(4)武満 徹(1930-1996):ア・ストリング・アラウンド・オータム(1989)
  ──ヴィオラと管弦楽のための


 武満徹は「日本の」と付けずとも、20世紀後半の主要な作曲家のひとりである。とはいえ、同じ時代を生きていたという親しみのようなものは根強く私にはある。雑誌などのその姿に触れる機会が多かっただけでなく、演奏会のホールのロビーをうろつくこの作曲家の姿を何度も見かけた(一度なんかぶつかりそうになった)。長野県の彼の仕事場の隣町に住んでいたことがあったが、さすがにそちらでお目にかかることはなかったけれど。
 武満徹の訃報を聞いて、ずいぶん早い死と思ったものだが、ヴィオラ協奏曲は残していってくれたことは何とも幸甚であった。「ア・ストリング・アラウンド・オータム」は「1989パリの秋」音楽祭がフランス革命200年を記念して委嘱。「ドビュッシーとメシアンを生んだフランスのひとびと」に捧げられている。
 この奇妙なタイトルは次のような大岡信の詩の一節からとられている。

 沈め
 詠うな
 ただ黙して
 秋景色をたたむ
 紐となれ

 3管編成、多数の打楽器、ハープ2台にピアノとチェレスタ、弦5部という大きなオーケストラが作る秋景色のなかを観照者たるヴィオラが逍遙していくといった発想で、ヴィオラがまさしく「秋景色をたたむ紐」である。冒頭でオケによって示され、ヴィオラによって繰り返される上行8音が、創作の要となっている。この上行音型が「沈む」ように聞こえるし、歌い続けるヴィオラが「ただ黙して詠わない」ように聞こえるのが、作曲の魔術。
 ディスクは初演者・今井信子のヴィオラ、小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラ(Philips)が、武満の曲を演奏しなれた人々の解釈ということで定番だろう。しかし、ユーリ・バシュメトがNHK交響楽団に客演した時の演奏をFMで聴いたことがあるが、今井盤が16分ほどの演奏時間なのにバシュメトは20分ほどかけてロマンティックにねちこくやっていたのが印象的で、まだまだいろんな解釈に開かれていると思ったものだ。
 イギリスのフィリップ・デュークスのヴィオラ、尾高忠明指揮ウェールズBBC国民管弦楽団のBIS盤が目下のところ、私のお気に入りである。今井盤より2分ほど演奏時間が長い。サイトウ・キネン・オケの音が個々の存在感を主張して、オケに尺八と琵琶の音が切り込んでくる初期武満の音楽をちょっと思い出すような音像を作っていくのに対して、ウェールズのオケはもっと融け合って、曖昧で雰囲気的なのが特徴。ムード音楽的という批判もありえるだが、こちらで聴いたほうが、武満がいかにドビュッシーの末裔であるかよくわかる。デュークスのヴィオラもヴィオラらしい音を出していてとてもいい。
 なお、細川俊夫が編曲したヴィオラとピアノ版がある。
 あと武満のヴィオラ関係の作品は、フルート・ヴィオラ・ハープのための「そしてそれが風であることを知った」(1992)、ヴィオラとピアノのための「鳥が道に降りてくる」(1994)を挙げておく必要がある。



尾高忠明, デュークス(フィリップ), BBCウェールズ交響楽団, 武満徹, ベザリー(シャロン), 小川典子
武満徹管弦楽曲集(2)



小澤征爾, 鶴田錦史, サイトウ・キネン・オーケストラ, 横山勝也, 今井信子, 武満徹
武満徹 : ノヴェンバー・ステップス