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イチはうなずいた。



「そうです。髪です。


 私の国では、男も女も髪を長く伸ばしておきます。


 そういう、しきたりなんです。


 髪が短いのは、赤ん坊ぐらいのものです。


 しかし、私はそのしきたりを破り続けています。


 髪を短くしてから、私は自分の中から


 何かが消えてしまった事を感じています。


 だからサラさんの言う事は、間違ってはいないんですよ」



エームは戸惑ったように尋ねた。



「それなら髪を伸ばせばいいじゃない。


 髪なんてほっとけば勝手に伸びてくるでしょ。


 食事の時は、あの面倒そうなしきたりを守ってるのに、


 どうして髪だけは切っちゃうの?」



「確かにそうですね」



そう言って微笑んだきり、黙り込んでしまったイチに、


サラはまた苛立ってきた。


「言いなさいよ!どんな理由があるのか」



「サラ!」


エームがサラを止めようとした。



「いいんですよ。エームさん」



イチはエームを止めると、サラに向き直った。


「サラさん。聞いても、あまり楽しくない話ですよ」


イチの黒い瞳が、悲しげに光っていた。



その瞳に、サラは戸惑ったが、


今更、聞くのをやめるなんて事は出来なかった。



「・・・・いいわよ。


 そこまで言ったんだから、最後まで話してよ」


少しふて腐れたように、サラは言った。




イチは、うなずき、話し始めた。



「10歳の時、私の生まれた村に旅の絵師がやって来ました。


 優しげな老人でした。


 彼は村を気に入り、空き家を借りると、


 一年ほど、村で絵を描いていました。


 私は毎日それを見に行き、そのうち絵の魅力にとりつかれ、


 彼に絵を習い始めたんです。


 彼は私を弟子にしてくれました。


 ですから、彼がまた旅に出ると言い出した時、


 私も一緒に村を離れ、絵師としての修行を続ける事にしました」



イチの目が、幸せな昔を思い出すように、空を彷徨った。


しかし、すぐに悲しげな笑みを浮かべると、話を続けた。



 「両親は寂しがりましたが、止めたりはしませんでした。


  『この子の周りでは一生奇妙な事が起こり続けるだろう』


 私は占い師に、そう予言されていましたので、


 両親は、これもその奇妙な事の一つだろうと思ったようです。


 予言された事に逆らっても無駄ですからね。


 私は両親と離れ、村を離れ、国を離れ、


 師匠と一緒に旅をしながら絵の修行を続けました。


 そして5年後、東の国に戻ってみると、村はなくなっていました」


 

「どうして!?」


エームとサラが、同時に叫んだ。


イチは悲しげに微笑んだ。




「よく分かりません。しかし、私が村を出た翌年に、


 その辺りで大きな火事があったそうです。


 同じ年に大きな洪水もあり、


 私が戻った時には、何も残っていませんでした」

 


エームは両手を握り合わせ、こわごわ聞いた。


「それじゃあ、村の人たちは」



「はい。たぶん、みんな亡くなってしまったのでしょう」



悲しげに言ったイチの目が、また空を彷徨いはじめた。



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