(35)ヴィタウタス・バルカウスカス(1931):ヴィオラ協奏曲(1981)

 1980年代のことである。都響にクレーメルが客演したとき、アンコールにヴィタウタス・バルカウスカスの無伴奏パルティータ(1967)から2つの楽章が弾かれたのが、私のバルカウスカス初体験。もっとも、『クラシック音楽作品名事典』でバルカウスカスの名前だけは知っていた。が、聴くのは初めて、現代的な語法に民族的な味が加わり、しかもそれでいてなんだかバッハみたいという印象で衝撃を受けた。これは私だけではない。クレーメルは1970年よりしばしばこの曲を取り上げており、多くの人々に印象を与えてきたのだ。例えば、最近、今井信子とともにバルカウスカスのデュオ・コンチェルタンテを初演・録音したヴァイオリニストのフィリップ・グラフィンも10代の頃から何度かクレーメルの演奏を聴いて、この曲を好きになったという。
 しかし、私にとってのバルカウスカス体験はパルティータの二楽章、ほんの2~3分に留まって、以後、バルカウスカスに再会するのはそれこそクレーメルがパルティータを録音してくれたとき。その前に、オズヴァルダス・バラカウスカスという同じくリトアニアの作曲家のディスクが登場して、すっかり騙されて買ってしまったくらいだ。
 彼の妻のスヴェトラーナはウクライナ出身で、1990年に初めてリトアニアに渡るとき、同僚の音楽家から、「リトアニアの音楽を知りたければ、バルカウスカスのヴィオラ協奏曲を聴きなさい」と言われたそうだ。私はそういう知識はなかったので、2002年にVilnius Recording Studioから出た、バルカウスカス作品集のCDの情報を見て初めてヴィオラ協奏曲の存在を知ったくらいだ。
 この曲もバシュメト協奏曲、すなわちバシュメトのために書かれたものである。
 3楽章25分ほどの小ぶりな作品。編成もヴィオラ独奏とピアノ(チェンバロ)と弦楽というように小ぶりだが、感情的な振幅やヴィオラに要求されるテクニックは決して小ぶりではない。グリッサンド多用したヴィオラ・ソロにはじまり、無窮動に突入する第1楽章「カデンツァ」は調性と無調の間を彷徨って、シュニトケの音楽とも通じる雰囲気が濃厚である。第2楽章「ラルゴ」は低音域で主題を歌うヴィオラが印象的。「コーダ」と題された第3楽章はショスタコーヴィチの第4や第15交響曲の末尾のように、チェンバロの疎な音響を背景に、既に何かが終焉してしまったあとの音楽を繰り延べる。全体にチェンバロの使用が効果的であるし、ヴィオラの音色もよく生かされている。

 上述のVilnius Recording StudioのCDは流通が悪かったが、同じ音源がAvieで出た。演奏はバシュメトのヴィオラ、ロベルタス・シェルベニカス指揮のリトゥアニア国民交響楽団。

Sun/Barkauskas

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 Vilnius Recording Studioのディスクは下記。一般的な通販店ではリストにもあがってこないので、ノルディックサウンド広島で購入した。ただしMusic Export Lithuaniaのサイトでは曲の試聴ができる。

Barkauskas
Music Export Lithuania