長く闘病していた友が私に残した最期の言葉は「ありがとう」だった。愛する家族に囲まれ、幸せだったと人生を振り返り、穏やかに息を引き取った。
旅立つ友のために化粧を施した。明るめの白粉に薄桃色の頬、唇には茜色の紅。生気がよみがえった彼女の安らかな顔は、息を飲むほど美しかった。
震災のため、図らずも命の終わりを迎えてしまった人々。名も知らぬ彼らの最期、残された家族の心情に思いを馳せるたび、胸が苦しくなる。しかし、どんな境遇の中でも陽は昇り、陽は沈む。
今年は桜が見られないと寂しそうにつぶやいた友。桜色の棺に横たわり、花吹雪の中、旅立った。花が散り、芽吹き始めた桜木のもと、残された子らは上を向いて歩み始めた。
「50年来の夢がようやく現実になった」。大和市で育ち、ノーベル化学賞を受賞した根岸英一さんはそう語る。半世紀もの間、夢を追い続けてきた姿に感動を覚えた。
大人は子どもたちに夢を持てと呪文のように口にする。しかし、それを言う大人自身が夢をあきらめてはいまいか。夢を持てといj以上、自分自身も夢を持ち、実現しようと挑んでいなければ説得力はない。
子どものころに見た夢。大人になり心の中で描いた夢。家事に子育てに仕事にと、忙しさを言い訳に目をそらしてきた自分がいる。
人生50年も過ぎていない私など、根岸さんから見たらまだまだひよっこだろう。夢の実現に挑戦する姿を子の胸に刻みつけることが親としての使命。あきらめている場合じゃない。
大人は子どもたちに夢を持てと呪文のように口にする。しかし、それを言う大人自身が夢をあきらめてはいまいか。夢を持てといj以上、自分自身も夢を持ち、実現しようと挑んでいなければ説得力はない。
子どものころに見た夢。大人になり心の中で描いた夢。家事に子育てに仕事にと、忙しさを言い訳に目をそらしてきた自分がいる。
人生50年も過ぎていない私など、根岸さんから見たらまだまだひよっこだろう。夢の実現に挑戦する姿を子の胸に刻みつけることが親としての使命。あきらめている場合じゃない。