(32) ウィリアム・トーマス・マッキンリー(1938-):ヴィオラ協奏曲第2番(1984)

 「同世代のアメリカの作曲家の中でももっとも有名なひとり」と紹介されているマッキンリーだが、同世代のアメリカの作曲家といったら、ジョン・ハービスンとかジョン・コリリアーノだろうか。一番高名なのはコリリアーノで、ハービスンはアメリカでは大作曲家の扱いだが、ヨーロッパではあまり聴かれないという話だ。マッキンリーなんてそれ以上に知らないよと思っていたが、実は彼の曲のディスクを持っていることにはじめは気づかなかった。クラリネット協奏曲第2番である。
 彼はクラリネッティストのリチャード・ストルツマンと古い友人で、クラリネット協奏曲のほうも少なくとも3曲書いているのである。ストルツマン曰く、マッキンリーの曲を演奏すると、ドイツ人がヴェーバーの協奏曲を演奏するときに感じるだろう感じ──これこそ俺たちの音楽だ──を感じるのだという。私の聴くかぎり、いかにもアメリカ的という感じではないのだが、日本人から見たアメリカ的とアメリカ人から見たアメリカ的とは違うのだろう。
 マッキンリーは作曲家であるとともに、ジャズ・ピアニストとしても活躍したようだ。また、MMC Recordingsレーベルを興し、アメリカ音楽の紹介に努めている。
 さて、ヴィオラ協奏曲はあまたあれど、ヴィオラ協奏曲第2番は少ない。20世紀半ばまでだったら、ミヨーくらいしかなかった。あとは、最近、サリー・ビーミッシュが第2番を書いたくらいと思っていたが、マッキンリーは1984年に第2番、1992年に第3番を書いているのだ(ちなみに第1番にあたるのが1978年の協奏幻想曲)。ヴィオラ協奏曲第3番に至ってはマッキンリーくらいのもの、と思ったが、ペール・ヘンリーク・ノルドグレンもヴィオラ協奏曲を3曲書いていることを知った。
 ここではダークな色彩でコンパクトにまとまった第3番よりも、演奏時間36分を超える大規模で大柄な第2番を取り上げることにしよう。第1番とともに第2番はニュー・ヨーク・フィルの主席ヴィオリストだったソル・グレイツァーのために書かれた。グレイツァーの弾く「イタリアのハロルド」を聴いて、「ニュー・ヨークのソル」、「ロス・アンジェルスのソル」を書いてみたいと思ったというのが作曲の動機だとか。
 作曲者の説明によれば、協奏曲第2番はネオ-トーナルで耳に快い現代的語法で書かれ、ジョージ・ガーシュウィンやウィリアム・シューマンなどアメリカのロマンティックな作曲家からの影響を、彼自身のジャズの個人的な経験で濾過して総合している。
 音色旋律的な味わいを含むオーケストラのモーダルな上行音型のなかにヴィオラがトレモロで切り込んでくる曲頭が印象的だが、すぐにヴィオラはロマンティックともブルージーとも言えそうな旋律を歌い出す。15分ほどの第1楽章「アンダンテ・マ・ノン・トロッポ」は、緩急さまざまな要素を示し、ラプソディックに展開していく。あちこち印象的な旋律が出てくるが、恐らくジャズの影響がある。
 第2楽章「ヴィーヴォ」は不穏な空気のなかでヴィオラが終始せわしなく動く。
 第3楽章「モルト・マエストーソ」はホルンと鐘のユニゾンで奇妙なコラールが奏されて始まる。不思議な光が差し込んできたかのような印象。この楽章も次々と新たな曲想に転じていくのだが、冒頭のコラールが種々に形を変えて再現し、仄かな光を差し込む。最後は飽和した音響のなかヴィオラがトレモロ、ロング・トーン、ひと弓のスピッカートで上昇して消えていく。非常にたくさんの音楽が詰め込まれた曲という印象が残る。
 唯一のディスクは作曲者自身が主宰するMMCレーベルから。協奏曲第3番の被献呈者であるカレン・ドレイフスがソロをとっている。

The Music of Patrik Bishay & William Thomas McKinley
McKinley
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