日本古代史が長年の趣味なのだが、先日来メディアで話題になったオリオン座流星群の方向を見つめていて、浦島伝説に思いを馳せた。
 「丹後風土記逸文」に出てくる「筒川の里の嶼子(シマコ)」、別名「水の江の浦島子」の話である。大宝律令の編纂者の1人である伊預部馬養連が記したところと付記して、物語を権威づけている。しかし、近世の童話にでてくる浦島太郎の話と少々異なる。
 そこで、長文なので簡単にまとめると、
 「雄略天皇の時代、美男子の島子がひとり小舟で3日3晩釣りをしたが、1匹の魚も釣れず、かわりに5色の亀を得た。亀は、島子が寝ているうちに比類なき美人になった。彼女は、天上の神女で、彼女に眠らされているうちに、海中の見知らぬ大きな島に至り、2人は、手を携えて美しい宮殿に着いた。
 そこへ、彼女が門を開いて島子を招じ入れると、7人の童子が、次いで8人の童子が出迎えて、『この人が亀姫様の夫だ』と言った。島子は、それで神女の名が亀姫であることを知った。
 亀姫は、『7人の童子達は、昴(ボウ)星(スバル)、あとの8人は、畢(ヒツ)星(雨降り星または釣り鐘星)です。怪しまないで下さい。』と言って、宮殿を案内し、両親に紹介し、着席して、人と神との出会いを喜び、百品のご馳走を薦め、家族は杯を挙げ、歓談した。
 そして、3年滞在したが、島子は、里に待つ両親が忘れられず、郷愁がつのり、別れを惜しみつつ帰郷することになった。その時、亀姫は、涙ながらに、玉匣(タマクシゲ=クシなどの化粧道具を入れる美しい箱)を島子に渡し、『ここに帰って来たいと思うなら、いつもこの玉匣を握り、決して開けないで下さいね』と伝える。
 帰郷してみると、人も景色も様変わりしていた。古老の言い伝えによると、昔、水の江の浦島子という者がいたが、1人で海に出たまま帰らず、以来3百余年がたつと言う。
 悲しみに暮れて、約束を忘れ、玉匣を開けると、芳しい身体は、煙と共に天空に飛び去ってしまった。」
とあり、その後、2人の間に交換された恋歌がつづく。
 
 私たちが教わった浦島太郎の童話には、浦島太郎は、助けた亀に乗り、竜宮城へ行き、乙姫様とご対面であった。似ている。しかし、星の話はなかった。しかも、数多ある星の中で、なぜスバルと雨降り星なのだろうか?とても不思議だ。
 
 確かに、雄略天皇の時代というと、神話を信じれば、在位西暦457年前後から479年頃までである。鎌倉初期の説話集『古事談』によると、島子が帰郷したのが、淳和天皇の時代で天長2年だったとしていて、そうなら、西暦825年にあたるから、差引き最低346年間だ。
 そこで、ウィキペディアで検索してみたら、スバルへの距離は、443光年、雨降り星は、150光年という。勝手に想像すると、後者の場合なら、光速で往復すれば、3百余年なら勘定は合う。でも、仙人ではあるまいし、古代人がまさか光速のことや、光速なら300年で往復できると知っていたとも思えない。
 もっとも、『宇宙戦艦ヤマト』なみにワープできれば、あるいは『ドラえもん』なみに『どこでもドア』でもあるなら、スバルでももっと短い時間で往復可能だろう。ならば、星の世界との関連は、古代日本人のアニメ的想像力の賜物なのだろうか。
 
 人と神との出会いと両者の歓談という捉え方も面白い発想だ。素戔男尊(スサノウノミコト)に見るように、日本人は、神の存在をえらく身近なものに感じてきたのだろうという印象と矛盾しない。
 だからと言って、スバルも雨降り星も、日本文化だけのものではない。
 
 西洋の星座表では、スバルも雨降り星も、牡牛座の星団で、雨降り星は、牡牛座の顔を構成しており、オリオン座の直ぐ上にあり、スバルは、牡牛の首の根本から肩にかけての星団となっている。
 西洋では、スバルは、プレイアデス星団と呼ばれ、地中海では、夏から秋にかけて、すなわち航海の時期に夜見える星団として、またエレクトラなど7姉妹として、親しまれている。
 雨降り星の方は、ヒアデス星団と呼ばれ、スバルより地味ながら、スバルの異母姉妹といわれている。東洋では、雨降り星は、5、6月頃、月の軌道に入り、梅雨到来で、農業には大事な時節を知らせてくれる。西洋では、どうなのだろうか。
 いずれにせよ、なんとなく、洋の東西で、数千年の間、親しまれてきた星達のように思えるのである。しかし、宇宙旅行と牡牛座を結びつけているのは東洋しかも日本なのだ。謎は深まるばかりなり、である。