(48) グラジナ・バツェヴィチ(1909-1969):ヴィオラ協奏曲(1968)

 グラジナ・バツェヴィチ Grażyna Bacewicz とヴィタウタス・バツェヴィチウス Vytautas Bacevicius が兄妹だなんていわれても、にわかには信じがたいであろう。スラヴ系の民族では男女で名前の語尾が変化することがあるが、-wiczなんて語尾はいかにもポーランド人だし、他方、ヴィタウタスはリトゥアニア人の名前だ。名前の似た外国人である、普通なら。
 つまりは、父がリトゥアニア人、母がポーランド人。一家がどのように分離したのかわからないが、兄ヴィトルド(リトゥアニア式にいうとヴィタウタス・バツェヴィチウス)は父とともにヴィリニュスに帰り、最後はアメリカ合衆国に渡り、作曲家として活躍した。他方、グラジナ・バツェヴィチは、自ら国籍はポーランドを選んだ。兄の方の作品集も最近出ている。私は未聴だが。
 バツェヴィチは1960年代、共産圏とは思えない前衛的な音楽で「西側」に衝撃を与えた「ポーランド楽派」の一角をなした作曲家である。有名なのはルトスワフスキ、ペンデレツキであるが、彼らよりも年長である。
 ヴィタウタスとは別の兄がピアニスト、妹は詩人というように芸術家一家だった。
 1909年、ポーランドに生まれたバツェヴィチは5歳からヴァイオリンとピアノを習い、7歳にして最初のコンサートを持つという神童ぶりを示す。13歳で最初の作曲。ワルシャワ音楽院に入学するが、他方、1928年にはワルシャワ大学で哲学も学ぶ。
 ワルシャワ音楽院の教授だったカロル・シマノフスキは作曲科の学生すべてに、パリに行ってナディア・ブーランジェに師事することを勧めており、彼女も1930年代にパリに留学する。さらにヴァイオリンはカール・フレッシュに習った。
 帰国後、ポーランド放送交響楽団の主席ヴァイオリン奏者となり、ソリストとしてはシマノフスキの協奏曲を得意としていた。このオーケストラでは彼女の音楽が演奏される機会もあった。1936年に結婚し、ひとり娘は画家になったという。
 第二次大戦後は、スターリン体制のもとでも、バツェヴィチは比較的自由に外国へ演奏旅行ができたが、1954年に交通事故で重傷を負い、作曲に専念するようになる。1950年代までの作風は新古典主義的なものだったが、ルトスワフスキなどと同様、次第に前衛的な潮流に身をさらすようになる。1960年代からは「音響主義 sonorism」を標榜し、音色に主眼をおいた作曲をする。とはいうものの彼女の作風は新古典主義を基本においたもので、過度に攻撃的、不協和的になることはなかった。
 作品は多岐にわたるが、やはりヴァイオリン音楽が目立つ。4曲の交響曲をはじめとする管弦楽曲、7曲のヴァイオリン協奏曲、2曲のチェロ協奏曲、ピアノ協奏曲、2台のピアノのための協奏曲、7曲の弦楽四重奏曲、2曲のピアノ五重奏曲、5曲のヴァイオリン・ソナタをはじめとするヴァイオリン曲、歌劇『アーサー王の冒険』などである。
 死の前年にヴィオラ協奏曲を完成し、その後、無伴奏ヴァイオリンのための4つのカプリッチョ(ヴィオリスト、カマサによりヴィオラ版も作成されている)を書き、ピカソの台本によるバレエ『欲望』を未完成のまま残して世を去った。

 ヴィオラ協奏曲はポーランドのヴィオリスト、ステファン・カマサの委嘱による。バツェヴィチのヴィオラ曲は恐らくこれのみで、無伴奏ヴィオラ・ソナタもヴァイオリン曲からのカマサによる適用である。
 モデラートとモルト・アレグロの両端楽章のあいだに、バルトークの夜の音楽を連想させずにはおかない、静謐で詩的なアンダンテが配置される。ペンデレツキのトーン・クラスターやルトスワフスキの管理された偶然性に比べると遙かに伝統的な音楽だが、無調的で1960年代らしい音響に満ちており、「西側」に出しても遜色のないものだっただろう。両端楽章でヴィオラの音域を駆使して魅力的な音色を振りまいている。他方、寡黙ながらも深い真情を吐露するような第2楽章の音楽も印象的で、民謡の旋律がアレンジされていると思しきヴィオラの独白に管弦楽が繊細な反応を返す。第3楽章もソロと管弦楽の丁々発止のやりとりがスリリングきわまりない。

 バツェヴィチは名前ばかりは通っていたが、下に示すOlympiaのCDとあともう一枚、やはりOlympiaに交響曲第3番のCDがあったくらいではなかったか。本盤もMuza原盤で、ヴィオラ協奏曲とともに、弦楽のためのディヴェルティメント(1965)、夜の思想 Pensieri Notturni (1961)、管弦楽のための協奏曲(1962)、2台のピアノと管弦楽のための協奏曲(1966)といった最盛期にして晩年の管弦楽曲が収められている。これらを聴くとバツェヴィチの音楽の表出力に驚嘆せざるを得ないが、しかしそれ以前の新古典主義時代の作品はもっと和やかなものだったのが、弦楽四重奏曲全集を聴くとよくわかる。
 バツェヴィチは最近、ピアノ作品集やヴァイオリン作品集のCDが少しずつ出ており、生誕100年を控えて復興が期待されるところだ。

 入手できないディスクを見せびらかすのは嫌なのだが、私が長年聴いていたのはこれ。演奏は被献呈者ステファン・カマサのソロにスタニスワフ・ヴィスロツキ指揮ワルシャワ国民フィルハーモニー管弦楽団。

Bacewicz

 ポーランドでは「ヴィオリスト、カマサ」というCDが出ており、ここにバツェヴィチの協奏曲も入っている。こちらはマクシミウク指揮カトヴィツェ国民ポーランド放送交響楽団。私は、Merlin.plなるポーランドの通販サイトから買ったが、あっさりとHMVで扱いになっていた。

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 新録の登場も期待しよう。