(15) エクトール・ベルリオーズ(1803-1869):イタリアのハロルド作品16(1834)
 ─ヴィオラ独奏付きの四部の交響曲


 「イタリアのハロルド」をヴィオラの名曲に取り上げることについては正直迷いがある。ロマン派のヴィオラの協奏的作品は実際これくらいしかないのだが、その迷いとは委嘱者パガニーニの失望と同等のところに位置する。管弦楽の名曲であることは論を待たないにしても、「ヴィオラの」かどうか。
 ベルリオーズはよくも悪くもロマン主義を体現した芸術家のひとりだろう。シェイクスピア女優に恋したものの袖にされて、失意のなかで、あたかも自分を主人公として幻想交響曲を書いてしまう。そのくせ、後日、彼女のほうが落ち目になって釣り合いがとれたということか、二人は結婚するが、うまくいかない。ロマンとは物語のことであり、彼こそが物語を生きているのだ。
 さて、ベルリオーズには交響曲が何曲あるか。幻想交響曲、ヴィオラ独奏付きの交響曲「イタリアのハロルド」、劇的交響曲「ロメオとジュリエット」、葬送と勝利の交響曲と4曲あるのだが、「イタリアのハロルド」が協奏曲まがいなら、「ロメオとジュリエット」はオペラか劇音楽、葬送と勝利の交響曲は後にオーケストラ版も作られるにしても、吹奏楽曲。型にはまらないというか。
 曲成立の逸話は改めて語るまでもないが、おさらいしておこう。ストラディヴァリ作の素晴らしいヴィオラを入手したパガニーニが、しかし、その名器で弾くべきヴィオラの独奏曲がないと悩んでいると、幻想交響曲なるすごい曲を書いた男を発見する。そこでその男ベルリオーズに「ヴィオラ独奏のための曲」を依頼した。有名なエピソードだ。もっともこれはベルリオーズの自伝が根拠となっており、真偽ほどは諸説あるようだ。このヴィオラの名器とは何か。パガニーニが入手したカルテット・セットの楽器のうちのヴィオラのことだと思われるのだが。このいわゆるパガニーニ・カルテットは現在、東京クヮルテットに貸与されている。だから、磯村和英氏が弾いているはず。ベルリオーズはその委嘱に答え「イタリアのハロルド」の第1楽章を作曲してパガニーニに見せるのだが、パガニーニが期待したヴィオラの協奏曲のような作品──パガニーニの頭にあったのは自分自身のヴァイオリン協奏曲や、シュポアのヴァイオリン協奏曲のようなものだっただろう──とはほど遠いものであり、彼は痛く失望する。当時のヴァイオリンの巨匠はパガニーニ、ピアノはリスト、それに対してベルリオーズの楽器は、合唱とオーケストラといわれる。ベルリオーズには、華々しいヴィオラ独奏を申し訳程度に管弦楽が伴奏するような曲は到底書けなかったのだろう。しがらみがなくなって、もう彼は好き勝手に筆を進める。最初の構想では合唱までも伴う、スコットランドのメアリー女王の最後の時を描いた作品だったらしいが、フランスからはまったく反対方向に向かって、ローマ大賞を受けて滞在したイタリアの思い出に想を得た作品になってしまう。バイロンの『チャイルド・ハロルドの巡礼』の夢想家の主人公に自分を重ね、さらにその役をヴィオラに担わせる。
 明確なストーリーがあるわけではなく、作曲家がアプルッツィ山岳地方を放浪した時(この時も失恋して彷徨ったという話じゃないか)の詩的印象を4つの場面に綴る。第1楽章「山上のハロルド、憂鬱と幸福と歓喜の情景」、第2楽章「夕べの祈りを歌う巡礼たちの行進」、第3楽章「アプルッツィの山人が恋人に寄せるセレナード」、第4楽章「山賊の饗宴、前景の追想」。さっぱりどういうストーリー性があるのかわからない。こういう自分のヴィジョンが優先する独善性がロマン派のロマン派たるところでもある。しかもハロルドは出来事と情景の傍観者であり、終楽章では山賊の狂乱に巻き込まれてあえなく息絶えてしまう。パガニーニはヴィオラ・ソロが十分にある第1楽章でも気に入らなかったらしいが、終楽章などオーケストラ・スペクタキュラーとして聴くと、他に汗握る面白さだが、ふと気がつくとヴィオラの出番がほとんどないのだ。この曲には、リスト編曲によるヴィオラとピアノ版があるが、それを聴くと、いかにヴィオラが先細りで消えていくかが痛々しいほどよくわかる。これではパガニーニは激怒だろう。しかし、後日この曲を聴いたパガニーニがベルリオーズの才能を認めて、約束の委嘱料を払ったという逸話はこのヴァイオリンの巨匠の度量の広さを示している。
 泰西名曲だけに、ディスクは幻想には著しく水をあけられているにしても相当にある。とても全部はリサーチできない。正直なところ、ヴィオラ奏者がちょっとくらいヘボでもオーケストラがうまかったら十分聴いていて満足する曲だと思う。しかしそれでは悔しいから、「ヴィオラの名曲」的観点から、特徴的なものをいくつか列挙しよう。
 プリムローズのヴィオラ、ミュンシュ指揮がステレオだし歴史的名盤。バーンスタイン盤(マッキネスva)、デュトワ盤(ズッカーマンva)、鄭明勲盤(ヴェルネイva)などが定評あるのではないかと思うが。
 こういうロマン的な曲だと、タベア・ツィンマーマンが聴きたいが、コリン・デイヴィス指揮ロンドン響が彼女を起用している。デイヴィスの旧盤はメニューイン、それから今井信子だった。
 ガーディナーの革命期ロマン主義期管弦楽団、オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティークのディスクはジェラール・コセを起用。周知の通り、このオケは古典派時代の楽器ともっと新しい楽器が混在した、当時のオケの再現を試みるもので、現代楽器の演奏とはひと味違った新鮮な色彩を生み出している。コセもピリオド楽器で地味だが滋味のある音で応えている。現代楽器のコセだったらプラッソン盤
 バシュメト(ヴィオラ)、フェドセーエフ指揮モスクワ放送響。ドロドロとした序奏が盛り上がって爆発すると、ヴィオラの登場となるが、ぐっとテンポを落として、協奏曲のソリスト登場とばかりに大柄に歌うのはバシュメトの芸風というしかない。Melodiya録音なので、残響の多すぎる、もわっとした音質なのだが、それでもこのヴィオラの音にはほれぼれする。これならヴィオラの名曲といってもいい。私の持っているのはMelodiya盤だが、Russian DVD.comで手にはいるかも。Audiophile盤も同一音源のようだ。ライセンス系レーベルがそのうち再発してくれるだろう。
 バシュメトにはインバルと入れたDenon盤もあるが、こちらはインバル主導という感じでバシュメトの芸風はあまり出ていない。ゲルギエフの指揮で新録が出ることを期待したい。


ツィンマーマン/デイヴィス


コセ/ガーディナー
バシュメト/フェドセーエフ
バシュメト/フェドセーエフ