苦しくなった時用に、モルヒネを服用している。
服用しない日もある。
いまは、3mgとほんの少量。
咳き込みがずっと止まらない時などは、酸素を吸っていても、鼻からうまく吸えないために苦しくなってしまう。
あと、どうも胸が重くうずうずするようで苦しいときとか。
主に、そういう時のための薬だけど、自分が苦しくなりそうと思った時に予防的に飲んでもいいし、決まった時間に飲んでもいいし、まぁ、苦しくならないために飲むのは好きにやっていいという感じ。
昨日は、午後3時頃から8時頃まで外出で家に帰ったので、自分で予防的に、家に着いた時と、夜疲れてしまった時に飲んだ。
飲むと、すごく楽なるというまでの感じはないけど、なんとなく楽になる。
風が吹いていたのが、おさまったような、気がついたら静かになっていてちょっとほっとした…みたいな感じ。
量が少ないので眠くならないと言われているけど、私は眠くなるような気がする。でも、たまたま眠い時間に飲んでるだけかもしれない。
モルヒネを飲むのに抵抗があるわけではないけど、飲む必要のないものは飲みたくないのが普通なわけで。
入院中、タルクを入れて、癒着の熱とサブイレウスからの下痢で苦しんで、酸素を吸うようになって、やがて苦しいのがすこし落ち着き出して、車いすに乗れるようになった週末。
土日の間に呼吸がまた苦しくなってきた。ロキソプロフェンを飲み続けてるのに微熱、高い時で38度の熱があった。
私が「呼吸が苦しい気がする」というと、B先生も、緩和の看護師さんも、その他全員、「もっと強い麻薬系のお薬で苦しいのを抑えるようにするのがいい」といういうなことを言う。週明けに、緩和の先生に相談して出してもらいましょう、とか。
私は「いや、この流れで急に苦しくなるのはおかしいだろう。がん性リンパ管症が進行してるにしても、数日で明らかに苦しくなるのはおかしいよ!」と思っていた。
で、月曜日に検査したら、感染症で肺炎。抗生剤の点滴開始。
ついでに、リンパ管症の症状の改善を期待してステロイドを点滴で大量投与を5日間。
月曜日の夜に、金土日といなかったA先生に、
「私が苦しいと言ったら、薬を強くしろと、全員そればっかり。でも、今回一番必要な薬はモルヒネじゃなかったでしょう? がんで、苦しいなら、すぐに麻薬で抑えるって決めつけるのはやめてもらいたい! じゃないと、余計に具合が悪くなっちゃうよっ!」
とぶつけると、A先生は
「わかりました。それはこれから気をつけましょう」と言ってくれた。
緩和の先生は、いま2人いるんだけど、女性の先生、小学生のお子さんが居たりして、親身になってくれようとして話すんだけど…。
抗生剤とステロイドを飲み始めてから話している時に、モルヒネを勧めてきて。
それは、すぐにも必要になるから言ってくれてるのはわかるけれど、私は
「いま、抗生剤とステロイドを飲みはじめたから、それでどれくらい改善するのかみたい」と話した。
そしたら
「うーん、確かにその気持ちもわかるけど、かちぃさんにとって、何が一番大切かってことよね。
苦しくなった時のためのお薬を用意しておいて、できるだけ苦しくなく過ごすってことが大事なんじゃないかしら」
と、先生。
思わず、「うざ〜」と心の中で言ってしまった。
私は私の体の状態を知りたいだけ。
それもいけないの?
緩和に入ったら、もう、無理しない、苦しくしない、我慢しない、がんばらない、人生に大切なものを大切に…が至上命題なのか?
体の状態なんか気にしたってしょうがない、気にしたってしょうがない、苦痛は取ればいい、ってことなのか?
まぁ、もう治療しないんだからそうか…。
「すべて手配できますから安心してください」の、上からのいいっぷりが腹たつ。
私はとっくに見学に回っているホスピスのことを、「環境はいいそうですよ」とかどーでもいい情報を教えてくれるB先生にしてもそう。
もう人生終わりで、もう一人前なことができない人間扱いされている気がする。
実際、自分一人ではできないことだらけだから、前の自分とは違う。
そして、もう戻れないし、坂道を転がり下りるばかりだろう。
だけど、「私は何も変わってない!」と叫びたくなる。
たくさん変わってしまったけど、変わってないものも、たくさんあるんだ。
昨日の緩和チームの女性の先生と看護師さん、外出で家に帰った時の話なんかを笑って話して、モルヒネの服用の話なんかをして、最後に先生が
「じゃあ、お薬のことは、また色々試していきましょうね!」
と、明るく言い置いて行った。
あの明るさは、これからのことを悲観するのではなくて、できるだけ良い状態で、良い時間を過ごしていきましょうね!ってことなんだろう。
暗い面ばかりじゃないのよ!みたいな。
前にも書いたけど、そういうはりきり感、明るさを出してくるのは、そのことの積極的な意義は認めるけど、でも、ずれてると思う。
ごまかしてる。
患者の無念さは置き去りになってる。
でも、「くよくよすることないのよ! 大丈夫よ!」攻撃で、患者がそれに合わせなくちゃならない。
なんか、そんな感じ。
積極的治療の列車が終点に着いたら、
「はい、そのままで寝ててください。大丈夫ですよ。次はもっと素敵で人生にとって大切な列車待ってますから、お連れしますよ。何も考えないでくださいね〜。泣くところじゃないですよ〜」
と言われて、担がれて、バトンタッチされて、緩和列車に担ぎ込まれたような感じか…。
医療者は患者を見捨ててませんよ、最後まで人生を輝かせるためのサポートをしてるんです、私たちの任せていいのよ、あなたは死ぬのも、死ぬための準備も初めてなんだから、任せてね…みたいな…。
でも、それもほとんど退院するまでのことだろう。退院から先は疎遠。
がんばってがんばって治療してきて、すべてが終わったむなしさや悔しさや寂しさは置き去り。
そんなことでくよくよしてちゃいけません、と悲しみを禁じられた気さえする。
うちの病院だけかね?
ってか、こんなふうに思う恩知らずで感謝のたりない人間は、私だけかな…。
さて、毒吐きはこのくらいにして。
この記事を途切れ途切れに書いているうちに、明日、退院することが決定!
上からの話しっぷりも、置き去りも、はりきり攻撃も、ムカつくけど、だらだら引っ張るのはよす。
退院したら、また違う世界だと思うから。
そして、自分のうざい感情は捨てていかなくちゃ。
生きてかなくちゃいけない。
まだ死んでない。
生きなくちゃ。