(37) ウィリアム・ウォルトン(1902-1983):ヴィオラ協奏曲(1929/61)

 CDの数からいったら、ウォルトンのヴィオラ協奏曲はバルトークの協奏曲に次ぐポピュラリティーを誇るヴィオラ協奏曲である。私の所持するだけでも10種。歴史的録音も含めて、このほかにさらに数種の録音があるようだ。ところが私がヴィオラ音楽を聴き始めたころ、この曲はまったく文献上の存在で、聴くことができなかった。もちろん録音が皆無だったわけではないのだが、手にはいるCDはなかった。初めて入手したのが、ナイジェル・ケネディの1987年録音だったと思う。そのあと1990年代に入って、今井信子盤が出た。以後、よりどりみどり。
 ウォルトンは20世紀イギリス作曲界の巨人といっていいのだが、抒情的・牧歌的な多くのイギリス作曲家の中では異色な辛口の存在といえようか。『ファサード』みたいにまるでアメリカ音楽のようなけばけばしい曲も書くが、交響曲や協奏曲はかなり晦渋な肌合いがある。交響曲第1番では「悪意に満ちたアレグロ」という発想記号が有名だ。
 協奏曲はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとあるのだが、もっとも若書きがヴィオラ協奏曲。1929年初頭完成なので、26歳の時の作品ということになりそうだ。ライオネル・ターティスのためにヴィオラ協奏曲を書くというのはサー・トーマス・ビーチャムの勧めだったという。ところが、ターティスにとってこの曲は「モダンすぎる」ため、初演は拒否され、ヒンデミットの手に託すよう助言される。かくて、いまだ、ヴィオラ協奏曲は室内音楽第5番しか書き上げていなかったヒンデミットが初演することになった。つまり、20世紀のヴィオラ協奏曲の中でも、ウォルトンのはかなり先駆的な作品なのだ。ターティスも初演を聴き、後に自身のレパートリーに入れた。

 陰鬱な弦楽合奏にヴィオラのソロがはいってくるあたりからして、ロンドンはいつも曇天という感じ。8分、4分、12分台の3楽章で、全体は25~26分。速度表示は序破急ならぬ序急破だが、聴いての印象は緩急緩。両端楽章は速い部分もあるが、全体として遅い楽章という印象を保ち、その間に、スケルツォ的な第2楽章がはさまれるという形式をとる。これはヴァイオリン協奏曲やチェロ協奏曲でも同様である。
 メランコリーに満ちた第1楽章は常に過去を振り返るような趣を持つ。長調と短調の間を彷徨う調的なグラデーションがそういう印象を生むのだろう。ソナタ形式で書かれているようだが、中間部が速い部分となっている。第2楽章では音楽は大変な推進力を持って前に突き進む。ヒンデミットはこの冒頭主題が気に入ったらしい。さもありなん。そして、全体のおよそ半分を占める終楽章は、力業である。3つの主題が投入され、クライマックスではそれらの主題が種々に組み合わされてフガートを形成する。ソロを置き去りにした管弦楽のクライマックスのあと、ヴィオラが回帰すると、音楽は静謐となり、第1楽章の主題に回帰して静かに終わる。

 ウォルトンはこの曲を三管編成の大管弦楽のために書いたが、1961年になって二管編成に刈り込んで、ハープを加えた。今日演奏されるのは1961年版である。
 録音の上からは秘曲だったこの曲が普通に聴けるようになると、今度は初稿の三管編成はどんなだったんだろうと気になっていた。フレデリック・リドルの1937年録音やプリムローズの1946年録音は当然初稿によるわけだが、第二版が出てからというもの、初稿の録音は存在しなかった。ヴィオラという中音域の楽器を独奏にあてるということは、オーケストラの音響に沈んでしまう危険を持つ。ヒンデミットの『白鳥回し』やシュニトケの協奏曲のようにオーケストラの弦楽器から、ヴァイオリン・ヴィオラを排除するという解決策もよくみられるが、フルオーケストラでヴィオラと対峙するウォルトンの初稿が気になる所以である。
 最近になってローレンス・パワーが初稿で録音したが、しかし、期待したような管弦楽の大爆発はなかった。20歳代の作曲家の仕事を、老境を迎えた作曲家が改訂した1961年版は実によくできているのだ。三管編成を用いなくとも同等の効果がえら得ているばかりか、ハープの付加が音色に深みを加えていることが、パワー盤を聴くと逆説的に確認されるのだ。
 パワーは優れた奏者には違いがないが、ちょっと優等生的すぎるというか、もう少しあざといところがあってもいい。

Walton, Rubbra: Viola Concertos

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 最近の私のお気に入りは、カレン・ドレイフス盤。この曲を格別に愛するソリストによる演奏は、荒々しいタッチがとてもいい。ヴァイオリニストがヴィオラを持っても絶対こんな風には弾かないだろうと思う。MMCレコードのサイトから購入可能。

Walton/McInley

 タチャーナ・マスレンコ盤も最近のお気に入り。ヴィオラの太く深い音色、スケールの大きい歌いっぷりに魅了される。ほんと、この人、大物だと思う。

British Viola Concertos [Hybrid SACD]

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 まずは廉価盤で、どんな曲か聴いてみたい向きには、ラース・アネルス・トムター盤がお勧め。トムターの音色も私は好きである。なかなか録音されない交響曲第2番のカップリング。

Walton: Symphony No. 2; Viola Concerto; Johannesburg Festival Overture

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 私が初めてこの曲を聴いたケネディ盤はいま聴いてみると、ヴィオラのソロに関してはもっと優れた演奏が沢山あるという印象である。カップリングのヴァイオリン協奏曲のほうが水を得た魚のようだ。ま、当たり前か。

Walton: Violin & Viola Concertos; Vaughan Williams: The Lark Ascending

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 今井信子盤はこの曲が歌に満ちた曲であることを教えてくれる。初演者であるヒンデミットへのオマージュ『ヒンデミット変奏曲』がカップリングされているのが、粋だな。

Walton: Viola Concerto, Sonata for String Orchestra; Hindemith Variations

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 この曲、バシュメトの録音もあるが、意外に普通。
 むしろマクシム・ヴェンゲーロフがバシュメトのかわりにユニークな演奏を披露する。ブリトゥンのヴァイオリン協奏曲とのカップリングで、なぜかウォルトンはヴィオラ協奏曲を弾いている。さすが腕達者のヴァイオリニストだけあって、冒頭のソロで音域が上がってくると、まるでヴィオラに聞こえず、ヴァイオリンのようだ。この録音のために、貴重なストラディヴァリのヴィオラを借りているそうだ。
 聴きものは終楽章、通常12~13分のところ、16分台もかけて、ネチネチとやっているのだ。なにしろ指揮はロストロポーヴィチ。

Britten: Violin Concerto; Walton: Viola Concerto

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