3月16日より旦那さんの実家にきています。
場所は宮城県白石市。


そして一昨日は私の希望で被災地に行きました。


旦那さんが今年の2月頃南相馬市原町区に仮設住宅を作りに出張へ来ていて、道も覚えていたのでそこへ行くことにしました。


川俣町から飯館村、そして南相馬市へ。


飯館村に入ると車は少しですが走っていましたが、その他、家や村自体に人の気配を感じられませんでした。

福島原子力発電所から20~30キロの辺りに位置するところ…

村の人々は避難しているようです。

家々を見ると不自然に全ての窓にカーテンが閉められ、庭先にもベランダにも一人も見受けられませんでした。

愛する我が家なのにそこから避難せざるを得ない気持ち…

それを100%理解することは到底無理な話で、やはり何事も自分の身に降りかからないと気づくことができないのかと思うと悲しくなりました。

ただただ走る車の中で涙が止まりませんでした。



そして津波の被害が大きかった南相馬市。
ここも原発から20~30キロ位といいます。


南相馬市に入り車を進めていると一瞬にして景色がかわりました。

それまでは普通に田んぼがあり家がありお店があり…とごく普通の景色でしたが、一瞬にして何もない、辺りに一面遠くまで見渡す事のできるだだっ広い景色にかわりました。

そこが津波の押し寄せたところと免れたところの境界線だったのです。

建物の基礎だけ残り、田んぼは…というよりそこが本当に田んぼだったのかわかりませんでした。

かろうじて道路はありましたがそのアスファルトも瓦礫を含んだ津波に剥がされガタガタ。

道路以外のところは海からの砂で一面どす黒く、川にかかる橋は無残にも手すりが至る所で流されとてもじゃないけど歩道を歩けたものではありません。

遠くから見えた小高い丘は近づくと瓦礫の山でした。
家の瓦礫が多いのかほとんどが木でした。
その中に紛れてポツンとクマのぬいぐるみがこちらを向いて捨てられていました。

ひたすら手を合わせる事しかできませんでした。

今回の津波では何の役にも立たなかった防波堤も所々破壊され、その隙間から海の波しぶきが見えました。

この海があの日この街をこんなまでにした海なのかと思うと、その波しぶきが憎らしくも思えてしまいました。



今回初めて被災地に行き思う事がたくさんありました。

怖いもの見たさなのかこんな感情で被災地に行っていいものなのか、罰当たりのような気がしてなりませんでした。

しかし初めて自分の目で見て考えは大きくかわりました。
何と言ったらいいかわかりませんが、実際来て見て、今自分がいるこの場所であの日あの悲惨な出来事が起こったのだと身体で感じる事ができました。

今は見ないよりは見ておいて良かったなと思ってます。

何もできない私ですが今回の東日本大震災について何よりも多くを知るの事も大切なことではないかと思っています。




最後にこんな事をブログに書こうか自分の中で葛藤がありましたが、自分が見て感じた事を一人でも多くの方が知っていただけたらと思い書く事にしました。

そして本当に心から一日も早い復興を願っています。

少しでわかりにくいですが、写真も貼っておきます。

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