(33) シャルル・ルイ・ウジューヌ・ケックラン(1867-1950):ヴィオラ・ソナタ作品53(1913-15)

 Koechlinを何と読むか。普通「ケックラン」とか「ケクラン」と記載されているが、雑誌でこれを「クーシュラン」と書いている人がいて、確かにフランス語読みだとそうなるのじゃないのかと思い、フランス人に聴いてみたことがある。「ケッハリン? ドイツの名前でしょ。読めないねえ」と言われてしまった。しかし、まあ、ネットを知らべてみるといろんなことがわかるもので、ケックラン家のホームページというものがあって、そこに「ケックラン」と読むのだと書いてあるので、この件はケックランにて一件落着。
 読み方が解決したところで、ケックランである。ドビュッシーと同世代で、六人組よりは年長。おおむねいわゆる印象派的な音のする曲を書いた。管楽器のためのソナタが比較的よく演奏されてきたが、最近は管弦楽曲などにも注目が集まってきている。ハインツ・ホリガーがなぜかケックランに肩入れして、彼の管弦楽曲をシリーズで録音している。ケックランは趣味が広いというか、関心にまとまりがないというか、風貌は長い髭を蓄えていて仙人のようなのに、キップリングの『ジャングル・ブック』が大好きで、それに取材した一連の管弦楽曲を書いたり、ハリウッド・スターにオマージュを捧げた『セブン・スターズ・シンフォニー』を作曲したりとやけにキッチュかと思えば、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』に基づく『燃ゆる茂み』、バッハに傾倒した晦渋な『バッハの名による音楽の捧げもの』など重厚な作風を見せたりする。全体像がつかみにくい人だ。
 ヴィオラ・ソナタは、ダリウス・ミヨーらによって企画された、パリの仏白学会での傷痍兵のためのコンサートのために作曲された。ケックランの作品の中でももっとも劇的で苦渋に満ちたものといわれる。野戦病院の看護師として働いていたケクランは、ミヨーの勧めで、作曲のために余暇を得て、世界情勢に思いを馳せたようだ。傷痍兵を癒すためにと書いたらしいが、安易に明るい音調で慰めるような曲ではなく、暗く重いのは、現場を目の当たりにしてきた人だけのことはある。
 第1楽章アダージョは静謐ながら、深い感情に満たされている。低音域で訥々とヴィオラが語る冒頭から、これがただならぬ音楽であることを印象づける。何かに呼びかけるような音型がだんだん高音域に音楽を導いていく。ピアノのオスティナートの上で暗い音でヴィオラが滑空する、苦い味わいの第2楽章スケルツォ。第3楽章アンダンテは瞑想的な緩序楽章。一番長い第4楽章は再び陰気な空気に満たされ、陰鬱でもの悲しい気分に満たされたロベール・ドゥミエールの詩に作曲された「海岸にて」op.28 no.2の旋律が用いられ、12分あまり、内省的な世界にどんどん入り込んでいく。全体像がつかみにくい人だが、たいへん深いものも持った芸術家であることは間違いない。
 ミシェル・ミカラカコスの演奏が録音もいいし、まずは一押し。

Koechlin: Violin/Viola Sonatas/Viaud/Michalakakos
Koechlin
Amazon.co.jp

 エルンスト・ヴォルフィッシュ盤はAmazon.co.jpでは廃盤扱いだが、fnacではまだ扱っているようだ。録音は古いが、低音の鳴りなどには凄みがある。

Walfish

 それから、Accordのケックラン室内楽選集のなかにシラーの演奏が収められている。