近代世界で、世界に珍しいほど口下手で広報が苦手な日本人なのに、日本の文化ほど世界の芸術にインスピレーションと衝撃を与えてきたものは珍しい。
 例を挙げれば、浮世絵、俳句に始まる西洋のジャポニズム、現代産業技術、生け花、茶道、ジュウドウ、スモウ、スシ、カラオケ、アニメ、コスプレ、アキバ等々枚挙にいとまがない。
 また海外文化の受け入れも負けず劣らずだ。例えば、世界クラシック音楽界での日本の比重は、極めて大きい。プロのフル・オーケストラが20を越す。大学のオーケストラまで入れればその10倍になろう。オーケストラがあるアジア諸国は、中国を含め数カ国に過ぎず、それも各国1つ程度だから、日本のクラシックのすごさが分かる。
 アルゼンチン時代、現地のテレビで「日本のタンゴ」という2時間番組にピアノ上手な館員と出演したことがある。アルゼンチンで、海外のタンゴと言えば、日本であり、藤沢蘭子も有名だ。館員のタンゴ演奏で、番組は大いに盛り上がった。今上陛下が皇太子時代に同国を訪問された際には、ドルチェ・ハポンというタンゴが捧げられた。タンゴの名歌手で名作曲家カルロス・ガルデルにちなんでタンゴ普及のために創立されたガルデル協会から私が外国人初のガルデル章を受賞したのも、長い日本タンゴ史とそれに貢献された多くの方々の賜物であった。
 
 目立たないが、戦後カリグラフィーの世界に大きな影響を与えたものに、日本の書道がある。台湾、韓国、文化大革命後の中国も書道が盛んだが、書道の文化交流に熱心なのは、日本だけだ。
 漢字や仮名も日本語も知らない外国人に書道が分かるか、と疑問を持たれる方々も多かろう。実は、それがそうではない。良い書の作品には、感嘆の声をあげるのだ。
 日本で書道展の閲覧者が15,000人にのぼれば大成功だが、スペインのマドリッドでの書道展には、35,000人、アルゼンチンのブエノスアイレスでは、10万人が来訪した。
 どうも日本人は、読めない草書や万葉仮名が出てくると、そこで鑑賞をやめてしまうのに、彼等は、最初から読めないから、作品全体を芸術品として鑑賞するからなのではないかと思う。
 
 海外で書美術を喧伝するのにやっかいなことは、特に西洋では、カリグラフィーが芸術家の世界ではなく、職人芸の世界と思われていることだ。花文字の書き手である。それが東洋のは芸術だとは素直には信じてくれない。
 書は長年の趣味だが、専門家ではないから事前のPRには苦労した。結局、書は、描く美術であり、言葉を語る文学であり、また音楽でもあると説明してみた。特に流麗な仮名文字は、作家の息づかいも聞こえてきて、リズムがあり、メロディーさえも感じられる。未熟な試みだが、かなりの好奇心を誘発した。
 しかし、圧巻は実物である。日本から大書家の方々の作品群と実演という本物を見て、これは正に芸術だと納得する。芸術の普遍性というものだと思う。
 今やスペインの著名な現代画家アントニ・タピエスのように、書から何かを感じ、自作にそれを反映させる画家も登場している。中近東や欧米でも、書に触発されたと思われるカリグラフィーの新しい波がある。
 日本の書は、陶磁器や木工芸術と並ぶ日本の代表的な伝統文化であり、世界の多くの人々の精神的生活を豊かにしてくれている。昨今の棋界のように、いずれ青い目の大書家が生まれる日が来るかもしれない。