係である事を再認識した方がいいと思います。


(上):http://www.chosunonline.com/article/20081122000018  

(中):http://www.chosunonline.com/article/20081122000019  

(下):http://www.chosunonline.com/article/20081122000020  



私の考える現時点での結論(2008年8月10日)


日本は江戸時代、竹島を勝手に李氏朝鮮領だと思っており、李氏朝鮮はその存在も曖昧であった。

日露戦争開戦後、竹島が重要な拠点になると考え、1905年1月28日に密かに島根県に編入した。

1910年に日韓併合条約が交わされ、日本と韓国が併合された。

サンフランシスコ平和条約に竹島の記載が無い事に危機感を抱いた大統領が李承晩ラインを宣言した。

日韓併合は韓国にとって屈辱の歴史であり、最初に奪われたと感じた竹島編入はその象徴とされた。

ところが日本側の抗議に対し、竹島の認識が乏しく、資料の無い韓国はこの島を于山島だと主張した。

韓国の古文書から鬱陵島の近くにある于山島が竹島の事で510年頃から韓国領であると主張した。

ところがこの于山島は竹島とは全く別の島であると日本政府は抗議した。


つまり、この島は元々無主地であり、日本が勝手に韓国領と考えたから領土問題になり、韓国は抗日運動の象徴として韓国領だと主張したいから無理な歴史見解を主張しているのであろう。

それでお互いが国際司法裁判所に提訴するようでせず、相互に領有権を主張し、竹島は現状維持するという口約束を交わして今日に至っているのだと思う。

韓国側が竹島に正規の軍隊を置かず、日本も固有の領土とはっきり主張しないのも頷ける。

国際司法裁判所に提訴しても簡単に決着しそうな話ではないのだろう。

日韓漁業新協定で、竹島を無いものとして中間線を引いたのもその表れであろう。


この問題を考える時に、1849年の仏船リアンクール号が竹島を発見した以前の古文書に竹島を自国の領土として描いたものがあるのかどうかという問題と、それ以後を分けて考える必要があると思う。

結論から言うと、現時点では1849年以前に竹島が両国共に自国に帰属する古文書は見つかっていないから無主地と考えざるを得ないが、まずこの点について日韓両国が共同研究すべきである。

恐らく無主地という結論に至ると思われるから、そこから1900年の大韓帝国勅令で自国領土とした石島が独島であるかどうかの研究、1905年の竹島の日本編入の有効性、サンフランシスコ平和条約の竹島の帰属問題等をアメリカも交えながら議論すべきである。

日本が固有の領土と主張していないのはある意味、日本の良心であり、日韓共同利用等の道をアメリカ仲裁の元に選ぶしかないのかもしれない。



その他の参考資料


1.竹島領有に関して日韓が密約を交わしていた:http://jp.youtube.com/watch?v=Ogmw5fj5GeM&feature=related

2.于山島は竹島ではなく竹嶼だった:http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=493162004

3.竹島の概況:http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/TakeshimaGaiyou.htm

4.40年前の竹島に関する報道:http://jp.youtube.com/watch?v=0O5Kabm2UZY&NR=1
5.最近の竹島のビデオ映像:
http://jp.youtube.com/watch?v=3PkYVqh_H24&feature=related