これはよくいわれることだが、ヴィオラは未完成な楽器である。結局、その未完成さが魅力なのだが、この未完のヴィオラを完成させようとする親切な人々が跡を絶たない。

 要するに音域に対してヴィオラの容積が少なすぎるのがヴィオラの問題。
 通常ヴィオラは竿を含まない本体の部分の長さが38.5~42cmくらいなのだが、ヴァイオリンやチェロと同じ比率にすると、50cmは必要なのだという。これでは持てない。

Tertis

 しかしライオネル・ターティスは低音域の豊かな響きにこだわった。そこでロワー・バウツの大きいターティス・モデルと今日言われる楽器を作らせた。でか。

 しかしデカイと弾きにくいじゃないか。

 ロマン派の時代、ヘルマン・リッターというヴィオリストによって、ヴィオラ・アルタなる大きなヴィオラ(ボディ長が47cm)が製作され、ヴァーグナーがバイロイトで使ったという。しかしリッターの死と、巨大なための演奏至難さから急速に忘れられてしまった。そのヴィオラ・アルタを入手し、ヴィオラ・アルタ奏者を名乗っているのが、平野真敏氏。R. シュトラウスは5弦のヴィオラ・アルタに言及しているが、平野氏の持っているのは4弦のようだ。形態的にはヴァイオリンをそのまま大きくしたように見える。
 身体的に恵まれないとヴィオラ・アルタ奏者にはなかなかなれないだろう。

 そこで音響科学的な発想を優先して奏法を犠牲にしたのが、アルト・ヴァイオリン。
 カーリーン・ハッチンスという人が中心となって、従来のヴァイオリン族を改良して、ヴァイオリン・オクテットという楽器群が作られた。高音から低音まで同質の8種の楽器なのでオクテット。ヴィオラに相当するのがアルト・ヴァイオリン。ヴィオラの音域に相応しい楽器容積にしたため、もはや顎に挟んでの演奏は不能となり、チェロの奏法で弾く。これではヴィオラじゃなくて小さいチェロ。
 これに目をつけたのが、ヨーヨーマ。彼はバルトークのヴィオラ協奏曲をこの楽器で弾いて録音した。
 しかし、このCD、ぜんぜんダメ。ヴィオラの音がしない。音域はヴィオラだけれどヴァイオリンのようなチェロのような。ひどく欲求不満に襲われてしまう。ヴァーグナーはこの鼻にかかったようなヴィオラの音を嫌ってヴィオラ・アルタを支持したそうだからアルト・ヴァイオリンで満足したかも知れないが。

 チェロのように構えるのはやめにして……、でも、楽器がデカイとハイ・ポジションが弾きにくい。

Cut-Away

 じゃあ。削っちゃえ。というのがリヴカ・ゴラーニの前夫エルデシュによるカット‐アウェイ・ヴィオラ。
 確かにこれならハイ・ポジションも楽だろう。
 しかし楽器容積を一部犠牲にしてしまうのだ。もっともこの形をみるとロワー・バウツをおたふく顔にして容積を稼いでいるようではある。ゴラーニのディスクを聴くとこの楽器いい音がするのだ。

 切り取るまでするのなら、もっと発想を柔軟に。

Riviola

 アメリカの制作者デイヴィッド・リヴィナスは柔軟すぎて溶けちゃいました。
 演奏を楽にするために楽器の向かって右側を小さく作る代わり、左側を大きくして容積を確保しようという実に合理的な発想でできたのがリヴィオラ。

 伝統的な楽器の形態という不可触領域に手をつけるのなら、これでは手ぬるい。

Pellegrina

 それで作られたのがペレグリーナ。もはや一部では有名ですね。
 顎当ての部分のロワー・バウツ、左手があたる部分のアッパー・バウツは普通か小ぶりに作って、その反対側に楽器をはみ出させて、容積を確保するというのは、非常に合理的。まさに楽器長は50cmらしい(もちろんはみ出している部分を入れて)。だから人間工学的ヴィオラと呼ばれる。
 ところがその合理的発想で作られた楽器のイメージは非常に不条理的。やはり美は対称性にあるのだ。リヴィナス自身このようなものを世に出すにはかなり悩んだらしいが、先に紹介したドン・アーリックなど支持者も少なからず現れている。
 さすがに音色は素晴らしくいいのだ。だがその音のよさは、そう、まるでサックスのような音の艶。人工的というか。私は6割「これはヴィオラの音じゃない」と思い、3割「でもヴィオラの音の特徴がある」と思い、1割は判断保留している、という感じ。手放しで評価できない。
 だいたい制作者がみな古典的な形態という制約の下で最善を凝らしているのに、これは禁じ手という気もする。400年の伝統を破る勇気は讃えられるべきだが、決定的に新しい道を歩み出している可能性もあるのだ。
 自分で弾いてみたら評価がかわるかも知れないけれど……。ただし、この楽器が手などに故障を持つプレイヤーにとっての朗報であることは書き添えておかねばならない。同じ発想でリヴィナスはマキシミリアン・ヴァイオリンなるものも製作している。
 私もゲテもの好きだけれど、この形はなかなか愛せないなあ。リヴィナスさん、ごめんね。

my viola

 やはりダ・サロ・モデルがいいです。
 おわり。