(56) フェリックス・ドレーゼケ(1835-1913):ヴィオラ・ソナタ第1番ハ短調WoO.21(1892)

 ドレーゼケはブラームスの同時代人。当初はヴァーグナー一派に傾倒したが、ヴァーグナー影響下の作品はさっぱり不詳で、スイスでピアノ教師をするがはかばかしくなく、またもやドイツに戻るその間に作風は守旧派に転向し、ドレスデン音楽院に職を得て4曲の交響曲や晩年のオラトリオ4部作《キリスト》などを残した。
 彼の自伝によると、転向した彼をリストは「かつてはライオンであったが、いまやウサギちゃんになった」と批判したという。ドレーゼケは「爪のあるウサギなど自然界にはいない」と反発しているようだが、俺には爪があるぞといいたいのか。しかしウサギちゃんになったおかげでドレーゼケは相当な名声を得て、栄光のうちに亡くなるのである。さらにはありがたくないことにナチス時代に大々的に再評価され、それこそが彼の悲劇であった。ナチスに何ら協力したわけでもないのに、戦後、親ナチ作曲家の扱いを受けて、すっかりタブーとなってしまったのだ。
 彼の生地コーブルクで町を挙げてドレーゼケ再興に取り組まれるようになったのも20世紀末。以来、彼の作品の多くがCD化された。
 室内楽では弦楽四重奏曲3曲、ヴァイオリンよりオクターヴ低く調弦し、ヴィオラとチェロの中間音域をねらった、当時の新作楽器ヴィオロッタを含む編成など、さまざまな編成の五重奏曲3曲、クラリネット・ソナタ、ヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタ、そして2曲のヴィオラ・ソナタがある。

 さて、そこで話はヴィオラ・アルタのことになる。1870年代に、ヘルマン・リッターというヴィオリストによって、ヴィオラ・アルタなる大きなヴィオラ(ボディ長が47cm)が製作され、ヴァーグナーがバイロイトで使ったのである。リストの《忘れられたロマンス》の楽譜にもしっかりと「ヴィオラ・アルタの発明者ヘルマン・リッター教授」への献呈が記されている。しかしリッターの死と、巨大なための演奏至難さからこの楽器は急速に忘れられてしまう。
 ドレスデン音楽院の同僚のヴィオリスト、ルドルフ・レンメレがヴィオラ・アルタの第一人者であって、ドレーゼケもヴィオラ・アルタの音色に魅せられてヴィオラ・アルタとピアノのためのソナタを1892年に1曲、1902年にもう1曲書くのである。

 ドレーゼケのディスクが巷に出ていることは知っていたが、どんな作曲家かわからない。大崎滋生氏の『文化としてのシンフォニーII』で「シンフォニーの両端楽章はいささか迷路をさまようようで」という記載で俄然興味を覚えたのである。大崎氏のいいたいのは同時代のブルックナーやブラームスの交響曲の完成度とは比ぶべくもないということなのだが、逆にいうとこの「迷路をさまよう」様が面白いのである。
 この第1ソナタも同様。英雄的だったり嘆き節だったり、魅力的な旋律をうねうねと繰り言のようにうめき続ける第1楽章が特にそう。冗長さが魅力に達する作曲家だと思う。ロンドの第3楽章も踊りながらどこへ行ってしまうのかわからないような音楽。中間の緩序楽章はまともだけれど。また、ヴィオラ・アルタを想定しているせいか、低音の魅力にも溢れているところがいい。全体は26分強。
 ヘ長調の第2番はもうちょっとリラックスした雰囲気で、その分、第1番にある奇妙な魅力には乏しい。

 AK Coburgというご当地レーベルに唯一の録音がある。ヴィオラを弾いているのはフランコ・シャンナリオというアメリカとイタリアを活動地とするイタリア人。ピアノのエリック・モウはアメリカ人のようだ。

 ヴィオラ・アルタ奏者、平野真敏氏にもドレーゼケ復興に協力して頂きたいものであります。このシャンナリオという奏者、経歴をみるとちゃんとして人のようだが、なんだかちょっと弾き方が頼りないのだ。もっとパリッとした演奏で聴いてみたいので。

かばの漬け物 (じゃあ、ヴィオラでもやるか)-DraesekeVa
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