(16) ペーター・ルジツカ(1948-):…さらに語りたい衝動をはじめて感ずるかのごとく(1981)
 —ヴィオラと管弦楽のための音楽


 ペーター・ルジツカは、作曲家、指揮者であるとともに、ベルリン放送響、ハンブルク国立歌劇場を歴任し、近年ではザルツブルク音楽祭の芸術監督として名を馳せた。そうした経歴からもわかるように、「ハイドンの音響平面による変容」とか「タリス」とか過去の音楽を参照した作品も書くし、「祝福されたもの、呪われたもの……」のように無視されていた同時代の作曲家アラン・ペッテションへのオマージュを捧げたり、目ざといところを見せる。この曲でルジツカが参照するのはマーラーである。1960年代にマーラーが注目を浴びて以降、マーラーを引用した作品は、ベリオのシンフォニアをはじめ、ちょっと思いつくだけでも、デトレフ・グラネルトの交響曲ニコライ・コルンドルフの「讃歌」ディーター・シュネーベルの「マーラーの時」ハンス・ヴィンベックの第1交響曲など、多数におよぶ。その意味で、もはや珍しくもないのだが、マーラーの第9交響曲が素材となったヴィオラ協奏曲とあっては、俄然興味が惹かれる。
 この長ったらしいタイトルは、テオドール・アドルノがその著書の中でマーラーの第9交響曲について言及している言葉からとられているという。というのもこのヴィオラ協奏曲はマーラーの第9交響曲の第1楽章の旋律がたびたび引用されているのである。いや、ほとんど分解・再構築というくらいマーラーの動機に充ち満ちている。アドルノの言葉はとりわけ第9交響曲の冒頭について、コントラバスそれからホルンで奏される2音のリズム、それからハープの上がって下がる動機というように短い萌芽が積み上げられてようやくヴァイオリンが前打音から主題にはいっていく、そうした始まり方について述べているのだが、ルジツカの曲も管弦楽の爆発のあと、そのハープの音型が執拗に繰り返される。さらに語りたい衝動をはじめて感ずるかのごとく。
 そもそもルジツカの音楽自体が短い動機を多重に重ね合わせることが多く、ここではそれがマーラーの交響曲から多数引かれてきているわけである。曲は「さらに語りたい衝動をはじめて感ずるかのごとく」マーラーが語り始める、その部分を拡大し、その部分に留まる。いわばマーラーの出発点を固定し、再吟味した音楽というところか。聴く者がそのもどかしさに取り残されるように、曲は解決をみずに終わる。
 5つの短い部分からなる14分。
 リッカルド・シャイー指揮ベルリン放送交響楽団、ヴィオラはヴォルフラム・クリスト。


Halffter/Berlin Rso/Christ
Ruzicka;Metamorphoses