明治六年五月五日の皇城火災と書物の焼失
今回は、明治6年(1873)に起こった皇居の火災により
焼失した書物について紹介しようと思います。
明治6年(1873)5月5日深夜1時過ぎ、皇居(旧江戸城)
で火災が発生しました。1時20分頃、失火により上がった
火の手は、皇居全体に燃え広がり、約3時間が経過した
午前4時30分、ようやく鎮火しました。
明治天皇・皇后は、赤坂離宮(旧紀伊藩邸)に避難し、
皇居が再建されるまでここを仮皇居とすることになります。
この火災により、皇居内にあった太政官庁も類焼し、
各官庁から提出されていた書類・記録、また華族・士族
が明治政府に献納していた書物の類も多く焼失しました。
火災から五日後の5月10日に出された下記の太政官布告は、
この焼失を諸官庁と各府県に通達したものです。
〈諸省使/府県へ〉 五月十日
諸省使寮司・各府県并ニ華士族等ヨリ差出置候
記録・図書類、皇城炎上ニ付焼失候条、此段
為心得相達候事、
この時、太政官庁が類焼したことにより焼失した書物のうち、
まとまったものとして、いわゆる「秘閣図書」の一部があります。
「秘閣図書」は、太政官の蔵書で、明治維新以後、旧公家や
大名家などの華族をはじめとする諸家からの献納を受け、
拡充しつつあったコレクションでした。
火災によるコレクションの一部焼失を受けて、まずは「何が焼失し、
何が焼け残ったのか」が調査されました。
その調査にあたったのが、太政官正院歴史課 の課長、
長松幹 【ながまつ・つかさ】です。
三ヶ月をかけて焼失本の調査を終えた長松は、8月10日、
焼失した秘閣図書の目録を作成し、太政官に提出しました。
「秘閣中焼失図書目録」がそれです。
この目録は、「国書之部」、「史之部」、「子之部」、
さらに「附.存之部」、「学習院本」の五部で構成されており、
それぞれそ焼失した書物の名称と冊数を列挙しています。
今回は、まず「国書之部」を紹介します。
秘閣中焼失図書目録
国書之部
日本記分類 二十六冊
日本書紀暦考 二 冊
日本後記 十 冊
一代要記 十 冊
帝王編年記 九 冊
年代小略 一 冊
編年要略 一 冊
神皇正統記 四 冊
水鏡 三 冊
大鏡 六 冊
翁鏡 一 冊
増鏡 十 冊
宇多天皇事記 二十二冊
醍醐天皇同 五拾七冊
朱雀天皇同 三拾七冊
村上天皇同 五 拾 冊
冷泉天皇同 七 冊
円融天皇同 三拾五冊
花山天皇同 十 冊
一条天皇同 四拾四冊
三条天皇同 三拾八冊
南山史 拾 一 冊
諸記録抄出 百廿二冊
新写諸記録 七百廿一冊
貞観儀式 七 冊〈十一冊ノ内〉
有職小説 一 冊〈六冊ノ内〉
刑政総類 二十一冊〈百五十一冊ノ内〉
公卿補任補闕 一 冊
公卿伝 三十二冊
帝王略系 一 軸
尊卑分脈 一 帖
日本長暦 二 冊
続同 一 冊
出雲風土記 一 冊
同考 一 冊
肥前風土記 一 冊
常陸風土記 一 冊
会津同 一 冊
白川風土記 三十四冊
同古事考 六 冊
近沼可遊録 五 冊
山城志 六 冊
大和志 四 冊
河内志 三 冊
和泉志 一 冊
摂津志 三 冊
福山志料 三十五冊
別本会津風土記 二 冊
豆州志稿 十 三 冊
但馬考 六 冊
諸国廃城考 九 冊
長崎志 十 六 冊
改撰江戸志 四 十 冊
江戸絵図 二 冊
駿国雑志 七十六冊
相模国風土記 百六十六冊
新編会津風土記 百 廿 冊
甘蔗考 一 冊
二中暦 一 冊
管蟸抄 一 冊
燈前夜話 一 冊
駿台雑話 十 冊
日本紀類 二 十 冊
日次記 十 冊
姓名録 一 冊
公卿補任 五十六冊
愚管記抜書 三 冊
国主城主記 二 冊
日本逸史 二 十 冊
百練抄 四 冊
家伝年代記 一 冊
東進記 八 冊
小槻記 一 冊
加茂記 一 冊
山城名蹟志 二十二冊
桜雲記 一 冊
神社考啓蒙 七 冊
旧事記 五 冊
和漢合運 三 冊
栄花物語 二十一冊
園太暦 三十四冊
延喜式 一 冊〈廿六冊ノ内〉
上水記 二 冊〈十冊ノ内〉
実測輿地図 三 十 巻
同〈中之図〉 二 巻
同〈小之図〉 一 巻
新井君美雑著 二 冊〈八冊ノ内〉
丹鶴叢書 百 一 冊
→→→つづく。