(22) アンリ-ギュスターヴ・カサドシュ(1879-1947):「J. C. バッハのヴィオラ協奏曲」ハ短調

 ヨハン・クリスティアン・バッハのヴィオラ協奏曲をご存じだろうか。そんなものはない? そう、ないけれど、あるのだ。では、ヘンデルのヴィオラ協奏曲は? これもまた、ないけどあるのだ。「J. C. バッハのヴィオラ協奏曲」と「ヘンデルのヴィオラ協奏曲」を作曲したのはアンリ-ギュスターヴ・カサドシュである。作曲家・指揮者・ヴィオラ奏者で、カペー四重奏団のヴィオラ奏者としても知られている。1901年、サン-サーンスらとともに「古楽器協会」を設立し、20世紀初頭の古楽復興に寄与した。
 そんな彼がなぜ「J. C. バッハ」と「ヘンデル」の協奏曲に手を染めたのかというと、自分が演奏するヴィオラ協奏曲のレパートリーを増やすために、クライスラーが自作を「クライスラー編曲」として世に問うたように、世を謀ったのだ。「ヘンデル」のほうもヘンデルというより、大バッハのようなところもあるなかなか面白い作品なのだが、もっとロマンティックな「J. C. バッハ」のほうはチェロ版をロストロポーヴィチが録音しているほどの佳曲である。この曲はいまだに「J. C. バッハのヴィオラ協奏曲」で流通していることが多いのだが、だからといってカサドシュのヴィオラ協奏曲といってはあまりにこの贋作的面白さが抜けてしまうし、「J. C. バッハ風ヴィオラ協奏曲」あるいは「J. C. バッハの様式によるヴィオラ協奏曲」というにはJ. C. バッハが研究されていない。とするとカサドシュ作曲の、括弧付きの「J. C. バッハのヴィオラ協奏曲」というのが一番妥当な気がする。
 悲劇的で英雄的なハ短調で、いかにもバロックらしい主題だが、循環主題風のモティーフが使われたり、第3楽章の終結に第1楽章の主題が回帰したりとどう考えてもJ. C. バッハの様式ではない。一見バロック風だが感情のあり様はロマン派なのだ。第2楽章の擬古典的だけれどロマン的な緩序楽章も豪毅だけれど哀愁を誘ういい味、重音で上がっていく第3楽章も情熱的で気が利いている。最後に第1楽章の主題が回帰するところも実にカッコイイ。成立事情はいかがわしいが、名曲だと思う。演奏時間は約15分。
 CDはAmazonでは廃盤のようで、ジャケットを掲示できないが、他のショップで手にはいるものもありそう。私の所持は次の4種。ヴォルフラム・クリスト独奏は2種、ミュラー-ブリュール指揮ケルン室内管弦楽団(Koch Schwann)とベルリン弦楽ゾリステン(East World)、ハルトムート・ローデ独奏・マイス指揮リトゥアニア室内管弦楽団(Arte Nova)、ミカラカコス独奏・カクトス指揮ヴィリニュス聖クリストファー室内管弦楽団(EA)。
 ディスクが手にはいらないとなるとこれはもう自分で弾くしかない。Suzuki Viola Schoolの6巻と7巻に分けて全楽章が収録されている。Suzuki Viola Schoolはスズキ・メソッドの教本のヴィオラ版なのだが、なぜか日本では発売されていないのだ。ま、私ごときには簡単には弾きこなせないが、格好いいフレーズが多いし、一生懸命練習すれば、弾き通せそうなおさらい曲でもある。