(7)クシシトフ・ペンデレツキ(1933-):ヴィオラ協奏曲(1983)

 ポーランド音楽界を代表する作曲家、ペンデレツキは、1960年代、トーン・クラスターなどの音響技法で西側に新風を送り込んだ前衛音楽の旗手の一人だが、1970年代に方向転換し、新ロマン主義の担い手となった。ただ、ロマン主義といっても、ブラームスのような作品を書くわけではない。いうならば、スラヴ的汎半音階主義とでもいうべき作風で、雰囲気的に近いのがシマノフスキ。暗く、重く、現代の不条理を嘆くとでもいったように聴こえる。その点は表現法こそ違え、ペンデレツキ初期の作品からも聴きとれることではあるが。もっとも最近の作品はだいぶグラマラスになってきて、ショスタコーヴィチの影響が大きいなどと評されるようにもなってきた。
 新ロマン主義に突入してのペンデレツキは、1977年のヴァイオリン協奏曲第1番、1982年のチェロ協奏曲第2番に続いての弦楽器の協奏曲として、このヴィオラ協奏曲を完成させるのだが、約40分を要するヴァイオリン協奏曲、30分強のチョロ協奏曲に対して、ヴィオラ協奏曲は20分ほどである。いわば、前作の成果を取り込み、さらに凝縮したのがこの作品といえる。よほど出来がいいと思ったのかどうか、その後、この曲はクラリネット協奏曲に編曲され、またチェロ協奏曲として演奏されたディスクも出ている。なけなしのヴィオラのレパートリーを奪わないでくれ、という気分。

 この作品は2管編成のオーケストラを要するが、1985年に、作曲者は、弦楽器と打楽器のみの室内オーケストラによる第2版をつくった。ここにおいて、編成の上からも凝縮を図っているのである。この第2版は第1版に対して、作品のスケール感からして、まるで聴き劣りがしないのが面白い。弦楽器に打楽器を加えてしっかり色彩感を出しているからともいえるが、ペンデレツキのオーケストレーションがそもそも暗色でモノトーンだからともいえそうだ。
 ペンデレツキ節ともいえる短二度下降のモティーフから旋律が紡ぎ出され、次第にオーケストラが加わっていく冒頭、否が応でも嘆き節のように聞こえる。悲歌的ヴィオラ協奏曲の典型だが、ペンデレツキの場合、ちょうどミヨーとは逆で、何の協奏曲を書こうとも、絶望的な音調にかわりはない。中間部は焦りにせき立てられたような速い部分となり、最後は冒頭の音楽が戻ってきて、嘆きは天空へと消えていく。語法はネオロマン的とはいえ、1960年代のトーン・クラスターで培った剣呑な雰囲気がいまだ残存している時期の作品である。最近の豊饒だけれどどこか脳天気な感じもする作風と比べて、古武士のような風格があるところが魅力だろう。

 第1版による録音はグレゴリイ・ツィスリン盤とペンコフ盤。確かに管楽器がはいっているが、色彩的な効果を著しく上げているわけでもなく、これなら第2版で問題はないと思われる。ツィスリンのヴィオラの太い音は魅力的だ。冒頭などは十分に歌っているが、中間部が速いせいか、演奏時間は20分そこそこ。ペンコフはもうちょっとだけ演奏時間が長い。ペンコフの音色も素敵だ。

Viola Concertos/Stamitz
Penkov-Stamitz
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 タベア・ツィンマーマン盤キム・カシュカシアン盤は第2版。ツィンマーマンは例によって美しい音色。カシュカシアン盤はカデンツァや終結部でモノローグ的な様相が強まって遅くなり、演奏時間は25分。ペンデレツキ指揮の自作自演の交響曲などを聞くと、テンポは誰より遅く、この人は遅いテンポが好みなのがわかる。そういう意味で25分というのは支持される。また、デニス・ラッセル・デイヴィーズ指揮のオケが甘みを排して、厳しい音を聞かせるところでも、本盤を第一に推したい。
 なおカデンツァの部分を独立・拡張したのが、無伴奏ヴィオラのためのカデンツァ(1984)である。


Benjamin Britten, Paul Hindemith, Krzysztof Penderecki, Dennis Russell Davies, Stuttgart Chamber Orchestra, Stuttgarter Kammerorchester, Kim Kashkashian
Hindemith/Britten/Penderecki: Trauermusik/Lachrymae/Konzert